ブンガクおじさん(三)
「だけどね、キミ」
ブンガクおじさんは言った。
「確かに、難しげで高尚そうなものをより有難がるようなやつはいる。漫画は文学よりも低劣なものと見下し、『くだらん』が口癖のやつも多い。そういうやつらが文学を持ち上げるから、パンクスみたいにそれに抵抗を感じるやつもいる。だが、じつのところ、漫画もアニメも文学も、みんな同等なんだ。みんな違って、みんないいのさ」
「幕田卓馬がそう言ってたんですか?」
「じつは……」
照れ臭そうに頭を掻いてから、おじさんは続けた。
「──絵が描けないから小説を書いているみたいなやつもいるだろうさ。しいなここみなんてその典型だ。しかし、絵も描けるけどあえて小説を書いているやつもいるはずだ。それはなぜか? 文章で描く必要のあるものがあるということさ」
「文章で描く……必要……?」
「たとえば夏目漱石の『こころ』を漫画にしたらどうなる? 『私』が見た『先生』を描いているだけの漫画だ。そんなもの面白いだろうか?」
私は正直に思うところを答えた。
「うーん……。漱石は途中挫折したのでわかりません」
「じゃあ、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』でもいい」
「あっ。それなら何べんも繰り返し読みました」
「あれは求道者ツァラトゥストラの教えを書いたものだ。いわば新約聖書のパロディーだよな? あれを漫画で描いて面白いと思うかい?」
「うーん……」
私はその漫画をイメージして、正直に答えた。
「ツァラトゥストラの教えが薄っぺらくなってしまうと思います。あの大仰な求道者ノリばかりが面白がられて、わかりやすいそこばかりが読者の印象に残り、肝心な思想の部分は読み飛ばされてしまう」
「そうだ。ツァラトゥストラの思想を読者が体験としてわかるためには、ツァラトゥストラと同じ荷物を自分で背負わなければならない。簡単にそれをすることは不可能なんだ。ゆえにあれは、難解な文章で書かれなければだめなんだよ」
「うーん……、でも……」
「なんだい?」
「そもそもツァラトゥストラは面白い作品ではないと思います」
「だっふんだ」