12話 premonition
「なんでよりにもよって雨乃呼ぶんだよ……」
天を仰いで愚痴を漏らすと茜さんは快活な笑い声と共に歩き出し、部屋を出る前に振り向いてから呟く。
「ムカつくなら完治したあとで喧嘩してやるよ」
「死にたくねぇからやんねぇよ! 」
「んじゃ、後は任せるよ雨乃。馬鹿の看病は得意だろ?」
「えぇ、大得意よ。わざわざ連絡ありがとう茜さん」
茜さんは雨乃の肩を軽く叩いて何故か抱きしめると満足気な顔をして保健室を去っていった。
雨乃は少し顔を赤らめながら咳払いをすると、静かにゆっくりと勿体ぶるようにコチラに歩み寄ってくる。
「なんで頼らないかな、夕陽は」
「……心配かけたくなかった」
「心配するよ、てかずっとしてるし今更ね」
溜息を着くと茜さんが座っていた椅子に腰掛け、俺の制服に手を伸ばした。そのまま服を捲りあげると俺の腹部にひんやりとした手を置く。
「雨乃ちゃんのえっち〜」
「あら、意外と余裕そうね? ぶっ叩いていい?」
「死ぬからやめて」
軽口を叩く今ですら痛みでどうにかなりそうなのだ、今軽くでも叩かれたら死んでしまう。
「体は元に戻ってるのにね」
腹部の痣は既になく凡そ健康的とさえ言える腹筋、されどその奥では地獄の苦しみだ。誰かが腹の中でパーティーしてるみたい、騒音と振動で今にも吐きそうである。
「吐く? ビニール持ってこようか?」
「いい……さっき吐いた」
「あら、一人で吐けたの? 偉いじゃない」
「子供じゃないんですけどね」
多分今八発目、乗算される痛みで既に何発目か分からなくなりそうだが腹部に伝う架空の衝撃がカウントには役に立つ。燃えるように腹の芯が熱を帯びている、内側から焼くような鋭く突き刺す痛みに瞼が痙攣する。
「痛くて泣いてる内は子供よ」
雨乃は顔を覆う俺の手をどかしてそっと溜め込まれた涙を拭った。
「これに懲りたらもう馬鹿な真似しないでって……言ったところで無駄でしょうね」
「……毎回次はやんねぇと思うんだけどねぇ」
いざと言う時はついやっちゃう、よく雨乃の母親が「もう二度と酒は飲まん!」と宣言した翌日にベロベロになっているのと同じ、ついついが癖になっているのだ。
「ま、失神してないだけいつもよりマシじゃない?」
「失神する方がマシな方がヤバいんだッッ〜! けどね!」
「はいはい、喋んないの。ほら目閉じて、収まるまで傍に居てあげるから」
「いいから教室戻れよ、五限始まんだろ」
「瑛人に上手いこと言っとくように頼んでるわよ、大体その状態の夕陽放っておけるわけないし」
優し顔でそう微笑んで雨乃はそっと俺の手を握った。
「ほら、ね? 私がこうしてれば少しはマシになる、昔からそうでしょ?」
握られる掌から雨乃の暖かさが伝わってくると、本当に嘘みたいに少しだけ痛みが軽くなるような気がする。
「……情けねぇ」
「何が?」
「カッコつかないって、そう思っただけ」
こんな情けない所を本当は雨乃に一番見られたくないのだ。けれど彼女はいつだって俺が苦しんでいると隣にいてくれる、まるで馬鹿な弟を叱る姉のように優しい顔で慈しむように手を握る。
「今更私の前でカッコつけようたって無駄よ、恥ずかしい所も情けない所も、いい所も悪い所も私が一番知ってるし分かってる」
