書架の隙間から(二)
作者は菱屋千里というペンネームだった。
男か女かはわからない。
『書架の隙間から』と題された一万六千文字を超えるその作品を、私は途中でだれることなど一度もなく、あっという間に読み終えた。
感動が私を包んでいた。
小説の内容は、ある仕事のリーダーを任されていた女性が自由と幸せを求めてその仕事をやめたものの、茫漠たる自由の中に放り出されてしまうと今度は自分を見失い、悶々とした空白のような日々を過ごすのだが、書架の隙間に見つけたある書物と出会うことで自分を見つけはじめるというものだった。
「これだ……」
それはいわば、煩雑な人間社会の内からふと空を見上げ、そこに無意味で優しい世界の真実を発見するような物語であった。
「これが純文学というものだ!」
私はアパートの部屋の隅で、スマホを食い入るように見つめながら叫んでいた。
親父とばあちゃんが一瞬こっちを見て、すぐに興味なさそうにそれぞれの読んでいるエロ本とパチンコ雑誌に目を戻す。
私は興奮にかられて外へ飛び出した。
空を仰ぐと、私の上にもその夕焼け空はあった。
無表情だがやさしく燃える色で私を包んでくれていた。
私は空にむかって叫んでいた。
「自然の中に、人生はない! だが人生の中に、自然はある!」
自分でも自分が何を言っているのか意味がわからなかったが、自然にそんな言葉が私の中から飛び出したのだ。
「私はこの作品に激しく引かれ、そしてまた激しく嫉妬した! 私にこれを超える作品が書けるとは思えない! だが、めざすことは出来る! 書いてやろう! まるでこの広大な夕焼け空のように純な文学を! 私は書いてやろう! めざしてやるのだ!」
生きる喜びが私の全身を包んだ。
こんな素晴らしい作品が、無料で読める『小説家になりお』に投稿されていることに、感動を覚えていた。
そして最後に、空を見上げたまま、私は礼を口にしていた。
「ありがとう、菱屋千里さん!」
菱屋千里さま、ありがとうございました