17話 insecure
白と黒のツートンカラーの巨乳少女に行く手を塞がれる数十分前の話だ。
俺は雨乃からの「卵買ってきて」との連絡を受けて近所のスーパーで買い物を済ませて帰路についていた。
すると突然視界を覆われたのだ。
「だーれだ」
その声の主は雨乃のものだった、疑う余地の欠片もなく雨乃の声であったのだ。
だが強烈な違和感が襲う。
本能がこれは雨乃じゃないと告げていた……その証拠に目を覆っている手の温度が雨乃の温度じゃない。
彼女の手はもっと暖かい、こんな冷たい手じゃない。
「誰だテメェ」
「私だよ夕陽」
「今ので確信した、夕陽のイントネーションが微妙に違ぇ。誰だテメェは!」
手を振り払って距離をとる、振り返った先に居たのは雨乃だった。
長い黒髪、大きな瞳、今にも折れそうなほど華奢なのに芯の通った立ち姿。そのどれもが俺のよく知る雨乃そのものだ。
「酷いね夕陽」
「いんや違う……雨乃じゃねぇ絶対に」
「なんで分かったんすか」
「温度が違ぇ、俺を呼ぶ声が違ぇ……それになにより雨乃はそんな甘ったる喋り方しねぇ」
「ちぇ、つまんないの」
目の前の雨乃が指を鳴らした、その瞬間激しい頭痛が走る。思わず手の中のビニール袋をアスファルトに落としてしまった、卵の割れた音が人気のない道に響いた。
「んだ、これ……」
「あぁ、お気になさらず。すぐ止みますよ、後遺症みたいなもんっす」
雨乃の姿が霧散するようにして、俺の目の前に現れたのは白と黒の髪の毛を肩口で切った背の低い女の子。
胸は大きく、表情から伝わる態度もデカイ。
つまり、彼女は南雲の言っていた暁姉妹を襲われせた黒幕である。
「んだよ、話はえーな探してたんだよお前を」
「いやん、照れちゃうっすねぇ」
「照れるって言うんならもっとらしい表情しろや、んな剣呑な面で言われたって嬉しくねぇよ」
女は誘うように俺を見ていた。
気が抜けない……先程の雨乃の姿は間違いなく症状だ。
だが、それがなんの症状なのか分からない、暁姉妹と同じく幻覚・幻聴の症状か? 同じ症状持ちっているのか?
考えれば考えるほど分からなくなっていく。
「おぉ、考えてますねぇ」
「考えたくねーんだよ、本当は。だからとっとと正体吐いてくれると助かるんだが」
一歩、踏み出した瞬間だった……何かが頬を掠めて消えた。そして数秒もしないうちに液体が頬を伝う感覚と確かな痛みが飛来する。
「ッ痛てぇな……なにしやがる」
「やっぱり、不意打ちだと夕陽さんの痛覚遅延は発動しないんすね? さっきの頭痛を遅延させなかった所を見るに脳みその痛みも飛ばせない?」
「なんだよ、名前も症状も割れてんのか? いよいよお前が何者か本気で知りたくなってきちまったよ」
南雲に連絡……を送るような隙は見せてくれないだろう。今すぐ逃走も、ここで待ち伏せされていた事を見るに家も割れてると考えていい。俺が家に逃げ込めば雨乃も危ない。
つまり、一人でコイツをどうにかするしかない。
「あはっ、目が変わったっすね」
楽しそうに、悪辣に笑う。
「そりゃそうだ、テメェをここで逃がすって選択肢は無くなっちまったよ」
「いきなり攻撃したのはごめんなさいっす。でもでも、お話したいだけなんですよ」
