ヴァレンティナさんと言うらしいです
翌日。
「馬車が来たよ」
窓から外を覗いていた少年が、弾んだ声で知らせてくれた。
私はというと、昨夜遅くまで続いた衣装合わせのせいで、少し眠い。正直、あれはもう一種の拷問だったと思う。
「……どんな人なんだろう」
自然と、そんな言葉が口から零れた。
今の私は、薄い空色のワンピースを身にまとっている。スカートは少しだけふわりとしていて、派手ではないのに上品。大人しくて、控えめで――それでいて、ほんのり可愛らしい。
髪は、なぜか父さんが結ってくれた。
毛束を少しずつ指ですくい取り、迷いなく編み込んでいくその手つきは、やけに器用で――
……もしかして、私より器用なんじゃない?というか、どうしてそんな技術を知っているのですか。仕上げに、ワンピースとお揃いの色のリボンを結んでくれて、完成。
それを見た少年が、少し頬を赤くして言った。
「……絵本の中のお姫様みたいだね」
……うわあぁぁ。
聞いた私のほうが、赤くなりますから。
あなたはもう、その時点で立派な王子様ですよ。そのままで。
私は王子様に手を取ってもらい、さながら本物のお姫様のように、廊下を歩いていったのだった。
私は、扉を叩いた。
先に公爵が話をし、そのあとで私が顔を合わせる――そういう流れだと聞いている。 深呼吸してから、口を開いた。
「アリアです。よろしいでしょうか?」
「入れ」
公爵の声が、扉の向こうから返ってくる。
私はそっと扉を開けた。
中には、公爵と父さん、そして――見目麗しい一人の女性が立っていた。 年齢はよく分からないけれど、凛とした佇まいで、そこに立っているだけで空気が引き締まる。
「初めまして。アリア、ですね?」
彼女は、よく通る声で言った。
「私は、ヴァレンティナよ」
その名に、何となく納得してしまう。 強そうです。とても。
「は、はい。そうです。お初にお目にかかります」
……あれ? これ、言葉遣い、合ってる?なんだか不自然な気がするのだけれど。 どうして私は、事前にちゃんと予習しておかなかったのでしょう。
そんな私の内心などお構いなしに、ヴァレンティナさんは父さんのほうを見た。
「それで。本当に、あなたの子なのね」
「本当だって。ほら、姉さん」
父さんはそう言って、懐から一枚の書類を取り出した。
「親子鑑定までしたのだから」
「……まったく、いつの間に」
ヴァレンティナさんは鑑定書に目を通し、それから、じっと私を見る。 その視線が、妙に鋭い。
「正直に言うわね。私、面倒ごとが嫌いなのよ。教師には向いてないわ」
……わぁ。
ものすごく、はっきり拒否されました。 これ、私が来る意味、ありました? もう、この時点で無理じゃないですか?
けれど、公爵は一歩も引かなかった。
「でも、姉さんしか頼めないんだ。ほら、猫に突然なったら困るだろう」
……公爵。 そこまで話したんですか。
個人情報、大流出ですよ。 まあ、それだけ信頼できる相手、ということなのでしょうけど。
ヴァレンティナさんは、しばらく黙り込んだあと、ふっと息を吐いた。
「……アリア。少し、質問するわね。右手を上げて」
「は、はい」
言われるがまま、私は右手を上げた。
「二足す五は?」
「……七です」
「十二足す九は?」
「……二十一です」
「九引く三は?」
「六」
……何でしょう、このやり取り。
すると突然、ヴァレンティナさんが目を見開いた。
「まあ!この子、引き算まで暗算できるじゃない!」
その声に、私は周囲を見た。
呆然と立ち尽くす、公爵。 固まる父さん。
そして――
「……アリア、いつの間に……」
少年が、ぽつりぽつりと呟いた。 少し潤んだ目で、こちらを見ている。
……ちょっと。 そんな、泣きそうな目で見ないでください。
悪いことは、何もしてません。……多分。
……いや、そうじゃない。
……しまった。私は、ずっと猫として生活していたのだった。 こんなところで、すらすら計算を解いて、どうするのよ!
家庭教師の時間では、出された課題を淡々とこなしていただけなのに。 まさか、ここで。――嵌められた。
(※誰も嵌めてません)
私は内心、全力で頭を抱えたのだった。




