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公爵に捨てられた侍女の子供ですが、猫として生きていきます  作者: りな


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15/89

男は公爵家に忍び込んだ

今日は、家庭教師が来る日だった。

少年は机に向かい、私はその足元で丸くなる。

家庭教師は、少年にも、そして猫である私にも分かるように、ゆっくりと言葉を選んで授業を進めていた。

「では、ここはどう思う?」

問いかける声は柔らかい。

少年が考え込むと、家庭教師は急かさず、待つ。

私はじっと耳を傾けていた。

おそらく――人間のように。

家庭教師は、ちらりと私を見た。

猫は驚くほど大人しく、視線を逸らさず、言葉の流れを追っている。

本当に、話を聞いているように見えた。

(……前にも)

ふと、一年前の記憶がよぎる。

痩せて、毛並みの悪い猫だった。

決して人に懐こうとはせず、近づけば距離を取り、撫でようとすれば身を引いた。

でも、あまりに哀れで、家庭教師は時折、茹でた肉を置いていった。

猫は、食べる。

だが、決して寄ってはこない。

その瞳が、忘れられなかった。

――まるで、何かに深く傷ついたかのような目。

家庭教師は、その猫を見て、昔出会った一人の老人を思い出していた。あの良くない場所で、自分に帰れと言った老人。

自分の拒絶の言葉に対し、悲しみと寂しさが混じった、あの瞳。

やがて、猫の腹は少しずつ大きくなっていった。

そして、ある日、忽然と姿を消した。

どこへ行ったのかは、分からない。

よくある色の猫だった。

特別な特徴もない、どこにでもいる毛色。

――けれど。

今、少年の足元にいるこの猫は、

あの猫と、同じ色をしている。

家庭教師は、思わず目を細めた。

(……まさか)

あり得ない。

そう、思いながらも。

その猫が、静かにこちらを見返してくる。

知性を宿した、落ち着いた瞳で。

家庭教師は、何も言わなかった。

ただ、授業を続けた。


その日は、ごくごく普通の日だった。

屋敷の灯りはすべて落ち、

人々は深い眠りに沈んでいる。

そんな夜更け――

忍び込む影があった。

あの男だ。

暗闇の中でも迷いはなかった。

かつて暮らしていた屋敷。

床の感触も、壁までの距離も、身体が覚えている。

男は音も立てずに進み、

少年の部屋へと辿り着いた。

扉を静かに開ける。

室内は、しんと静まり返っていた。

男は目的の引き出しへ向かい、

慎重に開ける。

――あった。

小さなロケット。

それを手に取り、

ポケットへ入れようとした、その瞬間。

影が、跳んだ。

「――っ!」

猫だ。

一直線に飛びかかってくる。

男は反射的に腕で防いだ。

猫は着地し、唸り声を上げて威嚇する。

小さな身体に、不釣り合いなほどの執念。

「……厄介だな」

男は外套を脱ぎ、

再び飛びかかってきた猫を包み込んだ。

外套の中で、激しく暴れる感触。

男はロケットを確実にズボンのポケットへ入れ、そのまま立ち去ろうとした。

――だが。

急に、外套が重くなった。

ずしり、と。

猫にしては、明らかに異様な重さ。

「……?」

違和感に、男は足を止める。

次の瞬間、

男は思わず外套を取り落とした。

床に落ちた外套が、ほどける。

その中から――小さな人影が、起き上がった。

猫ではない。

小さな女の子だった。

少し伸びたの髪。

小さい肩。

男の外套に包まれ、ふらりと立ち上がる。

男の思考が、完全に止まった。

「……な……」

声にならない音が、喉から漏れる。

女の子は、まっすぐに男を見上げた。

その瞳を見た瞬間、

男の胸が、強く締めつけられる。

忘れたと思い込んでいた、あの瞳。あの色。

女の子は、小さく息を吸い――

「……待って」

震える声で、そう言った。

「それは……母が、守っていたものなの」

静まり返った部屋に、

その言葉だけが、落ちた。

男は、ただ立ち尽くしていた。

逃げることも、否定することもできずに。


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