猫はお腹を触られるの、嫌です
翌日、本当に弟はやって来た。
私は警戒を最大値まで引き上げる。
当然だ。
けれど、弟は屋敷に着くなり公爵のもとへ向かい、私のほうを見ることはなかった。
……よかった。
その日は、家庭教師のいない日だった。
珍しく予定のない一日で、屋敷の空気ものんびりしている。
昼食を終えてお腹がいっぱいになった私は、中庭で本を読む少年のそばで、のんびり過ごしていた。
……弟の姿は見えない。
お腹は満ちている。
日向はぽかぽかして気持ちいい。
本を真剣に読む少年の横顔も、なんだか微笑ましい。
私はごろりと仰向けになり、目を閉じた。
――そのとき。
ふいに影が落ちて、誰かの指が私のお腹に触れた。
……ひゃっ。
反射的に身をよじる。
「猫って、お腹を触られると喜ぶの?」
少年の声と一緒に、もう一つの手も加わった。
や、やめて。
そこは、弱いの。
しかし、手は止まらなかった。
「やめて!」
思わず声が出て、お腹を守るように丸くなる。
……今。
今、私は――声、出した?
恐る恐る目を開けると、そこにあったのは毛ではなく、人の手だった。
小さな、少女の手。
ぎ、ぎ、ぎ……と音がしそうなほど、ゆっくり首を動かす。
視界に入ったのは、少年と――弟。
……いやあああ。
弟は一瞬で状況を察したらしく、何も言わずに上着を脱ぎ、私の肩にかけた。
「アリアの部屋には、着替えがあるよね。とりあえず、戻ろうか」
私は上着を胸元でぎゅっと掴み、無言で歩き出す。
……違うから。
私、何も悪くないから。
不可抗力だから。
お願い。
誰にも見つかりませんように。
裸足で、ぺたぺたと廊下を進む。
振り返ると、少年はその場に座ったまま、ぽかんとこちらを見ていた。
部屋に着くなり、私はきっぱりと言った。
「ひ、一人で着替えられます!」
半ば押し出すようにして、弟を廊下へ追い出す。
……ううう。なんか酷くないですか。どうして、私だけ。
けれど、一人になって少し落ち着いた。ほっと息をついて、クローゼットを開けた。
――すごい。
さすが公爵家。
可愛いワンピースがずらりと並んでいる。
どれも質が良くて、色合いも優しい。
私はその中から、上質な下着と、薄紫色のふわりとしたワンピースを選んだ。
……わあ。
靴まで、ちゃんとお揃いで用意されている。身支度を整えて、鏡の前でくるりと一回転。
……うん。
我ながら、可愛い。
少しだけ胸を張って、上機嫌のまま扉を開けた。
――そこに。
弟が、待っていた。
気分は、一気に急降下した。
「よく似合っているね」
弟は、とても柔らかく微笑んでそう言った。
……そういう笑顔は、意中の女性に向けてください。
きっと騙されますから。
さっき、私のお腹を触ったでしょう!
怒ってるんですからね!
私は少し上目遣いで睨んでから、黙って弟の上着を差し出した。
「……ありがとうございます」
小さな声で、そう言う。
……人間として、お礼は大切。
不本意だけど。




