【追加エピソード】夢かと思っていて
最終回に入りきらなかった、二人のイチャイチャシーン(?)を改めて書きました。
4200文字程度と若干長めです。宜しくお願い致します。
時系列はメルが香水を落とす為に湯浴みをするところから、二人でお茶を飲みながら話をする手前までです。
ぐすぐすと鼻を鳴らしていたノアの腕の中から、やや強引にメルローズを引き剥がしたガルベリオ。彼女と共に執務室の外に出るとこう言った。
「旅の疲れもあるでしょう。ドレンテ伯爵令嬢、湯浴みの後はゆっくりと身体をお休めください。……何時間でも、お好きなだけ」
メルローズは少しだけ驚き、背にしていた執務室の扉を振り返る。中に残したノアのことを思い、ガルベリオの言葉に抵抗しようとした。
「で、でも」
「お願い致します。これは殿下の為でもあるのです」
「え?」
「殿下はおそらくこの数日、きちんと食事や睡眠を取っていらっしゃいません。ドレンテ伯爵令嬢のお顔をご覧になって心の底から安心されたようですし、今ならくつろいで仮眠を取れるのではと思います」
「……ああ、そういうことですの」
メルローズもようやく納得する。あの美丈夫が見る影もないほど窶れ、顔色も青白く、今にも倒れそうに見受けられた。彼女もノアを一目見て心配になり、思わず駆け寄るほどだったのだ。
「では、いつもより長めに時間を取りますね」
「ありがとうございます」
斯くして、メルローズは帝国の宮殿の風呂を堪能した。豪奢なだけではなく、ぴかぴかに磨き上げられて清潔な湯殿は、お湯に赤い薔薇の花びらが浮かべられ、香油か香水が混ぜられて良い香りが室内に充満している。
「まあ、こんなに豪華なお風呂は初めてだわ……」
感動し、ゆったりと湯浴みを楽しんだあとは宮殿の女官による全身のマッサージや、髪、爪の手入れを念入りに行われた。
メルローズがオソランサに来る際、ソフィーは結婚を控えているので故郷に置いてきたのだ(ソフィー本人は少々不満だったようだが)。代わりに連れてきた他のメイドは、過酷な強行軍の旅に耐えられず、馬車の中でぐったりとしていた。今はガルベリオに与えられた部屋で休んでいる。
つまりはメルローズの普段の好みやクセを知る者はこの場にいない。けれども流石は帝国の城勤めの女官と言うべきだ。メルローズがなにも言わなくとも彼女たちは完璧すぎるくらいに肌を磨き上げてくれたし、髪結いやメイクの腕も超一流で、いつもより垢抜けた姿に仕上げてくれたのだから。
「メルローズ様、こちらでいかがでしょうか」
恭しく差し出された鏡の中を見て、メルローズは思わず小さく息を呑む。
「まあ……とっても素敵。私じゃないみたい」
「勿体無いお言葉でございます」
ソフィーは連れてこなくて正解だった。きっとこの仕上がりを見たら、散々悔しがった末に「この人たちに弟子入りします!」と言いはって、未来の夫を放り出したまま祖国に当分の間帰らなくなるだろうから……とメルローズは心の中で呟いた。
美しく着飾った彼女が再びガルベリオと対面したのは二時間以上もの時が経ってからのこと。皇太子の側近はメルローズを見るなり眼をみはったが、すぐに顔を背けて世辞を口にする。
「いやあ、これはお美しい。殿下がドレンテ伯爵令嬢をご覧になった時が楽しみですね」
「あ、ありがとうございます……?」
「ああ、気にしないでください。こんなに美しい貴女を、殿下より先にじっくり見たのでは後が怖いですからね」
メルローズは首を傾げ、そして数日前「たとえ傷の治療のためでも触れることが出来ない」と言っていたマスキスの言葉を思い出した。
「あの、殿下は……もしかして嫉妬深くていらっしゃるのですか?」
「ぶふっ」
ガルベリオは顔を背けたまま、大きく吹き出した。普段は明るく爽やかな雰囲気の側近は、さらにくだけた態度を見せている。かなり素をさらけ出しているようだ。
「いえいえ……我が君は、そんな心の狭いお方であるものですか! ただちょっと、執着心が強いだけですよ。長い長い恋わずらいのせいでね」
口ではそう言うものの、声にはかなり笑いが混じっていた。
★
メルローズは女官の一人に先導されて宮殿のなかを進んだ。本来はその先導の役目は、宮中の案内を兼ねてガルベリオが務めるはずだったのだが、先の理由によりメルローズの遥か後方についてきている。
「こちらでございます」
何度か門番が守る扉を抜けた先、豪華なというよりも頑健な印象の大きな扉を女官が小さく指し示す。それが皇太子殿下の私室につながる入口だった。
護衛が扉をノックし、暫く様子を見るが反応はない。細く扉を開けて、すぐ中に控える侍従に確認する。
「殿下はお休みになられておりますが、ドレンテ伯爵令嬢は通すようにと仰せつかっております。どうぞ」
メルローズとガルベリオが中に入ると入れ替わりに侍従は退室した。室内は扉と同じく、豪華さよりも実用性や頑丈さに重きをおいた内装だった。これはいつ熊の姿になっても良いようにとの配慮からだろう。
長椅子も特別にあつらえたものか、かなり横幅や奥行きが大きく作られていた。そこにノアが横たわり、眠っている。
「殿下……?」
小さく声をかけてみたが、ノアは起きる様子がない。メルローズはこわごわ、ノアに近づいてみる。それでも彼は起きない。ついに長椅子の真横に立ったが、皇太子は夢の世界に行ったままだった。
(そう言えば、人間の時に寝ている姿を見るのは初めてね)
