十、存在の耐えられないチャラさ
「わからない! わからない!」
叫びながら走り続け、私はいつの間にか大学の廊下を走っていた。
文芸サークルに使っている研究室の扉をガラー! と勢いよく開けると、会長の田良尾に問いかけた。
「純文学とは何なのですか!」
田良尾はくるっと振り返り、にこっと笑うと、言った。
「どーでもいーんじゃね?」
「どうでもよくはありません! これがわからなければ、僕は生きていないようなものだ!」
「大袈裟だなぁ。ハハハ。諏訪にでも聞いてみなよ」
「諏訪に聞いたら迷ってしまったんです!」
「ハハハ。まぁ、やっぱりどーでもいーんじゃね? どうせ文芸なんて遊びなんだし。趣味なんだから」
「いいえ! 僕にとって、純文学とは生きることそのものです! 優雅で感傷的な遊びじゃないんです! あなたがたと違って!」
「……うざっ」
田良尾会長は吐き捨てるようにそう言うと、関わり合いになりたくないというふうに顔を背けた。
私はそれを軽蔑した。思わず口からことばが漏れた。
「……チャラっ」
ニーチェのツァラトゥストラは言った。『平和とは戦士が武器を携えて休息している姿のことである』みたいなことを。
私は己の認識を武器として携えたい。純文学とは何であるかという認識を、己の目と頭で確かめたい。それを得ることによって初めて私は平和であることができるのだ!
田良尾の存在のチャラさが私には耐え難かった。
いや、待てよ……?
この、ノーベル文学賞を獲れそうで獲れなかったチェコの文豪の有名なタイトルにそっくりなサブタイトルはもしや、ダブルミーニングなのではないのか?
人間の存在そのものが耐え難いほどにチャラいという意味なのか?
ならば、田良尾のほうがふつうで、まともで、私みたいにチャラさのないやつのほうがまともでないのか?
わからない! 何もわからなくなった!
頭を抱えて駆け出した私は、雪国へ行こうと心に決めていた。なぜだかはわからない。