「……」
「だから自然でいいんだよ夕陽、私だけは夕陽の本音も本心も何もかも知ってるから」
一番知って欲しいことは知らないくせに、彼女はそんなことを言った。ズルい女だ、本当に。
でも、厳しいけど優しくて、どこまでも甘ったるい彼女に俺はどうしようもなく恋をしていて……好きになってしまっていて、だからまぁ結局の所は惚れた奴が悪いのだ。
諦めたように笑みを零して、縋り付くように彼女の手を握り返して目を閉じる。
隣に彼女が居てくれるのなら地獄の痛みもそよ風みたいなもんだ、耐えられない事は無い。
「おやすみ」
九、十と刻んだ衝撃の末にようやく引いていく痛みと意識。消えかかる意識のその刹那、彼女は俺の頭を撫でながら優しい顔でそう言った。
・・・
目が覚めると丁度チャイムが鳴っていた。
保健室の窓からチラリと外を見ると既に日は沈んでいて放課後に丁度突入したのが分かる。雨乃の姿は既にない、大方俺が眠った後に教室に戻ったのだろう。
それにしてもよく寝た、今日ずっと寝てるな俺。
赤ん坊の次に寝る生物だと自負している俺の面目は保たれたようだ、ちなみに俺の次によく寝る生物は大学生だ。
寝ぼけ眼を擦りながらベッドから這い上がり、枕元のスマホを見ると雨乃からメッセージが入っていた。
『ほんっっとうに行きたくないけど月夜先輩から呼ばれてるから部室に行く、起きたら来て。荷物は持ってきてる』
前半のフレーズから雨乃がどれだけ行きたくないかが分かり少しだけ苦笑した。
保健室の先生に軽く礼を言ってから保健室を後にした俺は真っ直ぐに部室には向かわず屋上へと足を向ける。
外の空気を吸いたいのもあったが、恐らく放課後の一服をしている南雲に聞いておきたい事があったのだ。
見つからないように非常階段を登り、屋上の扉に手をかけて足を踏み入れると案の定、煙を吹かす馬鹿の姿。
やはり、馬鹿と煙は高いところが好きなのだろう……俺も含めて。南雲はコチラをチラリと一瞥すると手を挙げて俺をまねきいれた。
「我が物顔だな」
「だって俺が一番ここに居るし」
「いつかバレるぞ」
「お前もバレないように気をつけてくれよ、俺の憩いの場なんだから」
ケラケラと笑いながら南雲は紫煙を吐き出すと煙草の箱から一本取りだして俺に差し出す。
「……今日は貰うか」
「おっ、珍しいねぇ! なんだ、伊勢からお仕置スタンプ貰うのが怖くねぇのか」
「昨日の馬鹿騒ぎで一枚貯まっちまったからな、もう今更だ」
南雲が差し出したライターに咥えた煙草を差し出して火をつけてもらい、ゆっくりと肺に煙を入れて咳き込みながら吐き出した。
「下手くそだなぁ」
「しゃーねーだろ俺は喫煙者じゃねぇんだから」
耐え難い痛みに耐えたあとは何だか煙草が吸いたくなるのは何故だろうか? こうして時たま南雲から貰う煙草は症状の揺り戻しを喰らった後の数少ない楽しみになっていた。
「その様子じゃ随分と酷かったのか痛みは」
「まぁ失神してねぇから何時もよりマシだよ、まぁ失神した方が楽なんだけど」
「その方向性は絶対違うと思うんだよなぁ俺。んで、わざわざ来たってことは何か聞きたいことでもあんのか?」
南雲は相変わらず勘が効く、野生の本能に従って生きているからだろうか?
