一人はみんなのために、みんなは一人のために
「だから俺はあなたが嫌いなんです」
「つれないなぁ、オレはお前のこと愛してるのに」
「気味の悪い冗談はよしてください」
うんざりした口調で長月が言う。いつも誠実丁寧な様相を保っている彼にしては珍しく、私にはそれが少し面白くも感じる。
「二人はどういう経緯で親友になったの?」
「親友ではありません」
「そうなんだ?」
来訪時に『よっ、親友』とのたまっていた弥生に目をやると、彼は肩を竦めて笑った。
「友人くらいには思っていますよ。ですが、それ以上でも以下でもありません」
「厳しいことで。オレらあんなに長いこと同じ屋根の下、寝食を共にしたってのに」
「同居してたんだ?」
「んー、同居っつーか、ドウボ―――」
「弥生」
長月が弥生の言葉を遮る。「あなたは俺を邪魔しに来たんですか」
「まさか」
弥生はへらへら笑い、ポテトにまでマスタードをつけて食べる。
「邪魔する気は無いし、お前の好きにしたらいいけどさ、オレからするとじれったいわけよ。お前、葉月ちゃんになんも伝えてねーじゃん。馬鹿だろ。そのせいで完全に不審者扱いされてるし」
まるで『不審者ではない』という言い方が引っかかる。と同時に腑に落ちてもいる。長月はやはり、ただの監禁犯ではないのだろう。
「いけませんか」
と返す長月の声には明確に苛立ちが混じっている。
「いけないね。せっかくオレが上に頭下げて組んだプログラムを」
「頼んでいません」
「嫌われたり罵倒されたりする方が楽だって気持ち、わからんでもないけど」
「そんなんじゃ―――」
「ないっていうなら最短ルートで行けって」
「わかっています。もういいでしょう」
「わかってないから言いに来たんだ。何考えてるか知らねーが、お前の贖罪に彼女を利用するなよ」
「リュウ!」
長月が声を荒げる。一方の弥生は、先ほどまでの浮ついた態度から一変、眉ひとつ動かさず真剣な表情で長月を見つめていた。やがて長月の肩に手を置き、耳元に唇を寄せる。テーブルを挟んで座る私にかろうじて聞こえる程度の声量。弥生の方が幾分年下に見えるのに、その口調には兄が弟に言い聞かせるような優しさがあった。
「キレんなよ? これくらいでキレんな。殴ったら全部終わりだからな。オレの言ったことは間違ってるか? お前はやるべきことをやっていない。オレはお前のために、お前はオレのために。その約束だったろ。それだけじゃない。これは葉月ちゃんのためでもある。三方良しのプログラムだ」
「……わかっています」
了解の返答を聞いて、ようやく弥生は長月から離れる。
「チッ……説教なんざオレのキャラじゃねーのによ」
長月が皮肉っぽく笑う。
「どの口が言うんですか。いつも小言ばかりのくせに」
「大体お前のせいだろ卑屈屋。普段のオレはこんなじゃねーの」
「二人は仲良しなんだね。いいなぁ、そんな友達がいて」
私がしみじみ言うと、長月はバツが悪そうにちらりと私を見て、また目を逸らした。
「俺たちのこと、今の話……あなたからしたら不信感しか無いでしょう」
「別に。でも、私が聞いてもいい内容だったの? プログラムがどう、とかさ」
「葉月ちゃん、オレらのルールのこと心配してくれてる? やっさしー。普通はさ、『隠してること洗いざらい話して』ってなるでしょ」
「だって、長月はただの悪人ではなさそうだから。たぶん、弥生も」
「……ふーん」
弥生は唇を尖らせて、値踏みするような目で私を見る。少し居心地が悪い。
「ルールがあることは知ってるけど、何がルールかまでは知らない感じね。じゃあプログラムのゴール(最終到達目標)も知らないか」
「折を見て話します。あなたからではなく、俺の方から」
「早めにな」
「ええ」
弥生が私に真剣な眼差しを向ける。
「コイツは悪人じゃないよ……オレは悪人だけどね」
その言葉が冗談なのか本当なのかわからないまま、弥生は帰っていった。帰り際に彼は長月に再び何か囁いていたが、今度は私にも聞こえなかったし、耳をそばだてて聞く気も無かった。長月も私も見送りには出ず、ダイニングテーブルの上に残されたぬるいンバーガーを胃に詰め込んだ。
「話してくれなくてもいいよ」
食事を終えて席を立とうとする長月にそう声をかけると、長月は驚いた様子で動きを止めて椅子に座り直した。私は続ける。
「ひとつ言うことを聞いたら、ひとつ質問できる。でも、答えられないことには『答えられない』って回答でいい。そういう取引でしょ。だから、私は無理に聞かないし、長月には言わない権利がある」
「葉月さん、あなた……」
「私を贖罪の道具にしたっていいじゃん」
「ここを出たくはないのですか。家に帰りたくはないのですか」
長月は何故か苦しそうな表情をする。その理由が私にはわからない。彼が何を抱えているのか。
ああ、私自身の問題は、こんなにも明確で鮮やかな”真っ白”なのに。
「ここを出てどうするの? 私はどこへ帰るの? 自分の名前も知らないのに」
長月の眉間の皺が濃くなった。痛みに耐えるように俯いて目を閉じ、決心した様子で顔を上げる。
「俺が……俺が知っています。あなたの帰る場所と、本当の名前を」