四十七、インカ鉄道の夜
夢を見た。
私は古代インカ帝国の王で、トーコは煌びやかな化粧を施した王妃だ。
私たちは地下鉄に乗り、ゴミゴミした日本の住み慣れた町から故郷のインカへと向かっていた。がん、ごとん、という震動をお尻の下に感じながら。
私は星も見えない真っ暗な窓外を、頬杖をついて眺めながら、隣の彼女に話しかけた。
「ねぇ、カムパネルラ……じゃなくて、トーコ」
「何かしら? ジョバンニ……じゃなくて北村直樹くん」
「何をしたら、世界中の人々が幸せになれるのかな」
「いきなりどうしたの?」
「僕たちはこんな偉そうな王と王妃の恰好をして、私利私欲の世界へ行こうとしている。どんな汚い手を使ってでも、どんなに自分自身を汚してでも」
「……そうね」
「でもそれって、間違ってるんじゃないのかな。純文学って、自分だけじゃなく、みんなの幸せを願って書かれるものなんじゃないだろうか」
「少なくともあなたは私のことを幸せにしてくれようとはしているわ」
「それだけじゃダメな気がするんだ。僕がたとえば芥川賞を獲ったとして、それで誰が幸せになる? 僕らだけだ」
「作品でみんなを幸せにすればいいのよ。そんな作品を書けばいいだけだわ」
「しかし、私利私欲に満ちた僕に、そんなものが書けるのだろうか?」
「では、どうしたいの?」
「死にたくなってきたんだ。死んで、みんなを見守るにこやかな星になって、夜空から世界を見ていたい気分に」
「つまり、私のことはどうでもいいのね?」
「違うよ。君には心から感謝している。君のことももちろん夜空の上から見守るつもりさ」
「ダメよ。私だけを見てくれないと許さない」
「じゃあ、君だけを愛するよ」
「じゃあって何かしら? じゃあって?」
「その通りだなって思っただけだよ。思い直したんだ」
「北村直樹くん? あなたはこれからインカ帝国の王になるのよ? 私はその王妃になるの。あなたが下りてしまったら、せっかくのビッグ・チャンスがふいになるのよ? 下ろさせないわ。開かずの踏切突っ走れ。警笛鳴らしてGO! よ」
夜のむこうにケバケバしいほどに輝いているインカ帝国が見えてきたところで目が覚めた。
横を見るとトーコはなぜかメイクでべっぴんさんに化けた顔をしていて、スヤスヤと眠っていた。