三十七、至極変
「北村氏……! 僕は悔しい! 悔しいよ!」
諏訪は激しくその長身を揺さぶると、目を血走らせ、歯軋りをした。
「ヒカリさんの、あの素晴らしい詩集が5冊しか売れないなんて! 悔しいよ!」
私にあの詩集に共感できるものは何もなかったが、それでも諏訪には共感した。その気持ちがよくわかった。
共感はできないとはいえ、あの詩集は芸術として素晴らしいと思った。わけのわからない煌めく宇宙へと私を放り出し、無重力の中を泳がせてくれるような力はもっていた。
諏訪は私に掴みかかるように縋りつくと、嘆願してきた。
「北村氏! 君が書いてくれ! ヒカリさんの仇をとってくれ! ベストセラーになるような純文学を!」
私は即答した。
「き……、君が書けばいいじゃないか」
「僕には無理だ。ヒカリさんのあの詩集が売れないのなら、僕の書く純文学も売れようがない。何しろどれだけ大衆を面白がらせるようなものを書いたとしても、僕の感性は彼らを鼻白ませるに違いない。だって僕の感性は、至極変なのだからね」
確かに……と、私は思った。
諏訪は金持ちの家のボンボンゆえか、ずれているところがある。しかも変態だ。
諏訪がどれだけ売れることを目的に小説を書いたとしても、それはやはり宇宙人にしか受けないような、至極変なものになるだろうと思えた。
「僕が君をバックアップするよ、北村氏! 君がもし、自分の体験したものしか書けないというのなら、君の最も愛する可愛い女の子を車に閉じ込めて焼死させてもいい!」
……ほら、こんなことを言い出すやつだ。
──だが、諏訪のことばには『そうか!』と思わされるものがあった。
私は確かに諏訪の言う通り、自分の体験したものしか書けない。
しかし今、私にはたくさんの経験が積み重なっていた。純文学との出会い、トーコとの再会と婚約、筒竹さんへの失恋、キャサリンの尻の重み、洛美原先輩の死、素晴らしいからといって必ずしも売れないことを学んだヒカリさんの詩集──
私は、今なら、名作が書き上げられそうな予感がしていた。