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14 オソランサの神話と六年前の事件

 

 ★



 あれから半月ほどが経った。

 今、メルローズは自室で辞書を片手に歴史書を読んでいる。


 オソランサ帝国は長い歴史を持つ……とは以前から聞きかじっていたのだが、ボーレンヌ王朝よりも三倍以上も長いようだ。周辺の部族同士が絶えず争いを繰り返す戦乱の世の中、初代のオソランサ帝が武力で制圧し、ひとつの国を制定したのが始まりだと言う。


 初代皇帝は不思議な力を二つ持っていた。ひとつは獣の力とヒトの力を自在に使いこなす獣人族であったこと。もうひとつは、獣人族に代々伝わっていた槍を手にしていたこと。

 それは使用者の体力と精神力とを犠牲とする代わりに空間を突き破る魔法の槍だったそうだ。常人が使えば一度でも死に至る可能性があるほどの犠牲を払うが、巨大な熊に変身できる皇帝は膨大な体力を持つ。故に槍を使いこなし、自由に敵将の元へ跳び、相手の首を取ることができたのだと言う。


 現代ではもう獣人の血は薄まり、変身できる者も槍を使える者も居ない。だがオソランサ帝国の軍人が他の国より秀でているのは、獣人族の血の影響が大きいと言われている。

 また、『熊と槍(オソランサ)』と名乗った初代皇帝を称え、帝国では熊と槍は神聖なものとして丁重に扱うとも記載されていた。


 メルローズはそこまで読んで思う。


(これではまるで神話だわ。獣人とか、魔法の槍とか、とても本当の歴史とは思えない)


 しかし国の礎を築いた人間を……特にその頂点である人間を神格化し、生い立ちを絡めて神話にするというのはあり得る話ではある。

 この本は初心者向けとノアは言っていた。オソランサの独自言語で書かれている点を考えても、おそらく学者ではなく文字を習った平民が読むためのものではないだろうか。

 ならば、これを読んだ国民の多くは自国を誇り、自分は素晴らしい皇帝の下にいるのだと思うだろう。そして先祖に恥じぬ未来を作ろうと考える筈だ。


 神話の実情は、初代皇帝は熊と見間違えるほどの大男で、投げた槍が空間を破ったと思えるほどの飛翔を見せ、離れた位置の敵将に直撃した……というところだろうか。それだけでも神がかった伝説と言えるが、その伝説に更に尾ひれが付けば今の話になりそうである。


(きっとそうね。オソランサの人の前では言えないけれど)


 メルローズはそう結論付け、スッキリとした。スッキリとした気分なのはそれだけではない。「オソランサでは熊を神聖なものとして扱う」という一文で、今までぼんやりとしていた疑問が解消されたのが大きいだろう。


 父との誤解が解けたあと、メルローズは両親に質問してみた。ノアが「伯爵が何を隠していたのか訊いてみろ」と言っていた件だ。それはノワールの事だった。


「隠すつもりではなかったんだ……メルが最初の頃はノワールに傷の手当てをして貰ったなどと言うから、かなりパニックになっているのだと思って」

「本当はノワールに傷つけられたのが恐ろしくて、それを思い出さないように無理やり記憶を改竄しているのかもしれない、とお医者様も仰っていたのよ~」


 だからメルローズが本当の記憶を取り戻せば恐怖が蘇り、もっとパニックになるかもしれないと両親は考え、ノワールの話を極力控えていたのだそうだ。


「……しかし、オソランサ人である殿下が、ボーレンヌ王家直々に他言無用と言われた事件の詳細を知っているとなると……」

「やっぱりそういうことよねぇ~」


 両親は顔を見合わせてから、娘に六年前何があったかを話し出した。

 傷ついて気を失っていたメルローズをダスティンが発見し、屋敷に運び込まれた彼女が寝込んでいる間。突如、隣の保養地より使者が秘密裏にやって来て、伯爵夫妻にだけ話をしたのだそうだ。


