35話 invasion
ぼんやりと天井を眺めた。
周囲のけたたましく騒ぐ声も他所に、俺の心は「無」の境地に達している。
上手く動かせない手首は少しばかり揺らすだけで金属が擦れるような音がして、足をバタバタさせたところで椅子と共に転げる落ちるのが関の山だ。
つまるところ、打つ手なし……静かに天井から視線を戻して重い溜息を吐き出した俺は、眼前の異常事態に目を向けて声を出す。
「おい、この手錠を外せ」
「いや」
「や〜!」
雨乃を弄り倒しながらケラケラと笑う二人の悪魔。
否、二人の魔王。
「外せ!」
「いや〜!」
「や〜!」
紅星夕莉と紅星夕菜、我が家が誇る最低最悪の双子魔王が平穏な伊勢家に現れた。
・・・
話は少し戻り、放課後だった。
俺が望外なご褒美を貰い、照れくさそうにしている雨乃と楽しく帰路に着いている時だった。
不意に雨乃が立ち止まる。
「……」
「どったの、雨乃さん」
「いや、なんだろうコレ」
雨乃はウンウンと唸りながら、いつになく切れ味の悪い言葉をモゴモゴと吐いている。そんな雨乃の姿はあまり見覚えがなく、俺は心配しながら忠犬のように彼女の周りをグルグルと回った。
「うっさい」
「ぐぇ……喋ってない」
「無言で私の周りをウロチョロしないで」
頬を片手でグッと掴まれてその場に拘束される俺。
「なんかすんごい嫌な予感する……」
「なんで?」
「いや、わかんないんだよね……なんて言ったらいいんだろ? すんごい嫌な感じ」
脳裏を過ぎるのは旭の顔、近頃何かと症状関連で物騒なので思い込みだとは断じ辛い。
「うーん……どうしょっか」
「え、雨乃さんが分かんないなら俺も分かんねぇんだけど、全部雨乃が決めてよ」
「なにそれ……まぁ大丈夫か? うん、多分大丈夫だ」
「おっかねぇ、警戒はしとくよ。とっとと帰ろうぜ」
今にして思えば、その選択は大いに間違いだった。
俺があの時すべきだったのは雨乃の手を引いて逃亡を図ることだった、旭程度生ぬるい、本物の悪魔が今か今かと我々の帰りを待っていたのだから。
「ま、なにがあっても俺が守るよ」
「頼もしーい、遠慮なく盾として使うから」
「酷いね、雨乃さんってば」
軽口を叩きながら、俺達はいつもより足早に家に向かう。いつものように雨乃が玄関に鍵をさして回す、ガチャりという音と共に鍵が空いて、俺達は玄関に入り、扉を閉めた。
最後のチャンスだった、逃亡する最後のチャンスだったのに!
「……」
「……」
不穏、その二文字が我々の頭をよぎった。
玄関はいつも通りだったのに室内……扉で遮られたリビングの向こうから嫌な気配が漂っている。
雨乃は恐る恐る靴を脱ぐ、俺は頑なに靴を脱がなかった。何が居るのか、本能で理解していたのかもしれない。
「夕陽……?」
不安げな顔で振り返り、俺の名を呼ぶ幼馴染。
そして……その背後には魔王の片割れ。
「おっかえりー! アーンド捕獲!」
「ひっ!? ゆ、夕菜!?」
「じゃあな雨乃! 達者で暮らせッッッ!」
玄関から死角になる位置に隠れていた姉の片割れ、紅星夕菜が雨乃にガバッと覆いかぶさり、彼女を捕獲した。
心底靴を脱いでなくて良かったと思った俺は、早々に彼女を見捨てる選択をして、踵を返して玄関の扉に手をかける。
「嘘でしょ! 守ってよ! おい、逃げるな夕陽ィィィ!」
「すまん無理だ! さらば!」
玄関の扉を開け放ちながら叫ぶ俺、眼前には女が立っていた。そう、夕菜の片割れ……紅星夕莉が満面の笑みで待ち構えている。
「なっ!?」
「ざんねーん、捕まえた〜」
ガチャり、手に嵌められるのは冷たい鉄の塊。
「お、おい……嘘だろ……手錠ってマジかよ」
「ざまぁないわね! 私の事見捨てて逃げるからそうなんのよ!」
手錠の片方は夕莉に繋がれていた、つまり逃げられない。つーか雨乃、お前笑ってるけど状況わかってんの?
