表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/29

20 マスキスの爆弾発言

 ◆



「あーッ!?」


 馬車の中からソフィーは身を乗り出した。

 いや、元々馬車から身を乗り出すようにして外を眺めていたのだが、自分が見たものが信じられなかったのだ。

 驚きながらも再度よく見ようと馬車の窓枠に手をかけ、もっと頭を前に突き出す。そのせいで馬車から落ちるのではないかとメルローズはヒヤヒヤし、思わずソフィーのスカートを掴んだくらいだ。


「お嬢様! あ、あいつです。例の男がいました!」

「例の男って?」

「あの、ちょっと顔だけが良かった、あたしに三度も声をかけてきた男です!」


 一行は街に戻っていた。ソフィーは縛られたダスティン達が途中で警護隊の詰所に連行される際、犯人の顔を見てやろうと(もしかしたら罵声とか、もっと悪いものを浴びせてやろうと思っていたのかもしれないが)、馬車の外に首を伸ばしていたのだ。


「まさかあの男が犯人の一味だったなんて……」


 ソフィーの目も、ポカンと開けた口も丸くなっている。ただ、そこにはガッカリした雰囲気はなかった。今は本当に婚約者の男性以外は眼中にないのだろう。


 メルローズも、侍女が指さす先の男をチラリと見たが特に格好いいとも思えなかった。ソフィーの言っていた「殿下に比べたら、ほかの男の見た目なんて十把一絡げ、五十歩百歩」というのは本当らしい。


(ノア様……)


 メルローズは組みあわせた両手をぎゅっと握る。彼の変身した姿……あれはノワールだった。首の周りにぐるりとついた傷。それに彼を止めようと黒い毛皮に飛び込んだ時、お日様のような匂いがしていた。間違いない。


 彼女はソフィーに真実を言えなかった。侍女は隣の部屋で獣の声とメルローズが「ノワール!」と叫ぶ声を聞いていたので、ノアがノワールを連れて現れたのだと思っている。そのノアも熊も、忽然と消えてしまったのを不思議だとは思っているようだが。


 そうしているうちに馬車が止まった。外側からドアが開けられ、マスキスが顔を見せる。


「ドレンテ伯爵令嬢、手当てを致しましょう。私の研究室へどうぞ」


 マスキスが偽名で住んでいる家は、こじんまりとはしていたが清潔感があり居心地が良さそうだった。簡素な居間を通り抜けて奥の部屋の扉をマスキスが開ける。中に入ったメルローズは思わず声を漏らした。


「まあ……」


 研究室と言ったのは伊達ではなかった。部屋の片面には壁に作り付けの棚があり、そこにさまざまな薬の原料が入った瓶がずらりと並べられている。

 反対の壁側は大きな机があり、大きなレンズや乳鉢、濾過装置やランプなど機材がこれまたところ狭しと並んでいた。

 医師はメルローズを椅子に座らせ、胸元の傷を見る。


「ふむ、血も止まっていますし、やはり浅い傷ですね。ただ痕が残ってはいけませんから薬は塗ったほうがよろしいかと。少し待ってください」


 マスキス医師は棚から三つの瓶を選びだすと、乳鉢にそれらの中身と少々の水を加えてすり潰し、ペースト状の塗り薬を作った。


「ではこれを塗って、上から布を当ててください」


 彼は薬をソフィーに差し出したので、侍女は少し慌てている。


「え、え、あたしが塗るんですか? 先生の方がお上手でしょうに!」

「まあ、そうでしょうが……流石に傷の場所が場所だけに、私が触ったりすると殿下に会わせる顔がありません」


 確かにメルローズの傷は白い柔肌の胸元にある。マスキスがもし医師でなければ見せることもなかっただろう。しかし治療のために触ることも許されないとは……


「まああ! お医者様が触ってもダメなんて、殿下はそんなに嫉妬深いんですか!?」


 御本人がその場にいないのをいいことに、ソフィーは大胆にも不敬罪で罰されそうなことを言ってのけた。今まで少し及び腰だったマスキスが、それを聞いて慌て出す。


「いいえ違います!! 殿下の名誉のために誓って言いますが、我が君は嫉妬で治療を禁じるような度量の狭い方では決してございません!」

「じゃあ何故先生はそんなことを仰るんですか?」

「いやぁ……その……」


 途端に医師は言葉を濁し、ソフィーはじろじろと彼を疑いの目で見始めた。マスキス自身もその視線を感じ取り、ここは黙ってやり過ごすことは難しいと思ったのか、のろのろと口を開いた。


「……あのですね、確かに殿下は治療を禁じるようなことはなさいません。本当です。ですが……その、目が訴えるんですよ」

「……目が?」

「はい。その……悔しがったり悲しそうだったり。殿下はあまり表情が豊かな御方ではないので、余計に目で訴える情報が多く感じられるもので……」

「つまり、口では何も言わないけれど、圧が強いということですか?」

「……はい。あの、私はガルベリオ様のようには振舞えないので……」

「ガルベリオ様って、殿下の側近のかたですよね?」

「ええ。その、あのかたは私と違って殿下のお側に上がられて長いものですから……」

「「?」」


 汗を拭き拭き弁明をするマスキスだが、その弁明がいまひとつハッキリせず、ぐいぐいソフィーが質問をしても一向に何を言いたいのか要点を得ない。ソフィーとメルローズは理解できず、首を傾げてマスキスの言葉を待った。


「……」


 暫くの無言の後。医師はようやく覚悟を決めたらしい。はっきりと言いたいことを……爆弾発言とも言えるネタばらしをした。


「ガルベリオ様なら、わざと殿下を嫉妬させて反応を楽しむぐらいの胆力をお持ちなのですが……私ではとても殿下の目に耐えられないのです。ですからご勘弁願いたい」


 ソフィーは侍女という立場も忘れてふきだし、きゃっきゃと笑って「そういうことなら仕方ないですね!」と、メルローズの薬を塗る役目を引き受けた。

 彼女がメルローズの胸と肩に薬を塗って当て布と包帯を巻いている間、マスキスは新しい薬を作成する。それはメルローズとソフィーの手首が縛られた痕を和らげる塗り薬だった。二人の手首も治療を終えると、医師はメルローズに言う。


「ドレンテ伯爵令嬢。例の薬の件で折り入ってのお話がございます。人払いをお願いしても?」


 ソフィーは居間で待機すると言い、自ら部屋を出て行った。残されたメルローズは男性と密室に二人きりであるが、先ほどノアの嫉妬の目に耐えられないと告白したマスキスが不埒な真似をするわけがないと信用してのことである。

 そしてそのとおり、医師は真面目な話だけしかしなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