伯爵からの手紙
その日。
執務室で、公爵は一通の手紙を前に、小さくため息をついた。
「……はぁ」
その音に気づいて、弟――もとい、父さんが顔を上げる。
「誰からの手紙ですか?」
「ルーグラン伯爵からだ」
公爵は、どこか面倒そうに言った。
「五歳の娘がいるそうでな。将来を見据えて、婚約を視野に入れた顔合わせをしないか、とのことだ」
……五歳。
父さんは、一瞬言葉に詰まった。
「……まだ、早いのでは?」
「私もそう思う」
公爵は、苦笑混じりに肩をすくめる。
「だが、家柄も釣り合っているし、こちらに何の瑕疵もない。理由もなく断るのは、難しいだろう」
「……そう、ですね」
父さんは少し考えてから言った。
「では、顔を出すくらいは、する……と」
「そうなるな」
そこで、公爵はぽつりと付け加えた。
「公爵という名前は、それだけで魅力だからな」
「……兄さんも、婚約は早く決まっていましたね」
父さんは、慎重に言葉を選びながら言った。
「そうだが――」
公爵は一瞬言葉を切り、 苦い顔をした。
「何が悪かったのか、未だによく分からん」
短い沈黙が落ちた。
「……仕方ないよ」
父さんは、静かにそう言った。
公爵は、ふっと息を吐き、 弟を横目で見た。 「おまえは、いいよな。ずっと逃げていた」
「次男だからね」 父さんは、どこか軽く、 片目を瞑ってみせた。
それ以上、誰も何も言わなかった。
二人とも分かっていた。 少年が、この話に乗り気になるはずがないことも。
それでも――貴族である以上、無視することは、許されない。
気は進まない。けれど、応じるしかない。
それが、 “立場”というものだった。
夕食の席で。
公爵は、いつもより少しだけ改まった声で、少年に言った。
「ルーグラン伯爵の娘と、顔合わせがある」
一瞬の間を置いてから、続ける。
「一週間後だ。向こうは婚約を考えているそうだが……気にしなくていい」
少年は、静かに公爵を見上げた。
「……誰と行くのですか?」
「兄さんと二人で行くのさ」
横から、弟――もとい、父さんが、軽い調子で言う。
「僕とアリアは、留守番してる」
「そうですか」
少年は、それだけ答えた。
……貴族社会、だねぇ。
五歳で婚約を視野に入れるとか、
なかなか大変だ。
公爵は、少年に向かって言った。
「難しく考えなくていい。いつも通りで大丈夫だ」
……いや。
そんなこと言われても、気にするに決まってるよね。私だったら、
「無理です」
って言って、全力で逃げてると思う。
「……わかりました」
少年は、そう答えた。
けれど――
声は、少しだけ沈んでいて。
視線は、静かに下へ落ちた。
……あ。
やっぱり、嬉しくはないんだ。
そのとき。
少年の手が、食事の途中で止まったままなのに気づいた。
「……どこか、痛むの?」
私は、そっと声をかけた。
少年は、一瞬だけこちらを見て――
「アリアは……」
「なに?」
私は、こてんと首をかしげる。
「……いい。何でも、ない」
そう言って、少年は視線を落とし、
再び――
深い沈黙に、戻ってしまった。




