四十、堕落ロン
ダブルで予約してあったホテルの部屋で一人、私は眠れぬ夜を過ごした。
『わたしに任せてね、北村直樹くん』
トーコの声が頭に甦る。
それは私を安心させるように穏やかで、楽しげな様子を繕っていたが、隠しきれぬ苦痛に微かに震えていた。
テーブルへ前のめりになり、スマホでパズルゲームの『ロイヤルマッチ』を開いてみたが、プレイを続ける気にはなれない。
「俺は……何をしているのだ」
口からひとりでに言葉が漏れた。
「こんなことをして……もし、新人賞が貰えても、嬉しいのか?」
今頃煌びやかなホテルの個室で、トーコはあのタヌキジジイとブンガク行為をしているのだろうか。いつも私としている、あの、高尚なひとときを──あの低俗ないやらしい笑いを金歯を剥き出しにして浮かべる初老の俗物と? そう考えると何もかもを破壊してやりたくなり、スマホをベッドに向かって全力投球した。
「こんなことがしたかったのか……俺は?」
自分の声ではないように黒く震えていた。
「俺は……何がしたかったのだ!?」
わからなくなっていた。
純文学とは何かの答えも未だにわからないが、それ以上に今の自分が何がしたいのかがわからない。
ただひとつだけ、わかっていることが、あった。
私は堕落したのだ。
真実を描く純文学作家となって、私の愛した洛美原先輩の人生を、筒竹さんを失った時のあの虚無感を、昭和のツギハギだらけな貧乏家族のごとき私の家族のことを、そして私の真摯な人生に対する思想を世界に向かって広めようとしていた。己がほんとうに大切だと思うことを文章にすることしか考えていなかった。
それが今はどうだ。新人賞を獲ることしか考えていない。そのためにはどんな手段でも厭わないと思ってしまった。
その時、ふいに脳裏に昭和の文豪坂口安吾のことばが浮かび上がった。
堕ちよ、生きよ──
人間はどこまでも堕ちられるものではない。
堕ちきった時、頭上を仰げは、そこには希望しかないのだ。
うろ覚えなので原文通りではないが、確かそんなことばだった。
「ロン!」
私はスマホの麻雀アプリを開くと、ノリノリでゲームを始めていた。