諏訪家のほうへ(二)
直樹は哲学書を読みはじめた。
スマホには誰が書いたとも知れない簡単な解説しかなかったので、図書館へ足を運ぶようになった。ネットの解説はわかりやすいがわかりやすすぎて、どうにも信用する気になれなかったのだ。
デカルト、カント、ヘーゲル、キルケゴール、ショーペンハウエル、ハイデガー、サルトル、デリダ──さまざまな哲学書を読み漁ったが意味がわからなかった。面白くなかった。
しかしニーチェに出会い、雷に撃たれた。その本は物語形式で書かれており、面白くはなかったが、さまざまな真実を直樹に体験させることとなった。
自由とは世間でいわれているような楽しいものではなく、ワンルームの部屋で人知れずひっそりと死んでいく独居老人のようなものだと知った。愛とはスマホなしでは生きられなくなった中毒者が、スマホの便利さにやたらとこだわるようなものだと知った。夢とはシシジフォスが転がす大岩のようなものであり、坂の頂上まで転がしてはまた転げ落ちたそれを転がし上げる永久運動なのだと知った。
それらの真実はとても人間好みのものではなく、そら嫌われるわなと純文学のことを思うのであった。
「しかし! 俺はこの真実を大衆に届けたい!」
スマートフォンで純文学小説を書きはじめた。
大型トラックに轢かれた主人公が異世界に転生せず、そのまま死んでしまう、真実を描いた作品だった。
誰も面白がるはずがなかった。
こちらのアイデアは集さま(ID:1331262)よりいただきました。