メルローズはそっと彼の顔を覗きこんだ。眠っていても彫像のように雄々しく美しく整っているのは変わらないが、長く濃い睫毛で縁取られた目は閉じていると少し幼さをはらみ、年相応の雰囲気が垣間見える。
その目の下には青黒いクマができていた。ここ数日、食事もだが睡眠も碌にとっていなかったのは本当だろう。
と、そのノアの眉間に深く皴が刻まれたかと思うと、小さなうめき声と共に瞼が薄く開いた。彼は眩しいものを見るかのように細目でメルローズを見ている。
「!」
メルローズは慌てた。いくらノアが自分に好意があると言っても、立場の違いを考えれば、勝手に寝顔を間近で見るのは流石に無礼な行為だったかもしれない。
「も、申し訳ございません……」
謝りながら後ずさりをする彼女の腕を、ノアがパシッと掴む。
「え?……あ、あの、きゃあっ!?」
そのままぐいと腕を引かれ、バランスを崩したメルローズは彼の厚い胸の上に倒れこんだ。息継ぐ間もなく、太い二本の腕が背中側に回り込む。がっちりとホールドされていて身動きできない。
頬にかぁっと血がのぼるのを自覚した彼女の耳に、ノアの囁くような甘い声が入ってきて。
「ああ、メル。大好きだ、メル……愛している。ずっと君をこの腕に抱きたかった」
「!」
彼女は更に耳まで赤くなった。耳に心臓があるかのようにバクバクと脈が打っている。嬉しいのに、恥ずかしい。
「メル……俺のそばに居てくれ。頼む。もう二度と、君を傷つけたり怖がらせたりしないから、お願いだ……!」
メルローズはそこで急にハッと我に返る。ノアの最後の言葉は何故か悲痛なものを帯びていて、懇願にも近かった……泣きそうなくらいに。
彼女は身動きが取れないながらも、必死に顔を上げ、ノアの懇願に応える。
「はい。ずっと殿下のおそばに居させてください。私でよければ」
「……」
暫しの沈黙。
それまで目をつぶっていたノアは、はっきりと目を開けた。そしてメルローズと視線がぶつかると黒曜石の瞳がぎょっと見開かれる。
「あ、あああ! め、め、メルローズ嬢!?」
ノアはその巨体に見合わぬ素早さで、メルローズを抱いたまま起き上がる。彼女を長椅子に座らせると、これまた素早い動きで長椅子から離れ、距離を取った。
「すまない!! あの、今のは、その、夢かと思っていて……!!」
「……夢、ですか?」
今度はノアが耳まで真っ赤になる番だった。彼は大きな手で顔を覆う。
「……ああ、恥ずかしい話だが……先ほどまで悪夢を見ていたんだ。今日君が俺のもとに来てくれたのは俺の願望からくる夢や幻で、本当の君は俺の事を怖がっているのだと……」
ここで彼は手を下ろし、ちらりとメルローズを見た。
「だから、ますます綺麗になって俺の前にいる君の姿を見た時、やはり都合の良い夢だと思って……」
「まあ……」
メルローズの胸の中に、小さな痛みが生まれる。先ほどノアの執務室で久しぶりに対面した時、彼は「ずっと謝りたかった。君に傷をつけたことを」と、子どもの様に泣きながら告白していたのを思い出したのだ。
彼女はそれに対して「私もずっとお礼を言いたかった」と返した。ノアは嬉しそうに「ありがとう」と言っていたが、その後夢の中では再度自分を責め、メルローズが現れたのは自分に都合のいい妄想だと思っていたということだろう。
(ああ、そうだわ! 私はまだ……)
メルローズは立ち上がり、ノアに近づく。彼は大きい身体を臆病な獣のようにびくりと震わせた。
「め、メルローズ嬢……?」
「殿下、私は殿下にまだお伝えしていないことがふたつございました」
「ふたつ?」
「ええ、まずひとつめ。私は殿下を赦します」
「……! それ、は」
メルローズはふわりと微笑む。つい先ほど気がついたのだ。まだこの言葉を彼に言っていなかったことに。彼はずっと己を責めていたのに。
「ええ、私が傷を負ったこと……六年前と、先日の件。いずれも私は殿下のせいだとは思っておりません。けれども、殿下はそれでは納得なさらないでしょう? ですから、私が赦します。もうご自分をお責めにならないでください」
「あ……ありがとうメルローズ嬢……」
「いいえ……」
ここで少しだけ余裕ができたメルローズに、小さな悪戯心が湧いた。かつてノアが伯爵邸で自分をからかった時のことを思い出し、真似て言ってみる。
「……でも、もうメルと呼んではくださらないのですか? 夢の中のように」
「!……すまない! 勝手に愛称を呼んだりして!」
「何故謝るのでしょう? どうぞメルとお呼びくださいませ、ノア様」
「メル……」
「はい、ノア様」
大好きなひとに自分の愛称を呼ばれるのは、こんなに幸せなことなのだとメルローズは初めて知った。あのパーティーの日、バルコニーで天を仰ぎ感極まったノアの気持ちが今ならわかる。そのノアは再び感極まり、潤んだ黒い目でこちらを見つめていた。
メルローズも胸の中いっぱいに幸せが広がるのを感じながら、もう一度彼の名を呼ぶ。
「ノア様、もうひとつの、今まで申し上げていなかったことですけれども」
「なんだ?」
「私も、貴方をお慕いしております。ノア様を誰よりも愛しております」
メルローズは再び彼の腕の中に閉じ込められた。いつまでも捕らわれていたくなる、甘く幸せな拘束だった。
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