男の回想
侍女は、男の部屋にそっと食事を運んできた。
無駄のない動きだった。
音も立てず、必要な物だけを手際よく並べていく。
「……手慣れているな」
男がそう言うと、侍女は小さく頷いた。
「昔、孤児院にいましたので。
怪我の手当ては、日常でした」
それ以上、彼女は何も語らなかった。
男は、静かに驚いた。
孤児院出身の者が、公爵家の侍女になるなど、まずあり得ない。
よほどの後ろ盾がなければ、不可能だ。
(誰かの愛人の子か?)
そう思いかけて、すぐに否定する。
それなら、なぜ孤児院にいたのか。
それとも、特別な援護でもあったのか。
男は、怪我が癒えてから、密かに彼女の素性を調べた。
結果は、意外なものだった。
彼女は、確かに孤児院の出身だった。
ある日、まだ幼い子供が突然、孤児院を訪れ、
「ここで、生活をしたいのです」
そう頼んできたという。
酷く汚れた服を着て、
痩せ細り、年齢も分からないほどだったらしい。
その子は、必死に文字を学び、
礼儀作法や教養を身につけていった。
やがて少女と呼べる年頃になると、
小さな男爵家で侍女として働き始めた。
働きぶりを認められ、
次は侯爵家へ。
そして、伯爵家へ。
——異例の道のりだった。
だが、それを成し遂げたのが、彼女だった。
男は、資料から目を離し、
ふと、彼女の細い姿を思い浮かべた。
今までとは、違うものに見えた。
ただの哀れな女ではない。
何か、
——まるで、別の生き物のように。
その日は、少年の四歳の誕生日だった。
男は、もう公爵家にほとんど寄り付かなくなっていた。
だが、兄の子の誕生日くらいは祝おう、という程度の優しさは残っていた。
贈り物を手に、公爵家を訪れる。
屋敷は、いつもと変わらぬ様子だった。
侍女も、変わらずそこにいる。
その日は祝い事だということで、
珍しく使用人たちにも酒が振る舞われていた。
(……珍しいな)
男は、そう思った。
夜が更けるにつれ、屋敷は賑やかさを増していった。
公爵に捕まって話し込んでいた男は、頃合いを見て帰ろうとした。
外へ出た途端、寒気が走る。
「くしゅん」
思わず、くしゃみが出た。
「風邪気味か?」
公爵が、怪訝そうに言った。
「上着を貸してやろう。後で返せよ」
そう言って、公爵は自分の上着を差し出した。
「分かってるよ」
男は苦笑して受け取る。
公爵は、弟を出来が悪いとは思っていたが、
憎んでいるわけではなかった。
男は、公爵の上着を羽織った。
そのまま中庭を通り抜けようとして、足を止める。
——そこに、あの侍女が座り込んでいた。
「……?」
近づくと、微かに酒の匂いがした。
どうやら、酔っているらしい。
男は、彼女の肩に手を伸ばした。
「こんなところで寝ていたら、風邪をひくぞ」
そう声をかけながら、彼女を起こそうとした。