「おかえり、夕陽」
「おかえり〜、雨乃」
ニコニコと笑いながら俺達を逃がさない双子魔王。
「あれ? ただいまは?」
「挨拶、出来ないの〜?」
「「ただいま! 2人共!」」
そうして時間は現在に早送り。
・・・
「あんたの姉でしょ、なんとかなさい」
二人に両脇を固められて髪の毛を弄られている雨乃が心底恨めしそうな面で俺を睨む。
無茶言うな、俺の現在の姿を見てみろ、両手が手錠と共に椅子に縛り付けられているんだぞ。
「おい、バカ二人! いい加減手錠外しやがれ!」
「は? アンタいつから私達の上に立った訳?」
「なにその言葉遣い? 可愛くな〜い」
「……外してくださいお願いします」
「外してくださいお姉ちゃん……でしょ?」
「弟の癖に姉を軽視し過ぎ〜」
こ、このクソ姉共……!
なぜこの年でお姉ちゃん呼びなんぞしなけりゃならないんだ。
「外してください夕莉お姉ちゃん、夕菜お姉ちゃん」
俺が屈辱に耐えながら唇を噛み締めて呟くと、2人は顔を見合せてきゃきゃっと笑う。
「「いや〜」」
「ぶっ殺してやる! ぶっ殺してやるからなお前ら!」
「うっさいわね夕陽」
「ぎゃぁ!」
舌打ち混じりに立ち上がった夕菜は俺の腹に足を置いてそのまま後ろに蹴り倒す、椅子と共に地面に叩きつけられた俺の腹から足をどかさないままで、夕菜は俺の顔を覗き込む。
「生意気になったものね、年始に教育してやったのもう忘れちゃったの? ねぇ?」
「ご、ごめんなさい」
「そうそう、弟が姉に逆らおうなんざ100年早いのよ」
「た、助けて雨乃!」
「無理よ、生かされてるのが奇跡」
雨乃の声に覇気がなかった、彼女はもう何もかも諦めてツインテールをぶら下げながら夕莉に髪をいじられていた。
え、雨乃さんツインテール可愛いね……でも尊厳破壊されたような顔してますね。
「夕陽ィ、アンタさ? お姉ちゃん達が居ないところで好き放題やってるらしいじゃない」
「ぐぇぇ! 重い!」
俺の腹に腰を下ろして、ぺちぺちと頬を叩く夕菜。
「あん? おい愚弟、お姉ちゃん達はお前になんて教えたっけ? 復唱」
「1つ! お姉ちゃんには逆らわない! 2つ! 女性に大して失礼なことは言わない! 3つ! お姉ちゃんに生意気なこと言わない!」
「はい、よく出来ました。その上で聞くわ、お姉ちゃん重い?」
「いえ重くありません! 羽を乗せているのかと思うくらいに軽いです」
「あらー、いい子ね夕陽」
乱雑に頭を撫でられる、撫でられると言うよりも引っぱたかれているに近い。
夕菜……真性のドS、世界は自分の都合で回っていると思っているヤベぇ姉貴。
それに比べればまだ、夕莉の方が話が分かる。俺は一か八か、夕莉の名前を呼んだ。
「夕莉お姉ちゃん! 助けてください!」
「え〜、なになに〜? 助けて欲しいの?」
夕莉……面白ければ何してもいいと思っており、世界は自分達の玩具箱だと思っているやべぇ姉貴。
「何でもします!」
「へぇ〜、なんでもするんだぁ」
ぷにぷにと俺の頬を突っつきながら思案する夕莉、そして彼女達の背後で俺を犠牲に逃げようとする雨乃。
「お姉ちゃん達の言うこと聞くなら手錠、外したげよっかな〜」
「はい、言うこと聞きます! 雨乃が逃げようとしています!」
「夕菜〜」
「ほいほーい、雨乃たーん! ストップだよ!」
「クソ夕陽! 私の事売ったわね! 絶対許さないから!」
夕菜に捕縛され絶叫する雨乃、すまん雨乃……一人でこの二人を相手するのは無理なんだ、肉体の痛みは飛ばせても心の傷は拭えないのだ。
俺は雨乃を売った功績により、ようやく手錠を外されて自由の身になる。
「そんで、何しに来たんだよお前ら」
「「あ?」」
「何しに来たんですかお姉ちゃん達」