「人様の頬切り裂いといてお話したいだぁ? 脳内お花畑かよ」
「夕陽さん的にも悪い話じゃないっすよね? 貴方もウチに聞きたいこといーっぱいあるでしょ?」
確かにそうだが、この手の手合いに主導権を握らせたくはない。だが、明らかに情報も状況も最悪だ……ここは大人しく彼女の提案に乗るしかない。
「荒事する気はねぇんだな?」
「ないっすないっす! 全然ないっす! ただぁ、ウチは夕陽さんとお話したいだけで」
「チッ……分かった十分だけお話してやる」
「じゃあそこの公園で!」
彼女は心底嬉しそうにガッツポーズをすると足早に公園に駆けていく。俺はアスファルトに落としてしまったビニール袋の中身を覗いてゲンナリした、全部割れてるわ。
あの女に卵代請求してやることを心に固く誓った。
・・・
そうして時刻は今に戻る。
俺はまんまと彼女の誘いに乗って公園に入り、その出口は彼女が塞いでいる。
「夕陽さん、生で見る方がカッコイイっすね」
「そりゃどうも、生でって事はお前この前の廃墟でのアレコレはどっかで覗いてやがったな?」
「はい、全部見てました! カッコよかったっす!」
「仕組んだやつに言われたって嬉しかねーよ!」
暁姉妹を襲わせたのも本気、だが俺を褒めているのもどうやら本気らしい。
「ウチは別に夕陽さん巻き込もうって思ってした訳じゃないんで」
「でも結果的に巻き込まれてんだよ! つーか俺の後輩的にかけといてよく言えたなお前」
「えー? でもでも、アレは暁姉妹が悪くないっすか?」
「あぁそうだな、アレはアイツらも悪い。でも状況操ってたテメェが1番悪い」
「やだぁ、夕陽さんこわーい」
「ムカつくなぁお前!」
期待なんてしてなかったが彼女に反省の色はない、それどころか自分は悪くないと思っている。
「ま、良かったんじゃないっすか? あの子たちは結果的に救って貰えたから」
「俺がボコボコにされてな!」
彼女はニヤニヤと妖艶な笑みを浮かべて軽口を叩きながら、少しづつ俺との距離を詰めてくる。俺はその度に距離を取ろうとするが、そろそろ壁が近い。やはり公園にまんまと入ったのは悪手だったか。
「んで、お前何が目的なの?」
「お前じゃなくて旭っす!」
「んじゃ旭、お前の目的はなに」
「夕陽さんをウチのモノにすることっす!」
「あっそう、本当は?」
「ぶー、つれないっすねぇ! 目的っすか? ただ、症状持ちを回収したかっただけっすよ」
症状持ちの回収……その一言が引っかかった。
「回収ってなんだ? つーか、それならわざわざ不良共に襲わせる必要あったか?」
「そりゃ弱ってる方が回収しやすいっすからね、半殺しくらい期待してたんすけど……使えないっすねぇアイツら」
回収の方はノーコメントだが、後半のセリフに最悪さが詰まっていた。どうやらガキのイタズラってわけじゃないらしい。
「んで、俺の所に来た理由は? こんな痛覚遅延とかいう役に立たん症状を回収しに来たのか?」
「あぁ、その症状は別に要らないっすね本当に、役に立たないし……ウチが欲しいのは夕陽さんっす」
我ながら使えないとは思っちゃいるが面と向かってそんなふうに言われると、少しばかりショックではある。
やめてよ、痛覚遅延君だって一生懸命俺のために頑張ってくれてるんだよ!? クソ使えねぇけどな!
