十三、純文学の終わりとハードコア・ワンダーランド
私の宿泊する六畳の和室に酒とおつまみを持ち込み、トーコと懐かしい話に花を咲かせた。
酔いがほどよく回ってきたところで、ようやく私は彼女に聞いた。
「それにしてもどうしてこんな雪国に?」
するとトーコはほんのりピンクに染まった頬を上げ、目を潤ませて、こう答えたのだった。
「ご都合主義よ」
「ご都合主義だって?」
「ええ。だって私は大衆小説や漫画の象徴として、この小説に登場したんですもの」
「メタい!」
そう思ったが、考えてみればメタ・フィクションはポストモダン文学の重要な要素のひとつだ。そろそろマジック・リアリズムも登場する頃だろうか。
私がそんな考えに囚われていると、トーコはからかうように、言った。
「純文学とは何か? に迷ったあなたが、そろそろアンチテーゼとしての『大衆小説とは何か?』を追求しはじめる頃だから、それを教えるためにわたしが投入されたの」
「じゃあ教えてくれ! 大衆小説とは何なんだ?」
「ふふ……。たとえば男女が夜に、旅館の部屋に二人きりになったら、純文学だったら何が起きると思う?」
何も起こらないのが純文学だ──と、洛美原先輩のことばを思い出した。
私の返答を待つより早く、私の頭の中を見透かしたように、トーコがさらに言う。
「大衆小説ではね、大衆がみんな期待することが起きるのよ」
「それって……」
「ええ。ハードコア・ワンダーランド」
それを聞いて、村上春樹の丸顔が私の脳裏に飛来した。
そうだ!
村上春樹は純文学なのに、あんなに赤裸々に、えっちな場面を描いてるじゃないか!
ここで私が彼女に襲いかかっても、純文学でいられるのだ!
しかし私は躊躇った。
私の頭の中には新たな問題が沸き起こっていたのだ。
『純文学の襲いかかり方と、大衆小説の襲いかかり方に、果たしてその違いはあるのか──?』