少年は走った
少年は勢いよく、公爵の執務室へ駆け込んだ。
「父さん、今、いいですか!」
書類に目を落としていた公爵は、顔を上げる。
「構わないが……どうした?」
「僕、アリアとケッコンします!」
その宣言に、公爵の手が止まった。
「……どうして、そうなる?」
少年は胸を張って答える。
「だって、僕、アリアの“みんな”を見ちゃったから!」
公爵は、無言で眉間を押さえた。
「前に聞いたんだ。女の人がね、『私の“みんな”を見たんだから、セキニン取ってケッコンしてよ』って言ってたのを!」
「……そうか」
公爵の声は、どこか遠かった。
「アリアね、僕の前で人になったんだよ。だから、セキニン取らなきゃ。とっても、正しいことだと思う」
少年は、これ以上ないほど真剣な顔だった。
公爵は深く息を吐き、天井を仰ぐ。
「……人間になったのか。それは確かに、大事なことだな」
「でしょ?」
「だが、その前にやることがある」
「なに?」
「親子鑑定だ」
少年は目を瞬かせた。
「かんてい?」
「血縁関係が分かれば、アリアは堂々とこの屋敷に住める。学園にも、一緒に通えるかもしれない」
少年の顔が、ぱっと輝く。
「ほんと!? じゃあ――」
「できるかどうか、アリアに聞いてきてくれるか?」
「うん! 聞いてくる!」
そう言って、少年はまた勢いよく駆け出していった。
――最初に何を言いに来たのかなど、きれいさっぱり忘れて。
扉が閉まったあと、公爵は椅子に深く背を預けた。
「……まったく」
書類の上に、額を押さえるように手を置く。
「誰だ。 仕事中に、物陰で余計な話をしていたのは……」
昼下がり、よく廊下の隅で交わされている会話が、脳裏をよぎる。
――子供が聞いてしまったのか。
公爵は、深いため息をついた。
「……後で、指導が必要だな」
そう呟いた声には、
怒りよりも、ひどく疲れた大人の気配が滲んでいた。
私は、弟と公爵のいる部屋へ向かって歩いていた。
その途中で、少年が勢いよく走ってくる。 「アリア!」
息を切らしながら、必死な顔で言った。
「父さんがね、親子鑑定、できるかって」
……おやこ、かんてい?
聞き慣れない言葉に、私は思わず首を傾げる。
「親子鑑定、とは何ですか?」
そう尋ねるより早く、弟が口を開いた。
「……アリアは、僕の子だ」
あまりにも自然な声音だった。
「でもね」
少年は、弟の言葉を気にした様子もなく続ける。
「ちゃんと分かったら、アリアも学園に行けるかもしれないって!」
「……学園か」
弟は、少しだけ遠くを見るような目をした。 「懐かしいな。確か、七歳からだったよな」
「そうだよ!」
少年はぱっと顔を明るくする。
「僕、今は五歳だから、あと二年後なんだ」
「……あれは、元々は貴族だけのものだったが……」
弟は言葉を切り、ちらりと私を見る。
……がくえん? それは、何ですか?
そもそも、親子鑑定って、何をするんですか? この世界に、そんな都合のいいものがあるんですか?
人が獣になったり、獣が人になったりする世界ですよ? ファンタジー全開ですよ? それなのに、親子鑑定……?
私は、頭の中がぐるぐるしてきた。
理解が追いつかないまま、ただ一つだけ分かっていることがある。
――どうやら、私の知らない話が、どんどん進んでいるらしい。