「いや、あの廃墟の一件でウチってば本気で夕陽さんに惚れちゃったって言うかぁ」
旭はモジモジとしながら顔を赤らめて「きゃっ」なんて言う始末である、甘ったるくて食えたもんじゃねぇ。やっぱり俺は雨乃さんくらい塩っけ効いてる方が好きだ。
「うっわすっごい虚無顔、ちょっとショック」
「いやごめん、嬉しいけどまずは友達からで」
「しかもウチがフラれたみたいになってるし!?」
「いやだってお互いのこととかよく知らないし」
「その反応すんの普通ウチじゃないっすかね!?」
こいつ、意外とノリがいいな。
「んで、なんで暁姉妹襲わせたの」
「それは月夜……あっ、これ言っちゃいけないやつでした」
月夜先輩、このタイミングでわざとらしく名前を出したのは罠だろう。
「引っかかんねぇよ、見え見えだろうが嘘が」
「ちっ、意外と頭回るな」
「お前の嘘が露骨なんだよ」
「でも、月夜の関係者ってのはマジっすよ」
「はいはい、いいからとっとと目的やら吐けよ。俺は雨乃以外は女とみなしてねぇからぶん殴るぞ、そろそろ」
「うっわ最低だこの人! 暁姉妹を助けた時のヒーローはどこいっちゃったんすか! カムバーック!」
「やっかましい」
なんだか最近この手の女にばっか絡まれてる気がするなぁ、雨乃さんが恋しい。つーか、そろそろ帰るって言って結構時間たってんだよな。
そんなことを考えているといつの間にか隣に来ていた旭が俺の手を取った。
「てか、夕陽さん私の症状ってやつ気にならないんすか?」
「気になるっちゃ気になる」
「ですよねー! じゃあ私に手を取られたの失敗でしたね」
声色が変わる。
彼女の目付きが豹変する。
まずい、そう思った時には身体に力が入らなくなっていた。
「気を張って距離とってましたけど、楽しくおしゃべりしちゃったら数秒で警戒緩みましたねぇ」
「お前……何する……気だ」
不快な感覚が足元から脳味噌を一直線に貫いた。
痛くは無いが今にも吐きそうな感覚、全身の毛が逆立つような不安が胸からせり上がってくる。
「私の症状は洗脳、条件は相手に触れること」
洗脳……言葉を聞いた瞬間鈍痛がした、かなり不味い症状だ。
今すぐ彼女の手を振りほどいて逃げるべき、だが彼女の手すら振りほどけない、そのぐらい身体に力が入らない。
次第に頭の中は霞みがかって……だんだん、しこうさえもおぼつかなくなっていく。
あ れ、こ れ か な り ま ず い。
「次に目を覚ました時は私の夕陽さんになりましょう。大丈夫ですよ、優しく飼ってあげますから」
だ め だ。
「大丈夫です、意地っ張りですね……ウチに身を任せて、なーんにも考えなくてもいいんですよ」
「ダメに決まってんでしょ」
その声を聞いた瞬間、脳味噌が思考能力を取り戻して身体に力が入る。
だが、ガッと首根っこを引っ掴まれて無理矢理に彼女から引き離された。
「基本的になんにも考えてないんだから、これ以上勝手に甘やかさないでもらえる?」
凛とした声だった、浮き足立つ胸を落ち着かせる静かで冷たい聞きなれた声。
「あ、雨乃!?」
「帰りおっそいから連絡しても出ないし、位置情報見てみれば公園から動かないし、様子見に来たら変な女に絡まれてるし」
「チッ……伊勢 雨乃」
「あら、知ってるの私の事? ならコレが一体誰のものか分かって手を出したわけ?」
既に雨乃は臨戦態勢だった。
俺も身体を起こして雨乃を庇うようにして立ち上がる。
「こいつ暁姉妹を襲わせた奴だ……名前は旭。症状は洗脳で条件は相手の身体に触れること」
「了解……まったく、目を離すとすぐに厄介事を引き連れてくるんだから」
「俺のせいじゃねぇよ!」
「はいはい」
どうする、雨乃を抱えて逃げるべきか?