「ご令嬢は黒い大型犬に懐かれていたそうですね。その犬に怪我を負わせられたとか。これは見舞金です」


 そう言って、見舞金にしては随分と重さのある金貨の袋を渡された。


「当方にはその犬に心当たりがございまして。今、私どもの保養地にはとある御方がご静養のためにいらしております。その関係ではないかと」

「それは誠ですか!?」

「確かなことは言えませんので、これはご内密に。けして外には漏らさぬように願います」


 つまり、王家の誰かが保養地に来て愛犬を放し飼いにしていたが、その犬が勝手に境界を越えてドレンテ伯爵家の森に入り込んでいたのだ、と両親は理解した。

 だがその愛犬がノワールであるとは言い切れないし、下手な噂が立てば静養中の飼い主の体調がもっと悪くなる恐れもある。

 王家から渡された金貨の重みは、これ以上追求するなという口止め料が大きく占めているのだ。


 もとより王家に厚い忠誠を誓っていた父は口止め料など無くてもこの事を広める気は無い。それにノワールがいなければ娘は誘拐されていたのだから、感謝こそすれ王家に楯突く理由が無かった。

 だからノワールを探してほしいとメルローズが懇願した時も、本当は森を捜索などせずに「ノワールは見つからなかった」と言ったのだそうだ。


 ノワールそっくりのぬいぐるみのプレゼントも、実は王家から届いたものだった。両親はメルローズがぬいぐるみを見て怯えるのではないかと悩んだが、結局、王家からの贈り物を無下には出来ずメルローズに渡した。

 しかし彼女が怯えるどころかむしろ大喜びし、友達のように扱う姿を見てホッと胸を撫で下ろしたそうだ。


 だからこそ、先日ノワールの正体が熊だったと聞いた時に両親は容易には信じられなかった。口止めの時に犬と聞いていたし、いくら王家の人間でも熊を飼うだろうか……と考えたから。

 メルローズも両親が抱いた疑問はごく当然のものだと同意した。今、歴史書の一区切りを読むまでは、その疑問がぼんやりと引っ掛かっていたのだ。


 だが六年前に保養地で密かに静養していたのがオソランサの皇妃陛下か、もしくは皇太子殿下のノアだったのなら説明がつく。

 皇妃陛下はボーレンヌの王女でもある。つまり王家の保養地に自由に滞在する権利がある。そしてオソランサでは熊を特別に扱う。ならば皇家が熊を飼うのも、鎖や首輪で繋がずに森で自由にさせていたのも、ノワールが人に慣れていたのも納得だ。


 更には、ノワールが犬だと使者が説明したのも理解できる。秘密裏に静養をしていたのが隣国のオソランサ帝国の人間で、しかもその人間が飼っていた熊がボーレンヌ王国の貴族令嬢を傷つけたと噂になれば、いくら皇妃が王女とは言え国際問題になりかねない。どうせ口止めするのだから、本当は熊だったとわざわざ言う必要もないのだ。

 これで疑問は全て晴れ、辻褄が合う。


 そしてあとふたつ、メルローズが思っていたこととも辻褄が合った。

 彼女がノアとノワールの匂いが似ていると思ったのと、ノアが「君に傷をつけた責任を取る」と言ったことだ。

 きっとノワールの飼い主は、皇妃ではなくノアの方だろうとメルローズは思った。


 と、彼女の胸の奥がとくんと跳ねる。ノアの事を想うとメルローズは温かい気持ちで満たされていく。


「傷をつけた責任……」


 彼女はそっと自分の肩に触れて呟いた。不思議と、ノアが責任感だけで自分を妃に求めているのではないと信じられる。彼が「初めて会った時から惹かれていた」と言うのならきっとそれが真実なのだ、と。

 しかし次の瞬間、彼女は苦笑した。


(私って単純ね)


 これでは安易に他人を信じ、足元をすくわれそうになった父の事を言えない。

 ……いや、メルローズは案外と父に似ているのかもしれない。二人ともジェイムズの死を恐れて話し合いが出来ず、それぞれ勝手に考えてすれ違いを起こしていたところなど瓜二つではないか。

 そう思うと彼女はまた苦笑した。


(私も頑固でおこりんぼうにならないように気をつけないと)


 その時、ドアが控えめにノックされ、次いで細く開けられる。侍女が間から顔を覗かせた。


「メルローズお嬢様、ジェイムズ様がお茶をご一緒したいそうなのですが」

「まあ、嬉しいわ。ちょうど勉強が一段落したところなの」

「では、ご準備致しますね。サロンにお越し下さい」


 メルローズは本を片付け、部屋を出るとうきうきとサロンに向かった。


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