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17 襲撃

 

 現在、マスキスは念のためベスケスと名を偽り近くの街に滞在している。週に一度はこの屋敷に来て、ドレンテ伯爵に伯爵家や街の歴史を質問し、対価としてジェイムズに勉強を教えている学者……というフリだ。


 皇太子一行が来た時に対応した何人かの使用人はマスキスのことを知っているが、下働きまでには医師だと教えていないので、本当に学者のベスケスだと思っている者もいる。

 そのベスケスが皇太子からの手紙を密かに持参し、またメルローズの返事を預かっていると知っている使用人はもっと限られていた。


 週に一度届くノアからの手紙には、いつもメルローズやジェイムズを気遣う言葉が書かれている。


『弟君の体調はいかがだろうか。弟君のことだけでなく、他にも困ったことや変わったことがあればすぐにマスキスに伝えてほしい。君の心の平穏が保たれることが何よりも大事だ。その為なら俺はなんでもする』


 その文章からは一方的に恋慕の情をぶつけるのではなく、ノアが大きな愛と優しさで包んでくれているような気がして。メルローズは喜びと安らぎと……そしてほんの少し、後ろめたさを感じていた。



 ★



「では、夕食には戻る」

「メル、家のことを頼むわね~」

「お父様、お母様、いってらっしゃいませ」


 両親は月に一度の決まった日、領内の孤児院と救済院の様子を見に行く。今日はちょうどその日だった。

 メルローズは馬車に乗った二人を見送ったあと、いつものように歴史書の勉強をしたり、ジェイムズの短い散歩に付き合ったりしていたのだが。


「お嬢様、さっき下働きの者がこちらを受け取ったそうで……」


 執事が困惑して手紙を持ってきたのだった。


『ドレンテ伯爵並びにメルローズ嬢、至急お伝えしたいことがあり、ご連絡いたしました。ご足労をおかけしますが街の私の家までお越し願えますか。 ベスケス』


 質の良い紙に、丁寧な字でそのように書かれていた手紙は、近くの街の三人の子供が持ってきたのだと言う。

 子供たちは街できちんとした格好の紳士に「私は確認しないといけないことがあるから、この手紙を領主様に届けてくれないか」と言われ、銅貨を握らされた。紳士はかなり焦っている様子だったらしい。

 下働きは子供たちからその話を聞き、ベスケスの名を知っていたので彼らにお礼を言い、お菓子を渡して帰らせたそうだ。


「……」


 メルローズは手紙を握りしめ考え、そして決断した。


「街へ行きましょう。すぐに馬車の用意を」

「お嬢様、旦那様が戻るまでお待ちになっては?」

「でもお父様が戻るのは夜なのよ。それに明日は先生が来る日なのに、わざわざ今日伝えたいことがあるというのは、よほど急ぎの件なのだと思うわ」


 これがメルローズの油断だった。すぐ近くの街だったし、ソフィーや男の使用人も連れていくのだから問題ないと思ったのだ。


 だが、彼女はもちろん、ソフィーや執事も想像していなかった。街に入る直前、馬車が襲われ、メルローズが誘拐される事態など。



 ★



「ベスケス先生!!」


 街中で借りていた小さな家にて薬の解析をしていたマスキス医師は、突如悲痛な叫びで自分の仮の名を呼ぶ声にハッとし、玄関の扉に向かった。その間も凹むのではないかと思われる勢いで扉がガンガンと叩かれている。


「いったい何ですか!」


 慌てて扉を開けると、よろよろと男が中に転がり込んできた。服はあちこちが破れ、血が滲み、まるでボロ雑巾を身にまとったよう。彼に肩を貸していた人たちが「無理をするな」と労わりの言葉をかけるが、男は自分の身体などどうでもいいとばかりにマスキスの足に縋り付いた。殴られたのか、酷く腫れた顔が涙で濡れ、ぐしゃぐしゃになっている。


「先生……お嬢様が攫われました……ソフィーも……申し訳ありません」

「何!?」

「ここへ来る途中にゴロツキ達に襲われて……」

「ここへ来る途中? どういうことだ? ドレンテ伯爵令嬢はなにか急用でもあったのか?」


 医師の言葉に怪我をした男……ドレンテ伯爵家に仕えている使用人は泥で黒く汚れた顔の真ん中で白い眼を剝く。


「……ベスケス先生! 先生が伯爵とお嬢様に手紙を出したのでは!? ここに来るようにと」


 今度はマスキスが目を見開く番だった。


「いいや、全くそんなもの出していない……まずいぞ! 街の警護隊は呼んだのか!?」

「呼びましたが、警護隊が来る前に奴らは逃げてしまって……」

「わかった!」


 マスキスは一端奥へ戻り、湿布や塗り薬、包帯などを持って戻ってきた。彼を医師ではなく学者だと思っていた使用人は、なぜ彼がこんなに用意がいいのかと不思議に思ったろうが、今はそれどころではない。薬を怪我人に押し付け、マスキスは言った。


「悪いが、手当てをしている時間はない。自分で何とかしてほしい。私はやることがあるから出ていってくれ!」


 そして皆を家から追い出し、扉を固く閉ざしてしまった。



 ★



「う……」


 気を失っていたメルローズはぼんやりと意識を取り戻した。

 そして次の瞬間殴られた腹の痛みを思いだし、次いで腕を後ろ手に縛られて身体の自由が利かないことに気がつくと、恐ろしさで一気に覚醒した。


 記憶の中で様々なことがぐるぐると甦る。街の手前で突如複数人の男に襲われ、馬車の手綱を引いていた使用人が袋叩きにされたことや、その後ゴロツキの一人が自分を殴って気絶させたこと。そして気を失う直前、ソフィーの「お嬢様!」という叫びがうっすら聞こえたこと。


「ここは……!」


 縛られて不自由なまま周りを見渡すと、彼女が転がされていたのは埃っぽく古びた部屋だった。窓はふさがれているが、壁の板目の隙間が緩み、そこから光がうっすら漏れて薄暗い部屋をなんとか見えるようにしている。おそらく元は農民の家だろうか。家主が家を捨てたのか死んだのか、暫く使われていない廃墟に思えた。

 メルローズは唇を噛む。


(あの人達は私を待ち構えていたようだった。手紙が罠だったのかも……もっと神経を尖らせて色々な可能性を考えておけばこんなことにならなかったのに!)


 だが後悔しても後の祭りだ。身をよじってみてもギッチリと縄で縛られていて解けそうにもない。

 と、ドアが乱暴にバタンと開けられた。下卑た笑みを貼りつけた男がメルローズを眺めて言う。


「おう、ようやくお姫様のお目覚めだ。ボスを呼んでこい」


 ドカドカと足音が遠退いて行き、暫くすると複数人の足音がこちらに戻ってきた。メルローズは震えを(さと)られないようにグッと身体に力を混め、入り口を睨み付ける。これから入ってくるボスとやらがどんな人間なのか見定め、交渉をするつもりだったのだ。その為には怯えなど見せるわけにはいかないと考えて。


 ……だが、入り口に現れた人間の声が聞こえ、薄暗くて顔がわからない内にそれが誰のものであるのかわかった瞬間。彼女はゾッとして身がすくんでしまった。


「やあメル。こんな小汚ないところに招待して申し訳ない。だが俺も場所を選ぶ余裕がなくてね」


 醜悪な……先ほどのゴロツキの下卑た笑顔よりも、顔立ちはそこそこ整っているのに……いや、顔立ちが整っているからこそ、返って彼の内側を表し、その醜悪さを際立たせているのであろう。


 ダスティンの醜悪なニヤニヤ笑いがそこにあった。


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