ブンガクおじさん(五)
「ところでキミ、毎日は忙しいかい?」
ブンガクおじさんに聞かれ、私は正直に答えた。
「暇です。私はニートの次に暇な人種──大学生ですから」
「そうか……。羨ましいな」
おじさんは煙草の煙をゆっくりと口から立ち昇らせると、言った。
「私はこうやって暇なように見えるだろうが、この喫茶店の他にも色々と仕事をもっていてね。その上で純文学の執筆もやっている。まぁ、投稿先は『小説家になりお』というwebサイトなんだが……」
「あっ。僕もそこに投稿していますよ」
私はおじさんとアカウントを明かし合い、お互いにお気に入りユーザー登録をした。作品を読んでよくないと思ったら正直に★1でもつけるよう約束しながら。
「社会人と学生が見ている景色は違うんだろうな」
おじさんがそんなことを言い出した。
「私は仕事上の人間関係に疲れて憂鬱になることがある。自分の時間もあまりもつことが許されず、社会に縛られているように感じることも多い。ただ、物事は立方体なんだ。視点を変え、別の角度から見れば、自分の生活だって姿を変える。そんなことを文学は教えてくれるんだ。憂鬱な日常を塗り替える手段の一つが文学なんだと思っているよ」
「僕は暇人なのでまだよくわかりません」
「モラトリアムもまた、文学の源泉さ。まだ自分が何者なのかも定まっておらず、そのうちいくつもある分岐点の中から一つを自分で選び、社会的な肩書きを自分の胸にくっつけるまでの猶予期間だ。何者にもならないまま大人になるという選択すらすることができる」
「あっ。ニートですね? 家が貧乏なのでそれは無理です」
「純文学作家なんて永遠のニートみたいなもんだよ」
「そうなんですか?」
「とりあえず君は今、無数の選択肢の前に立っているんだ。そんな時期にこそ底の抜けた純文学は書けるのかもしれない」
「底抜け……ですか」
「──じゃ、私はこれから新潟へ食品サンプルを運ぶ仕事をしなければならない」
そう言われて時計を見ると、もう夜の8時だった。5時間ぐらいおじさんと話していた。客はそのあいだ一人も来なかった。
「ありがとうございました。お邪魔しました」
私は立ち上がり、頭を下げた。
「楽しかったよ。お礼にコーヒー代は私の奢りとさせてくれ」
ブンガクおじさんはにっこりと、やわらかく笑った。
「またいつでも来てくれよな。ブンガク談義に花を咲かそう」