諏訪家のほうへ(四)
「何を書いているんだい?」
直樹がいきなりそう問いかけると、諏訪はおもむろに顔を上げ、病的なまなざしを向け、言った。
「マルセル・プルーストのギネス記録を塗り替えようと思ってね」
「えっ?」
「世界最長にして最多文字数の『失われた時を求めて』さ。あの記録を僕が塗り替えるんだ。日本語に換算してたったの四百字詰め原稿用紙一万枚、フランス語でたったの一千万文字だぜ? じゅうぶん可能だろ?」
直樹は諏訪が口にしたその純文学作品を知らなかった。どんな作品なのか知りたくて、聞いてみた。
「君はその小説が好きなのかい?」
「読んだこともないよ。だって長すぎる上につまらないんだぜ? ただひたすらに登場人物の意識の流れが書いてあるだけなんだ。まぁ、ジョイスの『ユリシーズ』と並んで現代文学の最高到達点とか言われてるんだがね」
「へえ……」
「ところで君、新入部員かい?」
「ああ。純文学を志しているって会長さんに言ったら、君を紹介された」
「じゃ、僕の家に来いよ」
諏訪はおおきく目を開くとギラつかせ、サメのような口を笑わせて、直樹を誘った。
「僕は諏訪三郎。この堕落した時代に純文学を志す君の仲間だ。僕の家には定期的に純文学仲間が集まり、議論を戦わせている。君も来いよ」
「うん……」
なぜだか気乗りがしなかったが、直樹はうなずき、聞いた。
「ところで君が書いてるその世界一長い小説、面白いのかい?」
諏訪は自信たっぷりに、胸を張って笑いながら、答えた。
「エベレストの頂上をめざすのが面白いなら、僕の小説も面白いことだろう」