俺は短く笑いを返して南雲に本題を切り出した。
「暁姉妹を襲わせた奴がいる……恐らく症状の事を把握した上で」
「白と黒のツートンカラー」
「あ? なんだソレ」
「お前の言うやつだよ、昨日締め上げてる時にそう言ってた。黒と白の髪をツートンカラーに染めてる乳のでかい女」
南雲は興味なさげに呟くと短くなった煙草を空き缶に押し付けて、すかさず二本目に火をつける。
「白と黒のツートンね……間違いなく」
「あぁ、症状持ちだろうな」
「このこと月夜先輩には?」
「伏せてるよ、お前に話してからにしようと思ってな」
南雲はそういうと紫煙を吐き出して遠い目をした。
「お前は茜さんと月夜先輩の手下じゃなかったのか?」
「俺は誰の下にも着いてねぇよ、面白そうな事が起きる方の味方だ。この場合、お前だな」
南雲はニヤリと口角を上げて呟くと「そんで、何企んでやがんだ?」と悪ガキのような顔をする。
吸いなれない煙草もようやく少しだけ味がわかって来た、メンソールの涼し気なフレーバーを吐き出しながら俺は静かに呟く。
「企んでんのは俺じゃねぇ、月夜先輩だ」
「どういう意味だよ」
「信頼はしてる、でも信用はしてない」
煙草を空き缶に落として消火して立ち上がり、フェンスに身体を預けるように立ち上がる。
「怪しい、胡散臭い」
「そりゃお前、あの人はいつもそんなんだろ」
「ちげーよ……肝心な部分で腹の奥が見えねぇ。あの野郎、まだ何か隠してやがる」
「なんでそう思うんだ」
「勘だよ勘、だがまぁ用心しとくに越したことはないしな。雨乃に何か面倒が及ぶ前にコッチで解決しちまえる」
南雲は俺の言葉に少しだけ考えるような素振りをすると、諦めたように「ま、考えたってしゃーねーか」と笑い飛ばす。
「南雲、しばらくその白と黒のツートン巨乳探せ」
「いいけど、なんで?」
「俺の勘が外れて無けりゃ、今回の件は暁姉妹だけを狙ったモンじゃない」
「……?」
「的に掛けられてんのは俺達全員の可能性がある。んで、そこに月夜先輩も関わってる……そんな気がする」
「おっけー、了解だ白黒巨乳探すわ」
「お前雨乃の前で言うんじゃねぇぞ」
「巨乳探してるって?」
「端折りすぎて巨乳探してる変態みたいになってんじゃねぇか」
雨乃さんの耳に触れればまた怒られるだろうし、こういう悪巧みはコソコソとするのがいい。
「見つかったら俺に連絡くれ、直接話聞いてみる」
「おぉ、大した自身だな。昨日ぼっこぼこにされてた癖に」
「ま、アレも俺しか出来ねぇことだろ。つーわけで話し合いが決裂して、尚且つ相手がめっちゃ強かった場合はお前の出番だ! 存分に暴れるがいい」
「女相手じゃやる気でねぇーよ」
そろそろ行くかと南雲が二本目の煙草を空き缶に捨てたタイミングで屋上を後にする。人気のない放課後の校舎では多少煙草の匂いがしていようが誰も気にしない。
部室の扉に手をかけて中に入ると、部活組を除いたメンバーが揃っていた。暁姉妹も雨乃の両サイドに揃っている。
「遅刻ですか夕陽先輩」
ニヤニヤしながらそういう冬華の頭にチョップして雨乃の隣を奪い取ると後輩が二人揃ってブーイング。
舌を出して煽っていると顰めっ面の雨乃が何やらボソボソ言っている。
「あん? なんだ雨乃、聞こえねぇ」
「臭い」
「……何が」
「タバコ臭い」
雨乃はバックから取り出した消臭剤を俺に吹きかけ、それを見て笑っていた南雲にも吹きかけた。
「スタンプ一個」
「今のが罰だろ」
「そうね、だから今後のは仕置よ」
「殺されちゃうの俺?」
そのいつもの様子を見て楽しげに笑っていた月夜先輩が手を叩いて周囲の視線を集めた。
「さて、みな昨日はお疲れ様。夕陽君のお陰で我が部にも新入部員がやってきた」
いつも通りの胡散臭い笑顔を振りまきながら月夜先輩はホワイトボードを引っ張り出す。
「というわけで諸君、症状についての楽しい勉強会に入ろうか」
新しい症状持ちが入ってきたら必ず行うオリエンテーションのようなもの。俺はあくび混じりにその様子を眺めながら月夜先輩を観察する。
何かが決定的に動き出した、そん予感を感じながら。




