公爵は手紙を書いた
そこは、とある豪奢な建物の一室だった。
高い天井に、柔らかな光を反射する調度品。
長い時間を積み重ねてきた者だけが住まうことを許される、静かな空間。
「あら……?」
窓際の机で手紙を手に取った女性が、小さく声を上げた。
「珍しいわね」
封を確かめてから、彼女はくすりと笑う。
「――あの子から、手紙だわ」
女性の爪は綺麗に整えられており、指には、小振りながらも品の良い宝石の指輪がはめられていた。
派手さはないが、持ち主の立場と美意識を、静かに物語っている。
丁寧に封を切り、便箋を開く。
目を走らせるうちに、表情が、わずかに変わった。
「ねぇ、あなた」
女性は、部屋の奥で書類に目を通していた男性に声をかけた。
「相談があるから、来てほしいそうよ」
男性は、顔を上げる。
「……公爵、からか?」
「そうよ」
女性は、肩をすくめるように答えた。
「何か月ぶりだ?」
「いいえ」
彼女は、少し考えてから、首を振る。
「……数年、手紙をもらった記憶はないわ」
「それなら」
男性は、静かに言った。
「きっと、よほど重要な話なんだろう。行ってきたらどうだい」
「でもね」
女性は、美しい眉をひそめる。
「あそこ、あまり行きたくないのよ」
「もう、ずいぶん長いこと足を運んでいないだろう」
男性は、穏やかに続けた。
「今は、ちょうどひと段落している。相談に乗ってあげなさい」
女性は、しばし沈黙したあと――大きく、ひとつ、ため息をついた。
「……そうねぇ」
指先で手紙をもてあそびながら、
彼女は立ち上がり、窓の外へと視線を向けた。
静かな昼下がりの光が、街を満たしている。穏やかで、何事も起こらないような時間。
――あの屋敷も、あの子も。
ずいぶん、久しぶりだわ。
「……返事が届いた」
執務室で、公爵は低く言った。
「本当?」
書類に目を落としていた弟が、顔を上げる。 「内容は? なんて言ってるの?」
「待て。これから読む」
そう言って、公爵は封を切り、手紙に目を走らせた。
一行、二行――そして、わずかに、眉が動く。
「……来て、くれるそうだ」
「良かったじゃないか」
弟は、ほっと息をついてから、すぐに続ける。
「それで、いつ?」
「……明日、だ」
公爵は、呻くように答えた。
「……ちょっと待って」
弟は、思わず声を上げる。
「何も準備してないよ? 本当に、明日なの?」
「……間違いない」
公爵は、額に手を当てる。
「おそらく。こちらに、準備をさせないつもりなのだろう」
「……ああ」
弟は、天井を見上げた。
「あり得るね。それ。……十分すぎるほど、あり得る」
短い沈黙。
「こうしてはいられないな」
公爵は、椅子から立ち上がった。
「菓子と、飲み物……いや。軽食も必要だ。最上級のものを、至急、用意させろ」
「了解」
弟も、すぐに動こうとして――
「……待て」
公爵が、呼び止めた。
「好みの食べ物は、覚えているか?」
「ええと……」
弟は、少し考える。
「昔は、焼き菓子が好きだったはずだよ。あの、黄色い……」
「それでは、わからん」
公爵は、即座に切り捨てた。
「昔からの使用人なら、覚えているかも?」 弟が言う。
「……確認しろ」
公爵は、目を細める。
「覚えているか、ではない。確認して、用意するんだ」
「……了解」
弟は、真剣な顔で頷いた。
――それから、ほどなくして。屋敷は、一斉に動き出した。廊下では掃除が始まり、応接室では調度品が磨かれ、厨房では、ありとあらゆる食材が引き出される。
来訪者は、たった一人。
けれど、その一人のために――
屋敷は、総出で備えることになったのだった。




