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公爵に捨てられた侍女の子供ですが、猫として生きていきます  作者: りな


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少年の字

私は、猫でいる日々が続いていた。

 少年の足元でごはんを食べ、

 少年の隣で、本を覗き込む。

 時々、父さんに抱っこされることもあるけれど――

 ……抱っこしていいのは、少年と父さんだけ。

 他の人には、ちゃんと触らせていない。

 淑女を目指しているのだから、当然よ。

 夜は、少年と並んで父さんに絵本を読んでもらい、そのまま少年のベッドで、ぬくぬくと眠る。

 ――平和だ。とても、平和。

 そんな日々の中で、ある日、家庭教師が来たときのことだった。

 私は、少年の机の上を覗き込んで、ふと、気がついた。

 ……あれ?

 少年の書いている文字を見て、首をかしげる。

 ――字、綺麗になってない?

 前は、もっと、こう……元気いっぱいというか、歪というか。

 それに気づいたのは、家庭教師も同じだったようだ。

「よく、手本を見て書けていますね」

 感心したように言われて、

 少年は、少し照れた顔で答える。

「あのね」

「観察日記、書いてるでしょ?」

 私は、ぴくりと耳を動かした。

「いつか、誰かが見ても大丈夫な字で、書きたいんだ」

「それは良いですね」

 家庭教師は、にこりと笑った。

「一石二鳥、と言うのですよ。素晴らしい」

「……そうかな」

 少年は、少し照れて、視線を落とす。

 ……。

 ……とても、良いことを言っている。

 ものすごく、立派なことを言っている。

 ……でも。

 観察日記に、そんなに力、入れなくていいのに。それ、私の観察日記だよね?

 ……最近、やけに真剣に何か書いていると思ったら、――字の練習をしていたなんて。

 ……なんてこと。

 

 二人の会話を私はぽつんと聞いていた。

 ……私。すごい、存在意義が無い感じがしてきたんだけど。……気のせい?

 私は、そっと自分の前足を見下ろす。

 小さな、猫の手。

 ……最近、文字の練習、全然してない。

 ……ちょっと。これ、ヤバくない?

 本当に。


夜。

 少年と一緒に、父さんに絵本を読んでもらって、そのまま、ベッドに入った。

 相変わらず、とても暖かくて、居心地がいい。

 ……でも。私は、ひとつだけ、気になっていることがあった。

 前に、少年に読んでもらったあの本。

 ――最後に、ふたりが並んで立っていた、あの話。

 あの絵本が、ずっと、少年の机の上に置かれたままなのだ。

 少年は、何も言わない。

 けれど――あの本は、きっと、他の本とは違う。だって、他の本は、読み終わると、いつもきちんと返しているのだから。

 少年の寝息が、規則正しくなったのを確かめてから、私は、そっとベッドを抜け出した。忍び足で机に近づき、苦労して、観察日記を開く。

 ……やっぱり。

 最初のページに並ぶ文字は、今よりずっと、拙くて、歪んでいた。

 それでも、一文字一文字、真剣に書いた跡が残っている。そして、最近はずっと綺麗な字になっていた。

 少年は、少年なりに、頑張っている。

 ……じゃあ。私は?

 猫のままで、いいの?

 ふと、母さんのことが、頭をよぎった。

 あの女性は、言っていた。

「いつも、公爵を見ていた」と。

 ……近くに、いたかったのかな。それとも、何か、してあげたかったのかな。

 猫では、駄目だったのかな。

 どうして、ここに?……母さん。

「……アリア?」

 不意に、少年の声がした。

 眠ったまま、

 手だけが、私を探している。

 私は、机を離れ、その手の中へ、静かに跳び込んだ。

 私の背中に触れ、少年は、安心したように、再び眠る。

 ……猫でも、いい。でも。やっぱり、違う。

 私は、もう一度、あの絵本を見た。

 少年は、優しい。だから、きっと、言わない。

「人間でいて」とも。

「猫でいて」とも。

 ――だから。

 これは、私の決意だ。

 人間として。少年の、横に立てるようになりたい。

 私は、するりと、

 少年の部屋を後にした。

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