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弥生という男

 昼食を三人でとる約束をしているのだと長月は言った。その準備のためにキッチンに立つ長月を、私は対面式キッチンのカウンター側から眺める。メニューはサンドイッチ、コンソメスープ、キャロットラペだという。長月は手際よく三つの調理を進めていく。

包丁を奪おうという気はさらさら無かった。しかし長月は一応それを警戒してか、あるいは警戒するポーズを監視カメラの向こう側へ見せなければいけないためか、包丁だけは明らかに私から遠い位置に置いて作業をした。特段悪い気はしない。長月の立場ならば当然の行動だ。

 たまごサンドに使うゆで卵の殻をむき、コンソメスープのための玉ねぎを切り、キャロットラペの人参をスライサーで千切りにしていく長月の手つきは慣れ切っていてスマートだ。元消防士もそれらしいが、元料理人だと言われても信じてしまうだろう。

「料理はよくしていたの?」

 つい尋ねてしまい、言ってから、取引になっていないため答えてくれないかもなと考える。

 長月は、カウンターに頬杖をつく私を見て、ボウルとエッグスライサーを差し出してきた。ボウルの中には殻をむいたゆで卵が入っている。

「たまごサンドの準備を手伝っていただけたら、今の質問に答えます」

「わかった、貸して」

 エッグスライサーに卵を乗せ、ハープの弦のように張られたワイヤーを上から当てて縦に一回、横に一回押し切っていくと、ゆで卵は簡単にダイス状になる。

「料理は中学に入ったころ覚え始めました」

 ボウルに入った千切りの人参に胡椒を振りかけながら長月は言う。「興味があったわけではなかったのですが、必要でしたので」

「必要?」

「ええ。うちは母がいなくて、祖母が家事をしていました。ですが、俺が中学に入ってすぐ、その祖母が亡くなって、父と二人きりになりました」

「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」

「いいえ、別に」

 千切り人参のボウルを長月は差し出してくる。そして私がダイス状にしたゆで卵のボウルを代わりに取っていく。

「それ、混ぜ終わったら盛りつけて、テーブルに持っていってください」

 白い小皿が三枚、カウンターに置かれる。私は調味料の加えられた人参を菜箸でよく混ぜて、三つの皿に均等に盛った。白い皿に人参のオレンジがよく映える。

 キッチンのコンロのあたりから、コンソメスープの煮える香りが漂ってくる。長月がコンロの火を止めて、たまごフィリングを挟んだ白い食パンを真ん中あたりで少し斜めに切っていく。台形型のサンドイッチが二個できる。長方形でも三角形でもないその形の背景に彼の祖母の影が感じられて、私はどこか切なさを覚える。

 その時だった。玄関の方からドンドンドン、とドアを叩くような音がした。

「ああ、来ましたね」

 長月がエプロンで手を拭いて踵を返し、廊下へ続くドアを開ける。私も気になって、長月の後ろから廊下の先を見てみると、スーツ姿の茶髪の男が玄関に立っていて、靴を脱ぐところだった。勝手にドアを開けて入ってきたらしい。鍵はかけていなかったのか。

「よっ、親友」

 足元をもぞもぞやって靴を蹴飛ばしながら、男が軽薄そうに笑って片手を上げる。もう片方の手にはハンバーガーチェーンのビニル袋を提げている。

「あー腹減った。差し入れ買ってきたから食おうぜ」

 男は廊下をこちらへ歩いてくると、LDKのドアを開けて立っている長月の脇を抜けて、勝手知ったる様子でダイニングテーブルの上にビニル袋を置いた。コンソメスープの香りを打ち消すように、ジャンキーなファストフードの香りが部屋に立ち込める。

 格好こそ真面目なスーツだが、その着こなしはやんちゃな男子高校生のようで、ネクタイの結び目は緩い。やや長めの明るい茶髪がツンツン跳ねて、まるで寝ぐせのようだ。年齢は、いつも疲れた顔をしている長月よりいくらか若く見える。

「昼食は用意すると伝えたはずですが」

 長月は男が置いたビニル袋に手をかけ、その中にいくつか入っている紙袋のうちの一つを開けて、僅かに顔をしかめた。

「そうだけどさぁ、お前のメシは味が薄いっつーか、味気ないんだよなぁ」

 男は長月が開けた紙袋に手を突っ込み、細いポテトを数本まとめて掴んで口に入れた。「旨っ。お前もこういうの好きだろ?」

「いえ」

 長月と男、背丈はほぼ同じだが、体つきはずいぶん違う。全体的にがっしりと分厚い長月に対して、男は細身のスーツが似合うモデル体型だ。殴り合ったらおそらく長月が勝つのだろうが、二人の関係性を見ていると、男の方が一枚上手な印象を受ける。

 離れた場所から二人の様子を観察していると、不意に男が私の方を見た。

「葉月ちゃん、だよね。どうなのよ、お二人さん」

 質問は長月あてだ。

「どうもこうもありません。監禁する者とされる者として過ごしています」

「ふーん、まぁそうか」

 監禁というワードに何ら特別な感情を示さないことが、この男の立ち位置をある程度示している。少なくとも私が「助けてください」と縋りつける相手ではないということだ。

「あなたは誰?」

 私は意を決して聞いてみた。

「うーん……”誰”かぁ」男は顎に手を当てて悩ましげな顔をする。「誰がいいか……睦月むつき如月きさらぎ弥生やよい……うん、弥生にしよう。オレ、弥生」

「今の言い方、偽名でしょ。あからさますぎる」

「ええー、葉月ちゃんだって、コイツ―――長月だって偽名だろ」

 そう言われてしまうと言い返せない。私がぐぬぬと歯噛みしていると、男―――弥生は大口を開けて笑った。

「ごめんごめん、別にいじめたいわけじゃなくってさぁ、本名告げないコイツのスタイルに合わせたほうがいいかなって」

「弥生、配膳を手伝ってください」

「はいはい」

 いつの間にかキッチンに立っていた長月が、カウンターの上にコンソメスープの器を置いていく。それをアチアチ言いながら弥生がダイニングテーブルへと移動させる。

「葉月さんはサンドイッチを」

 言われて私はサンドイッチの皿を運ぶ。最後に長月が飲み物のオーダーを聞いてきて、それを弥生が

「ちょい待ち、コーラと烏龍茶とぶどうジュースあるから」

 と制してようやく三人はダイニングに腰を下ろした。私と長月はいつもの席に向かい合って座り、長月の隣に弥生が座る席順だ。

「コーラとてりやきはオレんだからー」

 自分の手元にコーラと思われるカップとてりやきバーガーを引き寄せる弥生には一瞥もくれず、長月が「いただきます」と手を合わせる。

「葉月ちゃんはぶどうジュースでしょ。バーガーは……エビカツ! これソースがめっちゃ旨いから」

「どうも……」

「コータはぁ―――」

 長月が弥生に鋭い視線を向ける。ヤベッという顔で弥生が黙り、何事もなかったかのように言い直した。

「長月はぁ、烏龍茶ときんぴらご飯バーガー買ってっから」

「あとで白米を足して食べます」

「いやお前ほんと薄味派……葉月ちゃんコイツのメシ、口に合ってる?」

 マスタードソースにナゲットをどっぷり浸して弥生が問う。

「美味しいですよ……コータさんの料理」

 弥生の鼻からマスタードが噴出し、隣の長月が小さくため息をついた。

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