十六、女神、あるいは豊饒の海
彼女の肌は雪のように白かった。私はその肌に、赤い筆を下ろした。
「純文学は純文学を馬鹿にするところから始まるのよ覚えておいて」
彼女は俺に掴まりながら、よく喋った。
「北村直樹くん! 純文学というものがあるのだとすれば、それは既存の純文学をバカにするところから始まるのよ! バカにするためにはまずは敬い、よく知らなければならないの! よく知らないものをバカにするのは誰にでもできることだわ! それはただの悪口だわ! さあ行くわよっ!」
「あう」
私は白い意識の中で、白濁とした豊饒の海の中に、溺れて果てたのだった。
三島由紀夫は小説『女神』の中で、女性の美しさなど幻想のようなものだと書いていた。それは性欲が満たされれば消えてしまうものだと。
しかし賢者モードに入った私の目の中で、私の肘枕に眠るトーコの寝顔は、何も変わらず美しかった。ちょっとメイクが濃すぎる気はするけれど、女神のように美しかった。
三島のことばは真実ではないと思った。三島はゲイだったから、男性性を美化したい気持ちのあまりにあんなことを書いたのだろうか? それとも私が若いから、賢者モードに入ったつもりがまだまだ醒めていないだけなのだろうか?
いつの間にか眠っていた。
起きるとトーコが洗面所から出てきたところだった。
「あっ、おはよう。北村直樹くん」
朝のぼやけた蛍光灯の明かりの下で、顔を洗い終わったばかりの、すっぴんのトーコが、へにょっと笑った。
別人だった。と、いうより、それは俺が一度も女を感じたことのない、中学時代のままの面影を残す、あのトーコだった。色もべつに白くはなく、ふつうだった。
「騙された!」
愕然として、私は叫んだ。
「やはり幻想だった! これが真実というものだったのだ!」