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四十六、戦争と平和、クロイツェル・ソナタ

 自分のホテルに帰り着いたのは深夜の3時だった。



「北村直樹くん!」

 ドアを開けるなり、トーコがすっぴんで飛び出してきた。


「寝てなかったの……?」


「心配で眠れなかったわよ! ずっと待ってたわ」


 その優しさに涙がこぼれそうになった。


 女性の優しさ、繊細な感情──それに触れて、体じゅうに染みつくようにつけられた汚らしい獣臭さが洗い流されていくようだった。すっぴんなのがまたよかった。今は性的なものに触れたくない。中学生の頃の気安い友達としてのトーコのままの顔が、私をあの忌まわしい戦争のような時間から、平和な場所へと引き戻してくれる。


「ココア飲む?」


「いや……。コーヒーがいいな」


 トーコが淹れてくれたインスタントコーヒーにミルクと砂糖を溶かすと、ずずずと音を立てて啜り、ほっと息を吐いた。


「どうだった?」


「……そんなの、聞く?」


「新人賞、獲れそうかってこと」


「ああ……」

 コーヒーをソーサーに戻すと、にっこり笑ってみせた。

「確実だ。あれだけ頑張ったんだから」

 ぽろりと、涙が落ちた。

「頑張ったんだ、俺……。頑張ったんだよ。よく頑張った。あんなに頑張ったことなんて今まで一度もなかったかもしれない。小説を書くよりもずっと、ずっと頑張ったんだ」


 トーコは何も言わず、私の頭を抱き寄せると、そのふくよかな胸で癒してくれた。

 えっちな気分にはならなかった。今はこの世にそんな感情があることなど忘れ、ただ女性の柔らかい胸の中で子供のようになっていたかった。


 天井のスピーカーからクラシック音楽が静かに流ていた。

 知っている曲だ。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番『クロイツェル』──『歓喜の歌』で有名な交響曲の第9番と違い、ドロロロと不吉に低いピアノに扇情的なヴァイオリンが絡む、エロっちぃ曲だ。


「寝よう」


 私は枕元のボタンを押して音楽を止めると、修学旅行の友達同士のように、トーコと顔を突き合わせて短い会話を交わした。


「新人賞、発表が楽しみね」


「俺……、作家になるんだな」




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