21 『血塗られた皇子』の真相
「やっとジェイムズ様に提供されていた薬の分析が全部終わりましてね。明日伯爵にご報告をしようと思っていたのですが……かなり骨が折れました。なにぶん、日によって薬の配合が違っていましたので」
「日によって違う、ですか……?」
メルローズは思い出してみた。全部を確認したわけではないが、今までジェイムズが薬を飲むところに立ち会ったことは何度もある。その時の薬包の中身は……。
「確か……あの薬の見た目は全部同じようなものだったかと」
「そうです。見た目でわからなくするために、非常に細かくすりつぶされていました。そして、砂糖や薄荷や柑橘は、味の違いをわからなくするために入れていたんです」
「!」
「薬の味が日によって違えば、当然患者の不信感を招きますからね」
「……あの、やっぱり、薬の中に毒が……?」
マスキスは小さく頷いた。
「毒と言ってもすぐに命を奪うようなものではありません。どちらかと言うと内臓に大きく負担をかける効果です。もちろん、摂り続ければ死に至りますが……おそらく死なないように調整していたのかと」
「調整……」
メルローズは普段なら何でもないその言葉の、この時だけは意味するものがとてつもなくおぞましいことに震え、青ざめた。シュールレ男爵は弟の命を弄ぶような真似をしていたのだ。
「はい。毒の量を増やしたり減らしたり、時には入っていない日や、逆にこれが混ぜられている日さえありました。ジェイムズ様は日によって調子が違うと仰っていましたが、それも納得ですね」
医師は「これが」と言う際に、棚に置いていたひとつの瓶を指差した。
「先生、それは?」
「内臓の解毒作用を高め、排出を促す薬です。実は私がジェイムズ様にお出しした薬は、これと強壮剤を混ぜたものでした。すぐに効果があったでしょう?」
「……はい」
メルローズは両手を膝の上でぎゅっと拳にして同意する。ジェイムズは毒を盛られているのではないか、と以前から何度か疑ったことはあるし、マスキスが診てくれてからは疑いは確信に変わっていた。それでも改めて医師の口から薬の分析結果を聞くと、恐ろしさと悔しさと怒りで涙がこみ上げそうだった。
「……今回の件と弟の件、併せて十分な罪のはずです。すぐに男爵を逮捕するようお父様に伝えますわ」
「ああ、それは心配しなくてよろしいでしょう。もう今頃捕まえているのではないでしょうか?」
「え?」
「殿下は先ほど、男爵とその関係者を捕らえる指示をガルベリオ様に出しておくと仰っていましたから」
「……殿下が? ガルベリオ様に? で、でも今から帝国で指示を出したのでは……」
隣国と言ってもオソランサ帝国までの距離は早馬でも数日かかるほどだ。帝国から追手を出したところで男爵を取り逃してしまうだろう……とメルローズは心配したが、マスキスは彼女を安心させるように微笑んだ。
「実は殿下が帝国に帰る際、私だけではなく、ガルベリオ様や信頼できる人間を何人かこの国に置いていかれたのです。ガルベリオ様はシュールレ男爵を見張るために王都に滞在されています。我が君は目や耳となる人間さえ各地に居れば、情報を簡単に把握できるのですよ……この意味はおわかりでしょうな?」
「……あ!」
メルローズは医師に問われ、すぐに理解した。忘れるはずもない。先ほどノアが自分の前に現れた奇跡を。
「あの槍……オソランサの初代皇帝の伝説と同じ力ですね」
「はい。殿下は世にも希な、所謂『先祖返り』と言われる、獣人の力を生まれもった御方です。あの御方が伝説の槍を使えば、空間を破りどこにでも一瞬で移動が可能なのです。……もちろん代償はありますが……しかし恐ろしい力でしょう」
「恐ろしい力……?」
「そうです。もし殿下がその気になれば、敵対している国や地域のトップの首をいつでも狙えるのですから」
「で、でもそれは裏を返せば素晴らしい力でもあるでしょう? 無駄な戦争で沢山の民の命を散らすよりも、相手の首領一人の命を取ることで、本来は困難なはずの争いの幕を引くことができるのですから!」
「……」
マスキスはふっと微笑んだ。それは先程の、メルローズを安心させるものとは違う。かといって冷笑というのとも違った。
「ドレンテ伯爵令嬢、貴女はとてもお優しい。それに知恵も勇気もある。けれども……御父上と同じく、貴女もいささかお人好しが過ぎるようですね」
「え?」
「いや、失礼。決して馬鹿にしているわけではありません。しかし、いまのご意見は殿下のお血筋や、この国と帝国の関係をご存じだから出たものではないと言い切れますか? もしもそれらがなければ……ボーレンヌの国王陛下が寝首をかかれ、一晩でこの国が帝国の支配下に落ちるとしたら?」
「……!」
メルローズはそこまで言われて初めて、今まで王国の平和なぬるま湯に浸かっていた故に危機感が薄かったことに気がついた。
もしも自分がノアに好意を持っていなければ……いやそれ以前に、ノアがボーレンヌ国王の甥でなかったのなら、彼の能力を知って恐怖したかもしれない。もちろん、ノアは簡単に他国を侵略するような人ではないと知ってはいるが。
マスキスはまるで彼女の気持ちを見抜いたかのように付け加えた。
「もちろん、殿下は他国への侵略をなさるような御方ではありません。ですが殿下の事をよく知らない人間が殿下の能力だけを知れば、いつ自分を殺しに来るかと疑心暗鬼にとらわれるでしょう。逆に殿下の命を狙う事もありえます。ですから『先祖返り』のことは帝国内でも限られたごく一部の人間にしか知らされていないのです。……それに」
医師は辛そうに声を絞った。
「殿下ご自身は、幼少のみぎりから『先祖返り』の症状と、それを利用しようとする人々の態度によって随分と苦しまれてきたのです。今でも殿下を『血塗られた皇子』などと酷い二つ名で呼ぶ人がいますが、それこそ殿下と殿下の能力を疎んじ、貶めようとする勢力が広めた悪意ある呼び名なのですよ」
マスキスはメルローズの右肩の辺りをじっと見た。今は包帯を巻き、更には服が切られているために上から外套を羽織っているので何も見えない状況だが、あきらかに視線はダスティンのナイフでつけられた傷の位置に定まっている。
「殿下は……図らずも変身してしまったと私に仰いました。……ドレンテ伯爵令嬢、貴女のその傷から流れる血を見て、殿下は変身されたのですね?」
メルローズは安易に判断してはいけないと思ったが、やはり思い返してみてもノアが巨大な熊に変身したきっかけはあの時だろうとしか思えなかった。それで素直に肯定した。
「はい。おそらくそうです」
「殿下は血を見ると過去のショックを思い出して興奮し、自分の意志とは無関係に変身してしまうことがあるのです。近年はそれもだいぶ克服されていたのですが……やはり貴女の血が流れるのは耐えられなかったのでしょうね」
「え?」
マスキスは厳しい顔つきでメルローズを見た。
「これから私は貴女にとって少々辛いお話をすることになるでしょう。けれども貴女があの御方の隣に立つならば、これは避けては通れない話でもあるのです。貴女にその覚悟はおありですか? ドレンテ伯爵令嬢」