「そりゃ勿論、弟の様子を見に来たのよ。ちゃんと健康にスクスク育ってるのかとか」
「色んな人に迷惑かけてないかなぁ〜、とかね〜」
「そうか、俺は健康で周りとも仲良くやっているよ。雨乃お客様のお帰りです!」
「ありがとうございました! 二度と来るな!」
瞬時に夕菜の捕縛から逃れ、俺の影に隠れながら吠える雨乃。
「雨乃たーん? 私たちは弟を見に来たけど妹も見に来たのよ? 呼び方、違くない?」
「そうだよ〜、雨乃も立派な私達の妹なんだよ〜? なんて、呼ぶべきなのかな〜?」
「夕菜姉ぇ、夕莉姉ぇ、ごめんなさい」
「「よく出来ました」」
学内では狂犬と恐れられる雨乃でさえ本物の前では可愛らしいパピーだ。俺の背後でブルブルと震えながら恐る恐る二人の名を呼ぶ。
「いつまでいらっしゃるつもりですかお姉ちゃん方」
「うーん? 何日居ようか夕莉」
「そうだね〜、4日くらい? 二人にはいつまでも居ていいよって言われてるけど〜」
「社交辞令に決まってんだろうが! 明日には帰れ!」
「何よ、久しぶりに弟に会えて嬉しいお姉ちゃん達をすぐ返そうとするなんて、姉不幸者ね」
「姉不幸者〜」
「お前らが弟不幸者だろうがよ! いいのか、あんまし聞き分けねぇと兄貴にチクんぞ!」
4日も居られたら100パーセント、円形脱毛症になる。
兄貴を出された双子の悪魔は思いっきり顔を顰めて舌打ちした。
「あのクソ兄貴にチクったら燃すからね」
「何を燃やすんだよ!?」
「ダメ兄貴は卑怯だぞ〜」
我が家の力関係は明白だ、最上位に母、その次が兄貴、中間が双子で、その次がルンバ、そして最下層に俺と親父。つまり、兄貴の一喝があればコイツらは自由にできない。
というか我が家の大黒柱なのに扱いがルンバより下な親父に涙を禁じ得ない。
「ま、そこら辺はノリで決めるわ。とりあえず、お腹空いたわねなんか食べいく?」
「あ、ピザ取ろうよピザ〜」
「奢り?」
「やぶ蛇よ夕陽、ケツの毛まで毟られるわよ」
「雨乃たーん? 私らのことなんだと思ってんのよ」
「雨乃たん? そこまで私ら酷くないよ〜」
いや酷いだろ割と、その言葉をぐっと飲み込んで笑顔を作る。まぁ奢ってくれると言うならば拒否するのもアレだ、それに宅配ピザなんてジャンクなもんは伊勢家では滅多にない、そこそこ嬉しい。
「夕陽、アンタなんか選びなさいセンスで」
「センスセンス〜」
「タチの悪ぃ部活の先輩かよ……ったく、雨乃たん任せた」
「雨乃たん呼ぶな……分かった、なんか適当に頼む」
さて、雨乃がピザを頼み姉2人も大人しくテレビを見ている今が脱出のチャンスだろう。俺はできるだけ音を立てないように素知らぬ顔して出口に向かう。
「夕陽〜、ストップだよ〜」
「夕陽、アンタお姉ちゃん達の間に来なさい?」
コチラに一瞥もくれずに俺の逃走を見透かした姉共は、俺を真ん中に挟み逃げられない体制を構築する。
お前らまじで何なの? 後頭部に目でも着いてんの? 魔族だろやっぱり。
「お姉ちゃん方、あのマジでいつ頃帰られるんですかね」
「琴音さんから4日後体育祭って聞いたからね、それまではいようかな」
「そうそう、夕陽と雨乃たんの活躍見たいし〜」
うわー、来ないで欲しい学校に。
本気で幾ら払ったら帰ってくれますかね?
「100万くらいでしょ」
「雨乃さん持ってる?」
「夕陽、あんた臓器売って来なさい」
「無茶言うなぁ!?」
雨乃は最早厄災を祓う為ならば俺に対しての配慮がないらしい。まぁ身から出た錆が過ぎる案件だ、雨乃を巻き込んで申し訳ないという感情も確かにある。
俺は両サイドを姉二人の足置きにされながら思案する、この情けない現状をひっくり返す最前の一手を模索する。
俺の脳内のCPUが弾き出したのは……!
