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4 ノワールとの再会

 ★



 それはまさに天の導きと言っていいだろう。

 あの事件以来、メルローズは滅多に森には近寄らなかった。でも家に引きこもっている間、弟の病状をなんとかできないかと自分でも本を読んで勉強した結果、幾つかの季節の物を食べさせると良いのではないかという結論に至ったのだ。


 春の芽、夏の葉もの、秋の実、冬の根など。もちろん劇的な効果はないが、身体の弱ったジェイムズに少しでも精がつくという意味では悪くない……と彼女の意見に医者も賛同してくれていた。


 それでたまたまその日、メルローズは侍女と新しい庭師を連れて、ジェイムズに食べさせるための秋の実を自ら採りに森に入った。ところが猟師小屋の脇に巨大な黒い塊がうずくまっている。差し込む木漏れ日が彼の黒々とした毛皮を照らしていた。


「……お嬢様、逃げましょう」


 その毛皮が大きな熊のものだといち早く気がついた庭師が声をひそめてメルローズに言った。が、その声が耳に届いたのか、それとも彼女の匂いに気がついたのか。熊がふいと頭を上げる。


「ヒィッ!」


 腰を抜かし震える侍女の横でメルローズは熊に視線が釘付けられ立ち尽くしていた。彼の首の周りに大きな傷痕がぐるりとついており、毛が抜けて痛々しい。そして、黒く丸い目は狂暴な獣のそれではなく、彼女を優しげに見つめているように感じた。


「あ……」


 その時、メルローズは今まで大きな勘違いをしていたことに気がついた。六年前この森で出会った、ずんぐりと丸っこく大きな犬だと思っていた生き物は……実は仔熊だったのだ、と。


「ノワール、なの?」

「グワァァン!!」

「ヒェッ」


 森中に響き渡りそうな咆哮に、今度は庭師も腰を抜かし地べたに尻もちをついた。しかしメルローズは倒れたりはせずに小さく震えている。目には涙が浮かんでいるが、それが恐怖からくるものと誤解されても仕方がない。だから次の瞬間、その場の()が驚いた。


「ノワール!!」


 彼女は駆け出し、熊にすがりついたのである。面白かったのは、熊自身もこの事態に驚いていたことだ。


「オ……ウ?」


 まるで中に人間が入っているかのように戸惑うノワールだが、メルローズはそんなことにはお構いなしとばかりに彼の頭を、背中を、鼻先を撫でまくった。


「ノワール! ノワール! 会いたかった……っ」

「ガウ……」


 優しく、壊れ物を扱うように、おそるおそるといった感じで。ぺろりと彼の舌がメルローズの頬に触れ、涙を拭う。

 彼女は初めて出会った時の事を思いだし、その時と同じように屈託なく笑った。


「ふふふ、くすぐったい」


 今まで家に閉じ籠りがちで、弟やダスティンの悩みからいつもピリピリするか陰気な雰囲気をまとわせていた彼女が、少女のように明るく笑うのを見て侍女も庭師も納得せざるを得なかった。

 侍女は説明するために先に屋敷に戻ったし、庭師は猟師小屋から腰掛けを出してきてメルローズに勧めてくれた。


 メルローズが腰掛けると、ノワールはぴったりと寄り添うようにその横にうずくまる。彼女はゆっくりと身体をノワールに預けてみた。ふかふかのお日様の匂いに似た温かい毛皮が、彼女をゆったりと包み込んでくれる。


