6 帝国の『血塗られた皇子』
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小規模のパーティーとは聞いていたが、流石に王家が主催するだけあって、メルローズにとっては十分大規模なものだった。
ダンスホールは見たことがないほど広かったし、シャンデリアの煌めきと明るさは目がつぶれそうなほど。料理やワインはどれも素晴らしく、そしてオソランサ帝国から取り寄せたのであろう、見た事がない食材も多かった。
楽団の人数も非常に多い。だが団員全員が見事な腕と協調性を発揮していた。いかにも隣国で流行りそうな、雄壮な音楽を奏でている。
しかし大規模なパーティでも集められた人々はやはり厳選されているようだ。シュールレ男爵夫妻やダスティン、それに彼らと仲の良い、嫌味や噂話が好きな人たちもいない。メルローズはもし彼らに何か言われても挫けない覚悟ではいたが、やはり少しほっとした。
「はじめまして。ドレンテ家のメルローズと申します」
彼女は知人を作ろうと積極的に周りに挨拶をする。しかし簡単には上手くいかない。時には眉をひそめながらも傷について訊ねてくる不躾な人にも出会った。
「あの、貴女その肩……お隠しにならないの?」
以前の彼女なら肩を完全に隠し、それでも『傷物』と揶揄されれば涙目で逃げ出していただろう。だが今は違う。むしろ傷の説明をするチャンスだと開き直り、にっこりと笑顔で答える。
「ええ、私、意地悪な人たちに陰で『傷物令嬢』なんて渾名をつけられているようですの。でもこの傷は、名誉ある負傷なんです」
「名誉ある負傷?」
眉をひそめていた人も、そうでない人も。メルローズの話に興味を引かれている。彼女はその機を逃さず続けた。
「私は10歳の頃に誘拐されそうになりましたの。でもその時に私の友人が戦って守ってくれたんです。この傷はその時に戦いに巻き込まれて怪我をした痕なのですが、もしも友人がいなければ、私は本物の『傷物』になっていたでしょう……」
「まあ、恐ろしい」
「なんと! でも無事で良かったですね」
「その友人は大変勇敢ですのね」
「はい、最初は傷を隠していたんですけれど、今はその友人との絆の証として、この傷は隠すべきではなく名誉あるものだと考え直したんです」
その友人が仔熊である事には触れずに、メルローズはうまく説明した。
他の国ではどうか知らないが、このボーレンヌ王国の貴族令嬢にとって……特に上級貴族の、王家に招かれるような立場の未婚の令嬢にとって、純潔は厳しく守られるものと考えられている。そう、守れなかった令嬢はまさに『傷物』なのだ。
もしも誘拐されたなら通常はただでは済まない。身代金を払い、命は助かったとしても、純潔は散らされてしまった可能性がある。そして口さがない連中はその可能性を突き、本当に無事だったかどうかに関わらず彼女を『傷物』だと言うだろう。
だから誘拐を未然に防げたのなら肩の傷はそれよりもずっと小さな事……むしろ純潔を守れた証でもある、とメルローズは主張したのだ。
危機一髪、傷は負ったが誘拐はなんとか防げたというスリリングな話に、ほとんどの人間は興味津々で話を好意的に聞いてくれる。彼女は手ごたえを感じた。
(これで私を『傷物』だと蔑む人が減ってくれれば、縁談が来る可能性だってあるわ!)
しかしこれは即効性のある方法ではない。楽団が奏でる音楽を踊りやすそうな曲調に変更し、ホールの中央で何人もの男女が手を取り踊り出すが、メルローズをダンスに誘う男性は現れなかった。やはり肩に傷のある女性と踊るのは勇気がいるものだろう。
メルローズとて、そんなに都合よく行くとは思っていない。種は今、蒔き始めたばかりだ。水をやり、陽を浴び、やがて芽吹くまで根気よく続ける必要がある。彼女はまた別の人間に挨拶をしようとした。
「あの……」
その時、彼女の背中でざぁっと空気が変わった気がした。メルローズが話しかけた相手も目を丸くして、メルローズの肩越しに向こうを見ている。それで彼女も振り返らずにはいられなかった。
こちらに向かって黒髪黒目の男性が歩を進めている。その一歩の歩幅がとてつもなく大きいが、別に無理をしているわけではない。彼の身長と足の長さが人並外れて優れているのと、おそらく戦闘訓練などで厳しく鍛えられた結果、キビキビと大股で動くのが癖になっているのだ。
その勢いに気圧されるかのように、人々が彼のために道をあけた。あっという間に男性はメルローズの前に到達する。
側に立つと背は見上げるように高い。横幅も厚みもがっしりと逞しそうな身体を厳めしい軍服が包んでいた。胸にはいくつもの勲章がキラキラと輝き、黒い軍服に彩りを添えている。
口を真一文字に引き結び、固い表情を保った彼の迫力と威圧感はメルローズのたったひとつ年上、17歳のものだとはとても信じられなかった。だが彼はまだ子供の時代から軍の訓練に参加し、一昨年、辺境で蛮族が反乱軍を名乗って周辺の村を荒らした際も自ら討伐隊を率い、誰よりも多く敵を倒したという。
おそらく長い間屋敷に閉じ籠っていたメルローズとは、経験値が……くぐってきた修羅場の数が圧倒的に違うのだ。
もうメルローズにも彼が誰なのかわかっていた。わかっていないと不敬だ。本日のパーティーの主役なのだから。彼女はすぐに淑女の礼を取った。
通称『血塗られた皇子』、ルイス・ノア・オソランサ皇太子殿下の声が頭上から降ってくる。
「ドレンテ伯爵令嬢」
「は、はい」
頭を下げていたメルローズの視界に、ぬっと大きな手のひらが差し出される。
「俺と一曲踊っていただけるかな?」
周りで様子を窺っていた人々が思わず「えっ」や「あっ」と言葉を漏らし、それはひとかたまりのどよめきとなってホールの天井に反射した。
メルローズも同じ瞬間、驚いて「えっ」と言いながら顔をあげる。皇子は先程近づいてきた時と変わらずの無表情だったが、黒曜石のような瞳には感情が揺れているように見えた。彼女はその目に、彼の威圧感と相殺される柔らかな雰囲気を感じ取る。
まあ、もし仮に威圧感を感じたままだったとしても、今日の主役から直接ダンスのお誘いを受けて断れるほど、メルローズも心臓は強くない。
「……喜んで」
彼女は皇子の手に、自分の手を重ねた。と、見守る人々からまたもや(先程よりは小さいとはいえ)どよめきがあがった。
周りの騒ぎを無視し、ルイス皇子は半ば強引なほど素早くメルローズをホールの中央にいざなう。その姿は誰の目にも自信に溢れた堂々としたものと映っただろう。
しかしメルローズだけは皇子の手が細かく震え、手のひらがじっとりと汗ばんでいるのに気がついた。
(もしかして、殿下は緊張なさっていらっしゃるのかしら?)
彼女の予想を裏付ける出来事がその直後に起きる。彼が彼女の背中に手を回し、いざ踊り始めようとした瞬間。
皇子は最初の一歩を逆方向に踏み出した。
「!」












