誰が為に純文学はある(三)
「物事を決めつけるな、北村」
うっとりするような凛々しい声で、先輩は私を優しく叱った。
「民衆の流すデマに軽々しく惑わされるな。自分の頭で物を考え、自分のことばで物をいうために純文学はある」
「すみませんでした……、先輩」
私は土下座をして謝罪した。
「少し考えればわかることでした。高貴なる先輩が、あのような頭の軽い、低俗な、顔しか良くない女子などと付き合うなんて、あり得ないことだと」
「いや、女など顔さえ良ければ良いのだ」
「そうですね」
「所詮、純文学は女にはわからん。女は譬えるなら牛のようなものだ。既存の草を食み、それを反芻することしか出来ない。有名なクラシックの作曲家に女が一人もいないことを見てもそれがわかるだろう」
「高尚なものは、女にはわからないのですね?」
「そうだ。女は子供を産める。ゆえに新たな価値など産み出す能力には欠けているのだ」
「では、純文学とは、男のためだけにあるものだと?」
「女でも純文学を読むことはできる。企業が流布する『このブンガクが凄い!』のことばを鵜呑みにして、自分の頭では何も考えず、『凄いんだ、これは凄いんだ』と念じながら読み、『ほんとに凄かったぁ』と誰かのことばを反芻することなど簡単だからな」
「男は優れているのですね!」
男である喜びが全身に漲り、私は歓喜の声をあげた。
「純文学でこの世の嘘や幻想を破壊することの出来る、私たち男が、世界を創って行くのですね?」
先輩はフッと笑い、言った。
「うちの男子部員の愛読書はみんな揃って『呪術廻戦』だ」