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16 運命の出会い

 ★



 恐らく、メルローズは油断していたのだ。


 しかし無理もない。今までの彼女は常にピリピリと神経を尖らせていた。


 社交界に出れば『傷物』と誤解され蔑まれるか、ダスティンとの婚約はいつかと囃し立てられる。

 いつジェイムズがその命を散らしてしまうかと毎日ハラハラし、でもその心配を誰にも相談できなかった。

 シュールレ男爵がもしかしてジェイムズに毒を盛っているのではと疑うこともあったが、証拠もなく決めつければドレンテ伯爵に怒られるのは自分だろう。なにせ、ダスティンはメルローズの命の恩人だし、一度は男爵の持ってきた薬でジェイムズは元気になったのだから……と、これまた誰にも言えなかった。


 それがノワールと再会した途端、全てが良い方向へと一気に動き出したのだ。


『傷物令嬢』とは、純潔を喪ったのではなく本当に肩に傷があるだけだと知って貰えたし、ノアと見事なダンスを踊ったことで彼女を立派な淑女だと見直す人も現れた。

 ジェイムズの体調は日に日に良くなっていく。

 両親とのすれ違いも解消でき、最近のドレンテ伯爵はダスティンが打診をしてきても上手くかわしてくれている。

 メルローズにとって、ダスティンの来訪が無いこの屋敷は、本当に心から安心できる場所になった。


 なにより、ノアという心が安らぐ、愛しい人に出会えたこと。そして彼もメルローズを愛しく想ってくれているであろうことが、彼女を幸福感で満たしてくれていた。

 今の彼女は心にゆったりと余裕があり、神経を尖らすことなど全くなかった。


 だから、それが油断に繋がったのだ。


 ――――だがそれは結果論でしかない。後からメルローズがそう考えたに過ぎない。大ピンチに陥った時に――――



 ★



「それでね、あいつったら開きなおって『男は結婚前に少しは遊びたくなるもんだ』とかぬかすんですよ!」


 ぷりぷりしながらメルローズの髪を結う侍女のソフィー。彼女は結婚間近である。先日、夫となる予定の男が知人に誘われて、セクシーな女性たちが踊り、酒を注いでくれる少しお高い酒場へ行ったのが許せなかったそうだ。


「だからあたしはこう言ってやったんです。『じゃああたしも結婚前に遊ぶわ。この間から素敵な男性にぶつかったり落とし物を拾って貰ったりしてるの。実はそれが運命の出会いだったりしてね?』って」

「まあ」


 メルローズは髪を結いながら器用に喋る侍女と、驚きに目を見開いた自分とを鏡越しに眺めた。

 以前はダスティンのせいでピリピリとしていて、他人の恋愛話(コイバナ)を聞くどころでは無かったのだが、最近は余裕ができてそういった話をソフィーともしていた。が、今日は惚気ではなく喧嘩の話を聞かされるようである。


「……あっ、もちろん本気じゃありませんよ! だけどそれであいつが慌てたんで『ほうら見ろ!』って言ったんです」


 侍女が得意気に鼻息を荒くしたのを見たメルローズ。目を丸くしたあと、思わず笑いがこぼれ出す。


「ふふ、本気じゃないって言いきれるなんて、ソフィーは大好きなのね。婚約者のその人のこと」


 ソフィーはちょっと焦りだした。


「だ、大好きっていうか! 違うんですよ! あたしは身の丈に合う相手を知っただけです!」

「え?」

「確かにね、あたしに声をかけてきた人はちょっと顔が良かったんですよ。正直浮かれてたこともありました。でもね、先月お嬢様と一緒に見ちゃったでしょう? ……その、目の毒を」

「え……目の毒、って、あの?」


 ちらりと見てしまったノアの身体の一部。高い鼻筋からしっかりとした顎、美しいラインを描いた首筋から逞しい胸元までを思い出したメルローズの頬がぽっと染まる。


「そう、あれはすごかったですよ……なかなか頭から離れなかったですもん。『美丈夫』や『芸術品のよう』って、殿下の為にある言葉でしょうねぇ……」


 ソフィーはメルローズの支度をする手を止め、噛み締めるように語ったあと、腕を組み、少し難しい顔をして続けた。


「……で、ですね。あれ以来、ちょっとやそっとの素敵な男性じゃあ、見てもときめかなくなっちゃって」

「! そ、それは大丈夫なの? その、婚約者の人とは……?」

「いや、むしろ良かったんです」

「え?」

「こないだもまた例の男性が街で声をかけてきましてね。以前のあたしなら本当に運命かもと舞い上がったかもしれません。だけど」


 彼女は人差し指をぴっと一本立てた。


「殿下に比べたら他の男性の見た目なんて十把一絡げ、五十歩百歩でしょ? それで妙に冷静になったんです。これは怪しいぞ、って」

「……怪しいの?」

「そうですよ! あたしは今までその人の顔の良さに誤魔化されて気がつかなかったんですけど、短期間に同じ男性と三度も偶然会うなんてそうそうありません。しかもその三度は、偶然じゃなかったかも……ぶつかるとか落とし物とか、やろうと思えばやれますよね?」

「確かにそう言われればそうね」


 メルローズは感心した。六歳年上のソフィーは近くの街生まれの平民だが、しっかりしていて学ぶところも多い。自分ならそこまで考えないかもしれない。


「……でもソフィー、その人はなんの目的でそんなことをしたのかしら?」

「さあ、お金目当てで女を騙す詐欺師じゃないですかね? あたしはせいぜい結婚のために貯めていたお金しか取られるものはありませんけれど、それだってあたしら庶民からしたらまあまあの額ですからねぇ」


 侍女は皮肉げな笑みを見せたあと、ふっとその笑みが柔らかくなった。再びメルローズの髪を結い始める。


「その上で考えると、あいつは殿下みたいに美形でも逞しくもないですけど、やっぱり長い付き合いだし一緒にいて落ち着くんですよ。結婚するなら顔の良し悪しより強い絆が大事だと思えるようになって、かえって良かったなって」

「そうなのね……」


 メルローズの視線が、睫毛が、そして次には顔の角度さえも徐々に下がっていく。


「あ~、お嬢様、今何を考えていたか当てましょうか?」

「えっ」

「おおかた、ご自分は殿下とは知り合ったばかりなのにすぐに好きになってしまったから、ちゃんと絆を育めていないかもしれないとか、そんなところでしょう?」

「まあ、その通りだけれどなぜわかったの!?」

「そりゃあわかりますよ。あたしもお嬢様にお仕えしてそれなりに長いですからね」


 侍女はくすくすと笑った。


「あたしはあいつと一緒になるのが身の丈に合ってますが、殿下とお嬢様はまさに運命の出会いだったんでしょう。それこそ一緒に過ごした日数なんて関係ないほどの、たぐいまれな。だってお二人はとってもお似合いですもの。ほら、できた」


 髪を結い終えたソフィーは鏡の中のメルローズを見て満足そうに頷いた。


「あたしにとってお嬢様は世界一の美女ですよ。それに可愛いし優しいですし、殿下が溺愛するのも当然です!」

「もう……大袈裟なんだから」

「大袈裟じゃないですよ! あっ、それに殿下との絆もちゃんと育んでいらっしゃるでしょう?」


 パチリとウインクをするソフィー。


「明日には、()()()()様がまたお手紙を持ってこられるはずですもの」

「そ、そうね」


 メルローズがパッと頬を染めて照れる様子を見て、侍女はニマッとした。


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