気づいて欲しい
男の子は、次の日から変わった。
時間があれば本を読み、
庭にも出なくなった。
外で遊ぶことも、誰かと話すこともない。
机に向かい、黙々と文字を追う。
家庭教師は満足そうに言った。
「とても素晴らしいです。
ようやく、身が入るようになりましたね」
公爵も、それを疑わなかった。
成績は伸びている。
注意されることもない。
――問題は、ない。
ただ。
少年の顔から、
笑顔だけが消えていた。
私は、それを見ていた。
呼んでも振り向かない。
撫でても、どこか遠い。
その夜、私は少年のそばを離れた。
そして、公爵の前に立ち、鳴いた。
一度。
二度。
無視されても、鳴き続ける。
仕方がないといった様子で、
公爵は歩き出した。
私は先を行き、
少年の姿が見える場所まで導く。
書斎の扉の隙間。
机に向かう、小さな背中。
灯りの下で、
ただ、黙って文字を追う姿。
その瞬間。
公爵の胸に、
別の光景が重なった。
幼い頃の自分。
期待と規律に縛られ、
感情を押し殺していた自分。
「……」
公爵は、言葉を失った。
そして、低く呟く。
「……言い過ぎたのか」
それだけだった。
私は、その声を聞くと同時に、
踵を返した。
少年の元へ、走る。
彼の足元に身を寄せ、
ただ、そこにいる。
少年は、何も言わなかった。
でも、その手が、
そっと私の背に触れた。
朝食の席で、公爵はふと口を開いた。
「勉強は、楽しいか?」
男の子は手を止めずに答えた。
「必要だから、しているだけです」
温度のない声。
五歳の子供のものとは思えない。
「家庭教師には、よくしてもらっているのか」
「教師とは、誰でも同じでしょう」
男の子は、公爵を見なかった。
皿の上だけを見つめ、
黙々と朝食を続ける。
公爵は、それ以上何も言えなかった。
食後、公爵は密かに家庭教師について調べさせた。
評価は、はっきり分かれていた。
――優秀な生徒には寛容。
――そうでない子供には、非常に厳しい。
公爵は、書類を閉じる。
夕刻。
男の子は今日も、本に向かっていた。
「……その本は、面白いのか?」
しばらくの沈黙の後、答えが返る。
「……ただ、覚えているだけです」
やはり、視線は上がらない。
公爵の胸に、記憶が蘇る。
幼い頃の自分。
期待に縛られ、
感情を切り捨てていた日々。
そして、少し前まで――
よく笑っていた、この子の姿。
「……」
公爵は、静かに決めた。
家庭教師を、替えよう。