「ああ……」


 彼女は溜め息のような感嘆を漏らすと、そのまま話し始めた。


「ノワール、あのね、私ずっとあなたに話したいことがあったのよ……」

「グゥ?」


 メルローズがこれまでの六年間について長い長い話を続けている間、ノワールは根気よく耳を傾けてくれた。


 彼女がすっかり全部を語り尽くしたころには、もう太陽は朱を帯びて西の山にかかろうとしていた。


「ノワール、明日もまた会える!?」


 メルローズはうきうきとした気持ちでノワールに訊ねたが、すぐにその気持ちははじけて消えてしまうことになる。


「くぅ……」


 ノワールは悲しそうに首を横に振るとメルローズから離れ、帰る素振りを見せたのだ。


「待って!」


 彼女は熊の後を追って森の奥へと進もうとしたが、庭師に止められてしまう。


「お嬢様、ダメです。これ以上森の奥に行くのは危険ですから」

「ノワール……」


 メルローズは森の奥深くの陰にノワールの姿が溶けて消えるまで、その姿をじっと見送った。



「メル、事情は聞いたが……本当に熊だったのか?」

「ねえメル、大きな犬を見間違えたのではなくて? 今まで熊なんて直接見たことがなかったでしょう~?」


 屋敷に戻ると、先に帰っていた侍女から話を聞いていた両親がメルローズを待っていた。二人はノワールが熊だとはとても信じられないようだ。


「間違いないわ。私だけじゃなくて庭師も確認したもの!」


 そうきっぱりと主張したのだが、両親は顔を見合わせている。どうも納得していないようだ。


「おかしいな……確かに犬だと聞いていたのだが」

「そうねぇ~。向こうが噓を言う必要なんてないでしょう?」

「まあ確かに熊なんて危険だから、メルを怖がらせないための嘘だったのかもしれないが……」

「でも熊なんて飼うもの?」


 二人がぼそぼそと話しているため内容は完全には聞き取れなかったが、どうもノワールのことらしい、とピンときたメルローズは訊ねる。


「お父様、お母様、何の話? ノワールの事、何か知ってるの?」


 ふたりはギクリと身を固くした。


「いっ、いいえ。なんでもないわ~」

「とにかく、熊なんて危険じゃないか。もう森に近づいてはならんぞ!」

「そんな! ノワールはいい子よ。危険なんてないわ」

「馬鹿を言うな。そのノワールにお前は大きな傷をつけられたんだろう!」

「!」


 痛いところを突かれてメルローズは反論ができなかった。確かにそのとおりなのだ。


「この際だから言っておく。なぜシュールレ男爵家との縁談を断り続けている? あのご子息はお前を救ってくれた恩人だぞ」

「確かに爵位は男爵家だけれど、お金はあるから豊かな生活を送れるわよ。あそこの家の人たちは皆いい人だし、それに何より、ご子息はメルの事を愛していると言ってるんだもの。きっと幸せになれると思うの~」

「……嫌よ」


 メルローズの中に、炎がカッと燃えるような熱が走る。彼女は叫ばずにいられなかった。


「何故わかってくれないの!? シュールレ男爵令息はいい人なんかじゃないって前から言っていたじゃない!」

「メル……」

「お父様もお母様も大嫌い!」

「メル! 待ちなさい!」


 彼女は両親の前から駆け出し、自分の部屋に戻ると鍵を閉めた。外から誰かがドアをノックをし、何かを言っている。両親か使用人なのだろうが、何も聞きたくなくてドアから離れた。


「ああ……」


 黒い大きなぬいぐるみに歩み寄り、ぎゅっと抱き着く。そうして昂った心を落ち着かせると、次にメルローズの心を占めたのは後悔だった。両親はシュールレ男爵家の人間を信頼しており、娘が縁談を嫌がっているのは子供のわがままだと思い込んでいるのだ。

 彼女がダスティンを嫌うのは、ただのわがままではないと主張したかったのに、まるで子供が駄々をこねるような態度を取ってしまった。これではまるで説得力がないではないか。


「悔しい……悔しいわ」


 ダスティンはメルローズと二人きりの、使用人の目が無い時にしか決して本性を現さない。更に両親の前では真摯で誠実なふりをして彼女への愛を語る。しかし彼がメルローズを愛しているなんて嘘っぱちだ。


「ノワール……」


 今日の昼間に共に過ごした、ゆったりとした幸せな時間を思い出し、熊の名前を呟いたメルローズ。

 しかしその後に姿見に映る自分を見てハッと気がついた。



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