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15 ニヤニヤ笑いのジェイムズ

 ドレンテ伯爵家のサロンは、客人をもてなすために一階で一番いい陽当たりと景色を窓から堪能できる部屋だ。以前、皇太子殿下がお忍びで来た時に招き入れた部屋でもある。


 今は秋の終わりに近づいているが、まだ窓からは燃えるような赤や黄色に染まった木々を楽しむことができた。

 その窓の近くにテーブルが設えてあり、焼き菓子とお茶の支度が既に整えられている。


「やあ、姉様」


 ジェイムズは先にテーブルに着いていた。まだまだやつれてはいるものの、二週間前が嘘のように顔色が良くなっている。


「ジェイムズ! 起きていて平気?」

「うん! 今日は特に調子が良いみたい」


 弟は最近はベッドから起き上がり、人の手を借りてはいるが屋敷の中を軽く散歩できるようにまで回復した。サロンで一緒にお茶を飲めるなど、夢のようだとメルローズは微笑む。


「良かった……マスキス先生のお陰ね」

「ああ。でもそのマスキス先生を預けて下さった殿下に一番感謝しないと。殿下、カッコよかったなぁ……」

「ふふ、またその話?」


 あの日以来、ジェイムズはすっかりノアに憧れるようになっていた。憧れといっても恋ではない。ノアの事を口にする時は、昔、甲虫を見た時とそっくりな少年の目の輝きを見せるのだ。


「そうだよ! どうカッコよかったのかは姉様には教えられないけどね! 男と男の約束だから!」


 どうやら「病気の()()を見るか?」とノアが服を脱ぎかけメルローズが部屋を追い出された後、ジェイムズはノアのカッコいいところを知ったらしい。恐らく鍛え上げられた肉体美を間近で見たのではないか。あれは女性には目の毒だが、男性から見れば憧れの対象だろう。


 なんだか弟に妙なマウントを取られているなと感じつつも、メルローズは微笑ましく思い茶を飲んだ。

 ジェイムズが「殿下みたいになるのは無理でも、僕もカッコよくなる為に頑張るぞ!」と健康に前向きなのは喜ばしいことだ。


(それに……殿下が格好いいのは本当のことだもの)


 ぽっとメルローズの頬が朱に染まる。それを見たジェイムズがキラキラと輝かせていた目を細め、ニヤニヤ笑いになった。

 ニヤニヤといってもダスティンのように醜悪なものとは違う。ノアのいたずらっぽい、わずかにニヤリとするものとも違う。一番近いのは、ガルベリオの生暖かい視線である。


「……姉様、早く殿下のプロポーズを受けちゃいなよ」

「なっ、何を」


 メルローズは動揺のあまり、茶をこぼすところだった。


「姉様だってわかってるよね? 殿下は姉様のことが大好きなのがもう駄々漏れだもん。無い尻尾を一生懸命振ってるみたいだよ」

「尻尾って!! ジェイムズ、殿下に対して不敬よ!」


 メルローズが赤い頬を膨らませて怒ると、ジェイムズはからからと笑う。


「大丈夫だよ! 殿下はそんなことで怒る器じゃないさ、きっと」

「もう! ジェイムズったら!」


 まるで自分の方がノアをよく知っているとでも言いたそうなジェイムズの妙なマウントに、メルローズは怒って嗜めはしたものの、吊り上げていた目尻をすぐに弛ませ笑顔になった。

 甘いかもしれないが、弟が声を出して笑うのを見るのは何年ぶりかわからないくらいなのだ。ほっと気持ちが弛み、自然と感謝の言葉が口からこぼれ出る。


「本当に、殿下とマスキス先生にはいくら感謝しても足りないわ……」

「うん。まあ、あとはマスキス先生が薬に砂糖を混ぜてくれたなら完璧なんだけどなぁ」

「先生は、良薬口に苦しと仰っていたでしょう?」


 そう言いながらメルローズはテーブルの下できゅっと拳を握った。今しがた、ほっと弛んだ気持ちが急に引き締まる。

 ジェイムズの薬のこと、そして長年ドレンテ伯爵家に通っていた赤ら顔で小太りの医者のことが頭に浮かんだからだ。


 ジェイムズはまだ、多分気がついていない。メルローズの中でも、これはまだ仮説だから口には出せない。父も母も多分同じ事を考えているが、証拠は無いからはっきりとは言わなかった。

 でも恐らくそれが真実なのだと思う。ジェイムズは毒を盛られていたのだ。シュールレ男爵が用意した異国の薬によって。


「飲む時は、必ず三番目から後ろの薬を取ってくださいね。一番目と二番目は駄目ですよ。以前の薬ですから」


 マスキスはそう言って、籠に入っていたジェイムズの薬のうち、三番目から後ろはそっくりな紙包みにすり替えていた。

 なぜそんなことをするのか、メルローズには最初わからなかった。シュールレ男爵はひと月に一度くらいの頻度でやって来て、薬包をまとめて置いていく。薬が無くなった頃にまた来るのだから、だいぶ先まですり替えには気がつかないだろうに。


 だが、十日に一度やってくる、赤ら顔の医者の態度を見ていた時にその理由がわかったのだ。


「おお、ジェイムズ様、だいぶ良いですね! その調子ですよ」


 医者は口ではそう言っていたが、後で薬の籠に近づき、さりげなく一番前の包みを開くと中を確認して元に戻した。

 今までもそうした動きはあったかもしれない。だが先入観から見落としていたのだろう。


 メルローズは過去にシュールレ男爵家の人間を疑うことはあっても、医者を疑うことはなかった。彼はドレンテ伯爵家とは長い付き合いだったからだ。


 シュールレ男爵が伯爵家にすり寄り、メルローズが怪我をしてダスティンに発見された六年前。あれがきっかけで男爵家との付き合いが深くなり、男爵は異国の薬を用意しようかと伯爵に提案をした。

 ジェイムズはそれよりも前からずっと調子が悪かったのだから、赤ら顔の医者との付き合いはかなり以前にさかのぼる。

 だが、今考えると無条件に彼を信じすぎていた。後からシュールレ男爵が医者を買収して、仲間に引き入れることだってできるのに。


(……今は、まだ駄目)


 メルローズはまだノアの求婚を受け入れるわけにはいかなかった。

 シュールレ男爵やダスティンの立ち回りの巧さは、自分が『傷物令嬢』だと根回しをされてしまった時に痛いほど知っている。彼らに薬を突きつけ、毒薬だろうと問い詰めても、のらりくらりとかわされてしまうかもしれない。


 彼らの狙いは恐らく伯爵家の乗っ取りだ。メルローズとダスティンを結婚させ、その後にジェイムズを殺せば爵位をメルローズが継ぐことになる。そうしてドレンテ伯爵家の実権を握るつもりなのだ。

 この計画は彼女がノアと結婚してしまえば破綻する。だが、そうなれば彼らは素知らぬ顔をして逃げ去ってしまうだろう。


 だからメルローズはなんとかして男爵やダスティンの悪事の証拠を抑えるまでは、ノアの気持ちには応えられない……と心に決めていた。


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