歩み寄り
監禁生活二日目。私は、長月が何か私に行動を促してくるたびに、取引と称して質問を投げかけた。むしろ、そうなるよう仕向けさえした。当たり前のことをしないでおけば、長月はまるで母親のようにそれを見つけて諭してくる。
「ブロッコリーはお嫌いですか。栄養があるので残さず食べていただきたいですが」
「わかった、食べる。その代わり質問ね」
「どうぞ」
「長月は何歳?」
最初は答えやすい質問から。
「今年で三十四になります」
「葉月さん、何度も言っていますがスリッパを履いてください。素足では風邪を引きます」
「うん、履くから質問」
「なんですか」
「この部屋にはどうして時計が無いの?」
「時間を気にする必要が、あなたには無いからです。俺が時間を把握して、あなたに三食を提供し就寝を促す、それで十分だからです」
「テレビが無いのはどうして?」
「この部屋に不必要な情報を取り入れないためです。娯楽が必要でしたら本を持ってきます。あなたにはそれが一番のはずです」
「長月はずっとこの部屋にいるけど、なんの仕事をしてる人?」
「何も。働ける身分ではありませんので」
「じゃあ、働ける身分だったときは?」
「……質問は一つの約束です」
「ちぇっ」
「さあさあ、今度こそ答えてもらうよ。以前はなんの仕事をしてたの?」
「消防士です」
「なるほど。だからマッチョで坊主頭なのか」
「マッ……チョ、って」
「私のこと、どれくらい知ってる?」
「……答えられません」
「どうして私を監禁するの」
「……答えられません。が、あなたのためでもあります」
「私のこと、いつから知ってる?」
「そう昔ではない、とだけ」
「この部屋って何?」
「答えられません」
「長月にルールを課しているのは誰?」
「答えられません」
「長月はその人に逆らえない?」
「答えられません。……いえ、逆らおうと思えば逆らえるのかもしれませんね」
「逆らわないのは、従っていた方が都合がいいから?」
「まあ……はい」
「長月は私を監禁したい?」
「個人的な感情で言えば、いいえ」
「私は長月にとって大切な人? 私のこと……愛してる?」
愛なんてチンケな言葉だと吹き出しそうになりながら問う。
そのニヤつく私に共感を示すように口角を上げて、真っ直ぐ私を見て長月は答えた。
「いいえ」
「嬉しい答えをありがとう」
これで、長月がただの頭のおかしい監禁犯ではないことがわかった。
「明日は、昼ごろに来客があります」
夕食の席でカレーライスを食べながら、長月が不意にそう告げた。
「来客?」
「はい。俺の”友人”が来ます」
「友人、ね。女を監禁している部屋に友達を呼ぶなんて、普通の感覚だとありえない気がするけど」
長月が口元だけで笑う。彼がよくする諦観の表情だ。十中八九、友人というのは建前で、その人間もまた監禁犯の一人なのだろう。長月にルールを課している側の人間かもしれない。
「わかった、私はどうすればいい? どうしてほしい?」
「いつもどおりでいてください。彼に危害を加えようとしたり、変に反抗したりするのは、あなたのためになりません」
「”彼”ってことは、男の人か」
「はい」
「長月はその人のこと、どう思ってる?」
「……それは取引としての質問ですか?」
言われて、そうかと気づく。明日の来客時いつもどおりでいる代わりに、質問を1つ出してきたと長月は思ったらしい。そういうつもりは無かったが、それならそれでもいいかと思う。
「そう、取引の質問」
「親しい”友人”だと思ってますよ」
長月は深く俯き、カレーライスの中のじゃがいもを、スプーンでゆっくりと小さく切り分けていく。もともとひと口でも食べられそうなサイズなのに、そんなに細かく切る必要があるのかと不審に思ったが、そうする理由がすぐにわかった。
長月がひと際小声で囁くように言う。
「あまり好きではない友人です」
俯くのは、口元が見えないようにするためだ。小声で言うのも、声を聞かせないためだ。
「この部屋には隠しカメラがあります」
言い終えて、長月は何事も無かったかのように顔を上げ、細切れにしたじゃがいもを口へ運んだ。私は長月の意図を組み、何も聞こえていないフリをした。
けれども、ふと合わさった視線で、私たちは互いに伝えたし伝えられたと察知した。
私に本当は教えてはいけないことがある。カメラの件はそうなのだろう。それを長月が、隠れて教えてくれた。どういう心境の変化かは知らないが、私にとっては好都合だ。
「そうそう、昨日の本の件です。少し待っていてください」
食事を終えた長月が席を立ち、廊下へ出て――おそらく自室から――文庫本を持ってきた。
「俺は読み終えたので、どうぞ」
カバーをかけられた文庫本の表紙を捲る。長月が昨夜読んでいて、私が冒頭を読み始めたばかりの『喫茶南国に風が吹かない日』。
「もう読んだんだ? ありがとう。急がせちゃったかも」
「……いえ」
どうやら長月は礼を言われることに慣れていない様子だ。こちらが『ありがとう』と言うたびに、どこか怪訝そうな、困ったような顔をする。私を監禁している負い目もあるのかもしれない。
なんにせよ、そういう表情を隠しきれないところに彼の善性が見える気がして、そこがつけ入る隙なのだと私は思った。