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長月のルール

 調理時からエプロンをつけたままの長月は、私が食事を終えたのを見ると、私の食器をかいがいしく下げていった。そして、先に下げた自分の食器とともにシンクの中で洗い始める。

 上げ膳据え膳。変な気分だが、やってもらって当然だ。相手は私を監禁しているのだから。

 私は席を立ち、廊下に出た。食後にやろうとしていたことだ。洗面所に行き、自分の顔をよく見ること。

 さあ、いざ! と思い、洗面台の前に立つ。蛍光灯の白い光に強く照らされた私という人間。まるで初対面の人に会うかのような感覚。

 まずは顔。目はやや茶色がかっていて、思いのほかパッチリ大きい。髪の色は目と似た焦げ茶色で、長さは肩を少し過ぎたくらい。前髪はふわりとして、眉のあたりで揃っている。鼻と口は、なんと形容したらいいのだろう、顔の上にちょんとついている感じ。頬は丸く、幼い印象だ。

 体はというと、薄桃色のスウェット越しの感想だが、特段痩せても太ってもいない。背も、高いとも低いともいえない気がする。一応……本当に一応、胸も触ってみたが、大きくも小さくもない。ザ、普通!

 ということで、よくわからないが二十代中盤ということでいいか、と私は結論づけた。もしかすると少し大人びた十代かもしれないし、若く見える三十代かもしれないが、正直よくわからなかった。ひとつ言えるのは、嫌いな容姿ではない、ということだ。自分で言うのもなんだが、そこそこ可愛い。見方によってはセクシー。そしてクール。

 コンコンコン。洗面所のドアがノックされて、様々な角度から自分を眺めていた私はふと我に返った。

 恥ずかしい。流し目とか、してしまった。

「葉月さん、いますか」

「あっ、はい」

 焦って敬語で返事をする。

「俺はしばらく自分の部屋にいますので、入浴されるのでしたらどうぞ。タオルや着替えはランドリーラックの上のかごの中です」

 耳を澄ませていると、長月が歩いていく足音が聞こえた。足枷のせいで私が届かなかった、玄関側の左右どちらかが彼の部屋なのだ。ドアが開き、閉まる音がする。

 私は廊下に出て、玄関側の左右のドアを交互に見た。長月がどちらに入ったかはわからないが、しばらく出てこないのならば好都合だ。私にはもう一つ、やらねばならないことがある。

LDKへ戻ると、私はすぐさまシンク下の収納を開けた。長月がここに包丁をしまっているのを見た。包丁で鎖は切れないが、長月を脅して足枷を外させることはできるかもしれない。

 しかし、思う通りにはいかなかった。

「なにこれ……」

 包丁は確かに、シンク下の戸の内側にある専用ポケットに差してあった。だが、抜けない。包丁を差し込むとロックがかかるようになっていて、そのロックはどうやら生体認証で開くようなのだ。専用ポケットのところに、指紋か静脈を読み取るタッチ式の認証リーダーが作りつけてある。

 試しに人差し指をくっつけてみると、認証リーダーはブーッというエラー音を鳴らした。間違いない。この包丁は長月にしか抜き取れないようになっている。だからこそ長月は、包丁だけを先に洗い、この専用ポケットにしまったのだ。私が武器として手にしないよう。

「普通じゃ、ない」

 包丁の収納に生体認証をつける家があるだろうか。いや、普通じゃないのは今に始まったことでもないのだ。思えばこの家は最初からおかしい。LDKの床下から鎖が伸びているのもそうだ。普通、そんなところに穴など開けない。鎖を固定する場所がほしいのならば、ベッドフレームやダイニングテーブルにでもくくっておけばいい。女の力で、しかも道具無しの素手で外せないようにするだけでいいのだ。方法は山ほどある。

 窓を塗りつぶしているのだっておかしい。マンションの窓が真っ黒だなんて、外から見たら怪しさ満点だ。内側に何かを隠していると疑われかねない。私に窓の外を見せたくないのなら、部屋の内側――カーテンの上から封じればいいのだ。あるいは鎖の長さを窓まで届かないように調節しておけば、単にカーテンを閉めておくだけでいい。どうして私がカーテンを開けられるようにした?

 あちこちに落ちている違和感を拾い集める。

 オムライスとプリン。どちらもスプーンしか使わない。箸やフォークなど尖ったカトラリーは出てこなかった。けれども白い皿とマグカップは陶器の質感だった。割れば刃物になる。私がそこまでするわけないと思った? それとも簡単には割れない素材?

 廊下から続くドアが開いた。

 私は急いで立ち上がり、シンク下の戸を後ろ手に閉めた。

「長月」

「葉月さん、包丁を出そうとしましたね」

 歩み寄ってくる男の迫力に気圧されて、私は無意識に身を引いた。そこで気づく。左足が後ろへ動かない。左足の鎖が伸びない。変だ。ピンポン玉大の穴から半径十メートルは伸びるはず。キッチンの中を自由に動き回るだけの余裕はあるはずなのに。

 動けないでいる私の二の腕を長月の大きな手が掴む。

「痛いっ」

 そのまま力任せに廊下の方へ引きずられていく。

「離して、痛い、やだっ」

 長月は何も言わない。私はこのまま連れていかれるのが怖くて、掴まれていない方の手の指を、廊下につながるドアの枠にかける。

 くんっと何かに引っかかるのを感じたのか、長月は足を止めて私を振り向いた。そしてドア枠にかかる私の指先を見る。

「危ないです。爪が剥がれます」

「じゃあ離してよ!」

「包丁を取りにいくんですか」

「違う。痛いから離してって言ってんの」

「離したら……だってあなた、俺から逃げるでしょう」

「あ、当たり前っ……」

「俺はそろそろあなたに入浴してもらいたいんです。もうそういう時間ですし、あなたに不健康な生活をさせるわけにはいかないですから」

「何言ってんの? 不健康どうこうより、痛いんだって。あんた力、強すぎるの!」

「すみません」

 長月のもう一方の手が、ドア枠から私の手を引き剝がす。これも大概、乱暴だ。

「いたたっ、どこ連れてくつもり?」

「風呂場です」

 言うが早いか、私は瞬く間に脱衣所へ放り込まれた。ドアが閉められ、鍵まで閉まる音がする。慌ててドアノブを見るが、内側には鍵も鍵穴も無い。つまりこのドアは、外側からのみ施錠できるようになっている。変すぎる作りだ。

向こう側から長月の声がする。

「入浴してください。それまでそこから出しません」

「なんでこんな乱暴するの。危害は加えないって言ったくせに」

「怪我はさせていないでしょう。それに、先にルールを破ろうとしたのはあなたの方です」

「どういうこと? ルールなんて知らない。包丁を出そうとしたことを言ってるの?」

 長月は答えなかった。代わりに、LDKの方へ去っていく足音がした。

「なんなの、もうっ」

 わけがわからなくて腹が立つ。入浴するまで出さないだなんて横暴だ。けれど言われたとおりにするしかない。

 スウェットの上を脱いで放り捨てる。中に着ているTシャツまで薄桃色で笑ってしまった。女にはピンクを着せておけばいいと長月は思っているのだろうか。

「バッカみたい」

 鏡に映る私。Tシャツの袖から覗く二の腕が赤くなっている。

 可哀想に、と心の中で呟いて、私は自分の二の腕にそっと手を当てた。

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