牢の中にて
牢の中には、弟と私だけの世界があった。
外の音は、遠い。
鉄格子の向こうにあったはずの屋敷も、人も、今はまるで別の世界の出来事のようだ。
弟は、静かに口を開いた。
「このロケットはね……」
その声は、先ほどまでの緊張を帯びたものとは違い、どこか柔らかかった。
「君と同じ、目と髪の色を持つ女性にあげたんだ」
服を着た私は、膝を抱えて座り込んだまま、顔を上げなかった。
「でも、その人は……いなくなってしまった」
弟の声が、ほんの少しだけ揺れる。
「ずっと、探していたんだ」
少し間を置いて、弟は続けた。
「……彼女を、愛していた」
胸の奥が、どくりと動いた。
「もしかしたら……彼女は、赤ちゃんを宿していたかもしれないんだ」
静かな牢の中で、その言葉だけが重く落ちる。
「君は、彼女と関係があるのかな?それとも……単なる偶然なのかな?」
私は、小さく首を振った。
「……知らない」
本当に、知らなかった。
物心ついた頃から、私は猫だった。
母さんも猫だった。
ロケットは、ずっと傍にあった。
それだけが、私の知っているすべてだ。
弟は、少し考えるように黙り込んでから言った。
「このロケットは、返すよ」
私は思わず、胸の前でそれを握りしめた。
「彼女へ繋がる“鍵”だと思っていた。でも……」
弟の瞳が、私を真っ直ぐに捉える。
「君が、彼女の鍵なのかもしれない」
その視線には、微かな熱が宿っていた。
すっと背中を冷たいものが走る。
私は、ロケットを離さなかった。
……明日、どうなるのだろう。
答えの出ない問いが、胸の中で渦を巻く。
私は、そっと瞼を閉じた。
鉄と石に囲まれた牢の中で、
いつの間にか、深い眠りに落ちていた。
目を覚ました。
……知らない、部屋?
一瞬そう思って、すぐに違うと気づく。
ここは、牢だ。
冷たい石の床。
鉄格子。
昨夜の出来事が、ゆっくりと頭の中に戻ってくる。
身体を起こして、ぐるりと見回すと――
座っていた弟と、目が合った。
目の下には、はっきりとした隈がある。
どうやら、ほとんど眠っていないらしい。
「おはよう」
弟が、穏やかに言った。
「……おはよう、ございます?」
思わず、変な敬語になった。
視線を落とすと、ずり落ちかけた毛布が目に入る。
それを引き寄せて、気づく。
これを……かけてくれたのだろうか。
「毛布……ありがとうございます」
そう言うと、弟は少しだけ視線を逸らして言った。
「君が、風邪をひくといけないと思ったんだ」
……本当に、昨夜と同じ人なの?
あの、ロケットを奪おうとした男と、
今、目の前で穏やかに話すこの人が?
私は弟の顔を見つめて、ぽつりと聞いてしまった。
「……もしかして、寝てない?」
弟は一瞬だけ黙ってから、小さく笑った。
「突然、君がいなくなるかもって思ったら……眠れなかった」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
でも、弟の瞳にある熱を見て、私の背中に、ひやりとしたものが走った。
優しさなのか、執着なのか、わからない。
私、何か……されてない?
思わず身体が強張った、その時――
ふと、違和感に気づいた。
私、人間のままだ。
手も、足も、声も。
猫に戻っていない。
……心臓が、どくんと鳴った。
「朝食だ」
唐突に、牢の外から声がかかる。
差し出されたのは、簡素な食事。
一つは大人用で、もう一つは子供用だった。
弟はそれを受け取り、迷いなく私の方へ差し出す。
「こっちでいいよな」
私は、少しだけ頷いた。
……こんな状況なのに。
湯気の立つ食事を前に、
現実感だけが、静かに戻ってきていた。




