私は、人間になっていた
公爵は、静かに明かりをつけた。
橙色の光が部屋を満たし、男の手に握られているものを照らし出す。
「……どうして、お前がここにいる」
公爵の視線が、弟へと向けられる。
「そのロケットは、何だ」
弟は短く答えた。
「兄さんには、関係ない」
そう言って、床へと視線を落とす。
公爵は、しばらくロケットを見つめ――やがて、眉をひそめた。
「……待て。見覚えがある」
弟の手から、目を離さずに言う。
「それは、以前辞めた侍女が持っていた物ではないか?」
弟の肩が、わずかに揺れた。
「……彼女は、兄さんにそれを見せたのか」
「ああ」
公爵は頷いた。
「それを見せた直後に辞めた。だから、気にはなっていた」
「……そうか」
弟は項垂れ、小さく呟いた。
その時――。
「返して」
私は、声を出した。
「それは、母さんのなの」
公爵が、はっとしてこちらを見る。
「……誰だ、この子は」
その言葉に、胸が強く脈打った。
――誰?
その瞬間、私はようやく理解した。
私は、猫ではない。
人間の姿になっている。
視線の高さ。
手足の重さ。
呼吸の仕方。
前世の記憶があったから、それを「違和感」ではなく、懐かしい感覚として受け止めてしまっていたのだ。
一歩、後ずさる。
そのとき――。
「猫だよ」
弟が、私を見つめて言った。
灯りに照らされたその瞳は、私から一瞬たりとも逸れていなかった。
「……猫が飛びかかってきたんだ」
弟は、かすれた声で言った。
「だから、とっさに外套でくるんだ。そうしたら……その中から、この子が出てきた」
弟の視線が、私に向けられる。
「……猫だったはずだ」
部屋が、静まり返る。
「……本当なの?」
少年が、恐る恐る口を開いた。
弟は答えず、ただ黙っていた。
少年は、私だけを見つめた。
「前に、先生が言ってた」
小さな声だったが、はっきりと響いた。
「獣にも、人にもなれる存在がいる、って。……そうなの?」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「……知らない」
息が、苦しかった。
うまく吸えない。
「でも……」
少年は、なおも私を見つめる。
「その髪も、目も……猫と同じ色だよ」
一歩、近づいてくる。
「……そう、だよね?」
――もし、そうだとしたら。
私は、どうなるの?
頭が真っ白になった。
考えられない。
怖い。
私は、衝動的に駆け出した。
「……!」
扉へ向かおうとした、その瞬間。
「そっちじゃない」
手首を、掴まれた。
弟だった。
強くはないが、逃がさない力。
「君は……」
弟は、静かに言った。
「ここに、いるんだ」
その言葉が、逃げ道を塞いだ。




