十一、雪国の人
どこでもドアをぱたんと開くと雪国だった。
赤い目がそこかしこの白の上を跳ね回っている。たぶん雪うさぎだ。かわいい。
私はここへ心の平安を求めてやって来たのだと思う。もう、何もかもどうでもよくなってくれたほうが有り難かった。なんか疲れた。
温泉宿に泊まることにした。ゆっくり温まって、風呂からあがったら美味しい温泉料理でも食べよう、食べたら逃げよう、と思っていた。私は貧乏なのだ。金などあるか。無頼派を気取るのだ。
そうだ! 檀一雄の『火宅の人』のように、大切にすべきものをほったらかしにして自由に生きるのだ! それこそブンガクな生き方というものであろう!
それには女が必要だ。ヒロインだ。放浪する男は女たちのあいだを渡り歩かねばなるまい。自由に生きるのだ。そこに何の問題がある? あるとすれば自分が童貞であることぐらいだった。
「あの──」
風呂をあがって長い廊下を歩いていると、美しく白い声に後ろから呼び止められた。
振り向くと、そこに雪のように白い女の子が、浴衣のうなじから湯気を立ち昇らせて立ち、私を見つめていた。
「は……、はい」
私は期待した。これはエロの──もとい、ロマンスの始まりであろうか? と。
すると彼女が意外なことを言い出した。
「あの……。わたしを覚えていませんか?」
「えっ……?」
知っているわけがなかった。
私がこの雪国に来るのは初めてだったのだ。
それゆえに、旅の恥は掻き捨てと、行きずりの恋を期待し、後くされのない食い逃げを画策していたのである。
ここで素直に人違いを口にすれば、真実を追求し、何も起こらない純文学に沿うこととなる。
ここで嘘をついて彼女とのエロ──いやロマンスを始めてしまえば大衆小説となるだろう。
私は大衆小説への道を選んだ。