俺が思考を張り巡らせていた瞬間、雨乃がグイッと俺を押しのけて旭の前に躍り出た。
「あれ、ウチの症状聞いてました? 随分と無防備ですね」
「えぇ、聞いてたわ。でも、アンタ多分私と相性最悪よ」
「へぇ、大した自信っすね。つーかどいて貰えます? ウチ、アンタみたいな高慢ちきな女に用事ないんで。ウチは夕陽さんが欲しいだけ」
「はっ! 何を言い出すかと思えば聞いてなかったの? コレは私のモノだから」
急に私のモノ宣言されるとドキッとしちゃう。
いかんいかん、んな事言ってる場合じゃねぇ。
「夕陽さんもウチの方がいいっすよね? ほら、胸も雨乃さんよりありますし」
「悪いけど夕陽はそんな脂肪の塊に興味無いから」
え、あります普通に。
「黙ってろ」
「喋ってません!」
こっっっわ! 今までで一番怖い……不機嫌にも程がある。
「だいたい何? そんな脂肪の塊一つで私に勝ったつもり? マウント取りたいなら猿山にでも行けば?」
「なにをぉ!? この貧乳高慢ちき女! 平成の負けヒロイン要素全部盛り!」
あっ、言っちゃいけないこと言ったこの女。
確かに黒髪ロング、貧乳、クール系、幼馴染と平成の負けヒロイン要素の全部盛りではあるが。
それにしても効きすぎだろ、雨乃さん。額に青筋立ってますよ。
「無駄乳馬鹿女、甘ったるい声出して男誘うしか脳がない訳? 負けヒロイン具合で言ったらアンタもいい線行くわよ」
おーっと雨乃さん、痛烈なカウンターです。旭選手、額に青筋が立っています。
というか俺置いてけぼりなんですけど、さっきまでのシリアス感どこ行ったんですかね?
「なんなんすか夕陽さん! この女くそ性格悪いですよ!」
「知ってる、可愛いよね」
「ノータイムで可愛いって言った!?」
「はっ、甘いわね調教済みよ」
「えっ、いつ調教されたの俺」
衝撃の新事実である、どうやら長年の共同生活において秘密裏に調教されていたらしい。
「ったくもぉ、ペース狂うっすねぇ」
旭は大きく後ろに跳ぶと、不機嫌そうに溜息を吐いて頭をかいた。
「高慢ちき女が来なけりゃチョロい夕陽さんなんて落とせたのに」
「おいこら、誰がチョロいんだ誰が!」
「まぁ、とりあえず今日はこのくらいで引いときますか。てか、雨乃さんいいんすか?」
「何が?」
「私の思考、読んどかなくて」
挑発するように旭が笑う。雨乃の症状も当然割れているらしい、いよいよどこから漏れたのか謎である。
「私の思考読んだら、色々知りたいこと分かるんじゃないっすか?」
「見え見えの挑発には乗らないわ」
「ふーん、つまんないっすねぇ。んじゃ、今日はこの辺りで」
「おいこら待て」
「夕陽」
追いかけようとする俺を雨乃が手を掴んで静止する、首を横に振っている辺り本気だ。
「では、また会いましょう夕陽さん。貧乳高慢ちき女は二度と会いたくないです、胸がえぐれて死んでください」
「アイツ殺す!」
「待て待て雨乃! お前さっき俺のこと止めたろうが!」
何故か俺が雨乃を羽交い締めにして止める始末、興奮気味の雨乃を止めている間に、いつの間にやら旭の姿は消えていた。
「色々と聞きたいことも言いたいこともあるけれど」
「はい」
「とりあえず、お家帰ろ夕陽」
「雨乃〜!」
やっぱり俺には雨乃が1番だ、この作り物じゃない可愛さが世界一である。
「そういえば卵は?」
「あっ……やっべ」
雨乃は落ちているビニール袋に駆け寄って袋の中を覗くと額に青筋を浮かべていた。
「夕陽、今日チキン南蛮だけどタルタル無しね」
「いや待って、買いに行こう雨乃! ごめんってば、怒んないでよ! 俺被害者じゃん!」
「いっっっも厄介事ばっか引き寄せるんだから!」




