五十七、海と松
妹の心美がウルトラ・フェレットを完成させた。
現在ペットとして流通しているスーパー・フェレットが短命なのを改良し、成人病に罹りにくくしたものだ。現状5年〜8年といわれているフェレットの寿命を30年以上にまで引き延ばした。
その技術をアメリカのフェレット・ファームに売り、心美は大金を手に入れた。
「お兄ちゃん、これでトーコさんを助けてあげて」
心美から受け取った金を保釈金にして、殺人未遂で拘置されているトーコを私は助け出した。
「あんなくだらない人間を殺しても罪になるなんておかしいわ」
海の見える岸壁に立ち、トーコは私に背中を向けながら、言った。
「私も北村直樹くんも──神に選ばれし特別な人間よ? あんなハゲたエセ文士なんかよりよっぽど価値がある。殺して金品を奪ってどこかの土の下に埋めて隠すべきだったのよ」
松林を渡る風が、私の心中を表すように、ざわざわと音を立てた。
「ドストエフスキー『罪と罰』のラスコーリニコフは正しかったのよ。神に謝罪する必要なんてなかった。この世にはくだらない人間と有能な人間がいて、有能な人間はくだらない人間を殺したって罪にはならないのよ」
呟き続けるトーコに、私はようやく口を開いた。
「有能な人間とくだらない人間って、どうやって見分けるんだ?」
「それは……」
トーコは一瞬口ごもったが、すぐに言葉を吐いた。
「少なくとも……っ! 禿田高丸も中島筋肉男もくだらない人間のほうでしょ! 公平を期すべき由緒ある文学新人賞をあんな汚い裏工作で決めるなんて!」
「元々は僕たちのほうから持ちかけたんだ。やり方が汚かったのは僕たちのほうが先だよ。僕たちもあいつら同様の、くだらない人間なのかもしれない」
私の言葉が背中に突き刺さったように、トーコが膝をついた。
「やり直そう、トーコ」
私はその背中にキスをしながら、言った。
「入院中、とても立派な芸術を体現するひとに嫉妬したんだ。純粋な、才能に対する嫉妬だよ。僕の心に火をつけた。この嫉妬パワーがあれば、正しく純粋に価値のある純文学が書けそうなんだ」
トーコはそのまま前に上体を傾げると、土下座をするように地面にキスをした。
松を揺らす風が止んだ。
海はどこまでも続いていた。