12 目の毒
ジェイムズは、やはりベッドにいたがクッションを腰に当てて身を起こしていた。開け放した窓から気持ちの良い日射しと秋のそよ風が入り込み、彼のライトブラウンの髪に触れている。
しかしその陽光と風をもってしても、ジェイムズの青黒い顔色と浮腫を隠すことはできなかった。
「皇太子殿下、ジェイムズ・ドレンテにございます。殿下のお目にかかれる栄誉を与えていただき、誠に嬉しく存じます。しかしながら私が不甲斐ないばかりにこのような姿勢でのご挨拶となりましたこと、誠に申し訳ございません。どうかご無礼をお許しください」
ジェイムズがしっかりと嗣子としての挨拶をこなしたのを見て、メルローズは涙目になった。
「いや、かまわん。今日は見ての通り身分を隠して来たのだから堅苦しい礼儀は抜きだ。早速マスキスが診察するが、いいか?」
「はい」
マスキスは今までドレンテ伯爵家に通いで来ていた医師よりも、かなり丁寧に時間をかけてひとつひとつ診ていった。
脈を取り、目や舌、喉の奥を確認し、胸の鼓動を聞き、ジェイムズの身体のあちこちを押して「ここは痛みますか?」と訊く。実際に2ヶ所ほど、ジェイムズは痛みに耐えられなかったようで軽くうめいていた。
そして診察の間にもジェイムズ本人だけでなく、普段世話をしている侍女にまで質問する。いつも何をどのくらい食べているか。水はどのくらい飲んでいるか。過去にどう言った症状があったか等々。
質問を終えると医師は考え込んだ。
「……」
「マスキス、何かわかったか」
「……いえ、殿下。思い当たる節はありますが、不可解な点もあり断言できません。やはり服用している薬を詳しく確認してみなくては」
「そうか、その異国の薬とやらを見せて貰えるか」
一包ずつ紙にくるまれた薬を侍女が出すと、マスキスはそれを開き呟いた。
「ほう、これはまた随分と丁寧に磨り潰してありますな。吹けば飛ぶほどの細かい粉だ。これでは見た目では判断できませんね」
「どれ、貸してみろ」
ノアが粉薬を手に取り、匂いを嗅ぐ。
「薄荷に、柑橘の皮、花の香りもわずかに付けてあるようだな。そして砂糖だ……あとはスパイスか? 良くわからん」
マスキスがノアの言葉を聞いてまた少し考え込んだ。ノアはその隙にメルローズのほうを見る。彼女が目を丸くしていたのを見て、ノアは自分の鼻先をちょんとつついた。
「言っただろう。俺は鼻が利くと」
メルローズがこの時、やはり香水を撒くのを止めたのは正解だったと思ったのは秘密である。
マスキスが口を開く。
「薬を飲みやすくするためでしょうが、これもまた随分と手が込んでいますね。薄荷に柑橘に砂糖……。美味しく飲めるでしょうな?」
「はい、とても飲みやすい薬です」
「残念ながら、私はそういった余計なものを薬に混ぜない主義でしてね。かなり不味い薬を作ります」
そう言うと、カバンを開け、布にくるんだ小瓶を幾つも取り出した。小瓶の中身には草の根など、見た目からして美味しそうとは言えないものも含まれている。
彼は複数の小瓶の中身を取り出し、乳鉢に入れて軽く磨り潰すとジェイムズに差し出した。
「これを飲んでみてください」
ジェイムズは恐る恐るそれを飲む。口に含むと顔をしかめた。
「うっ……」
だが吐き出さずになんとか水で流し込み、飲み下したようだ。マスキスはそれを見て、満足そうに頷く。
「良薬口に苦し、と申しましてな。これを飲み続ければ多少は改善すると思いますよ」
「本当に……?」
あまりの不味さゆえにだろう。ジェイムズの声にはわずかに疑いの色が混じっていた。ノアがニヤリと笑う。
「ふ、確かに味は形容しがたいほど不味いものだがな。彼の薬の効果はすごいぞ。俺も過去にひどい苦しみに悩まされていたが、五年前、マスキスに出会って救われたのだ」
「!」
ドレンテ家の姉弟は驚いた。ノアの大きくしっかりとした体躯は病気とは無縁のものに見える。
「殿下も……ご病気でいらしたのですか?」
「病気ではないが、健康とは言えない状況だった。六年前はまともに人前に出られないこともあってな。ここだけの話だが保養地でずっと引きこもり、静養していたこともある」
「そうだったんですか」
「それを証明するあともあるぞ。見るか?」
ジェイムズに向かってそう言うと、ノアは襟元に結んでいた紐を解く。この異国風の服はかなり脱ぎ着が簡便なもののようだ。紐を2ヶ所外しただけでしゅるりと衣擦れの音と共に胸元があらわになり、桃色の傷らしきものがちらっと見えた。が、更にノアが服を脱ごうとするのでガルベリオがメルローズの前に立ち塞がる。
「ご婦人には目の毒ですから! 外に出ていましょう」
そう言って侍女とメルローズは部屋の外へ連れ出された。体よく追い出された形にも見えるが、今のメルローズはそれどころではなかった。ノアの鍛え上げられた胸筋や立派な鎖骨などを一瞬とはいえ見てしまい、どぎまぎしていたのである。
(私って……なんてふしだらなの!)
しかしどれだけ自分を責めようと、ノアの身体が目に焼き付いて離れない。彼女が恥ずかしさで悶絶していると、侍女がそっと手を握ってきた。
「お嬢様、あれは仕方ないです。なんと言うか……あれは本当に目の毒です」
そんな風に慰められて(?)いると、暫く後、ガルベリオがドアを開けた。メルローズたちが中を覗くと元通り綺麗に服を着付けたノア、薬を数えて確認するマスキス、そしてジェイムズの姿が目に入る。
「殿下……」
「ああ、メルローズ嬢、弟君は薬が苦くても飲み続けると約束してくれた」
メルローズがジェイムズのほうを振り向くと、弟ははっきりと強く頷いた。先程とは違って目がキラキラと輝き、興奮しているように見える。
「俺は帝国に戻らねばならないが、マスキスをこの国に置いていく。週に一度は診て貰え」
「え?」
大陸で三本の指に入る、と自慢していた侍医を弟の為にこの国に置いてくれるというのは、あまりにもこちらに有利すぎる提案だ。部屋を出ていくノアを彼女は慌てて追いかける。
「殿下! あの、ありがとうございます! ですが……」
「なんだ?」
ノアはメルローズの方に向き直った。彼の表情は変わらないが黒曜石の瞳が、また優しい眼差しをしている。彼女は胸の奥がまた熱くなるのを一所懸命に堪えて話を続けた。
「先ほど父も申し上げましたが、私どもにはそのご恩を返せる当てがございません。ここまでしていただくのは心苦しいのです」
「気にするな。今は俺の症状も落ち着いているから、マスキスが暫くいなくても問題はない。それに一昨日言っただろう。君に傷をつけた責任を取る、と」
メルローズは困惑に更に困惑を重ねた。
「殿下、恐れながら、それはどういった意味でしょうか」
「ああ、知りたければドレンテ伯が君に何を隠していたのか、あとで訊いてみるといい」
「?」