「あっ、お前ら今何してる? ピザパしねぇ? 雨乃とピザ取る話しててさ、今から来いよ奢るからさ」
『え!? まじ!? 激アツじゃねぇか、今から行くわ』
『ユッヒー太っ腹ァ!』
『たまにはやるね、コーラ買ってくるよ』
なんの躊躇いもなく幼馴染グループのグループ通話を起動して、哀れな被害者を増やすことにした。
木を隠すなら何とやらだ、被害者が5人に増えればその分だけ、俺の被害が減る計算だ。
「雨乃、ピザあと2枚くらい頼んどいて」
「……アンタ、最悪ね」
「じゃあ来んなって言う?」
「いや、何も言わないでいいよ、絶対に逃がさない」
雨乃もどうやら全面的に同意らしい。
姉二人はキョトンとしながら俺の顔を見ているので「俺の素晴らしい姉達と俺の親友達を合わせたいんだ」と心にもないことを言っておいた、2人共咽び泣きながら俺の頭を撫で始める。
「来たぞー!」
それから程なくして、チャイムがなり外からは馬鹿な瑛人の声と残りの二人の声が聞こえてきた。
俺は雨乃に目配せを送り、姉二人を上手く隠すように頼む。急いで玄関の鍵を開けると、ピザを奢ってもらえるとウキウキしながら来た哀れな被害者三人。
「どうしたんだよ夕陽、珍しいなお前が奢るなんてよ」
「たまにはやんじゃんユッヒー! あ、これお土産ね」
「ボクはコーラ買ってきた、でっかいやつ」
「気を使わなくて良かったのに、いやマジで」
善意に満ち溢れた優しい笑顔の3人に少しばかり胸が痛むが……いや痛まねぇな大して。
「ま、ほら靴脱いで上がれよ」
各々楽しげに靴を脱ぎ玄関に上がる、俺はその隙に家の鍵を閉めた。
「……待て夕陽、なぜ閉めた?」
「ん? 防犯だよ防犯、ほら何かと物騒じゃん」
「おい静音、夢唯逃げるぞ嫌な予感がする」
チッ! 普段役に立たねぇくせに何故こんな時ばっかり要らない勘を働かせるんだこの男は。
俺はイラつきを笑顔で隠して「まぁまぁ」と瑛人の肩に手を回してリビングの扉を開ける。そして三人を中に突き飛ばした。
「「みんな、久しぶり〜!」」
「クソッ……そういう事か! 散開ッッッ! 」
「雨乃ッ! 逃がすな!」
「静音と夢唯は抑えたわ! 瑛人は頼んだ!」
リビングで笑顔で手を振る2人を見た瞬間、青い顔をして全力逃亡の構えを取る三人、すかさず隠れていた雨乃が静音と夢唯を押さえつけ、俺は暴れ馬瑛人と取っ組み合い。
「てめぇ夕陽ィ! やりやがったなぁァァァ!」
「生贄は1人でも多くが紅星家の家訓なんでなァ! すまんが大人しく死んでくれや親友!」
「お前の身内だろうがよ! 巻き込むんじゃねぇ!」
「お姉ちゃん達! 今だ!」
「ほいきた!」
「ほいほ〜い!」
俺が瑛人相手に時間を稼いでいる隙に姉二人が素早いコンビプレイで瑛人の両手両足に手錠を嵌める。
その姿を青い顔しながら震えてみる二人。
「や、やられた、死ぬんだ私達」
「ゆ、夕陽! 頼む、ボクだけでも見逃してくれ!」
「だってよ雨乃、どうする?」
「みんなでピザパーティしましょう? ね、2人共」
「「いやだぁぁぁぁぁぁあ!」」
哀れな生贄三人を目にして、上機嫌な双子魔王。
「瑛人ー? あーんなに遊んで上げたのに随分な言い草じゃない? ねぇ? 」
「い、嫌だなぁ夕菜さん、嬉しくて泣きそうなだけですよ」
「静音も夢唯も私達に会えて嬉しくな〜い?」
「う、嬉しいよ夕莉ちゃん!」
「ぼ、ボクも嬉しいです! お願いしますお家に返してください!」
酷い光景だ、本当に……若干良心が痛む。
「しょうがないよ夕陽、必要な犠牲だもん」
「あぁ、確かにそうだな。バイクの音するぜ、ピザ来たんじゃね?」
「取りに行こうか、量多いし。手伝って夕陽」
「おう、今は標的向こうだから休めるな」
こうして幼馴染の甚大な犠牲により束の間の休息を得られた俺と雨乃は、二人で肩を落としながらピザを受け取りに向かうのだった。




