1 メルローズの現在と過去
今回はわりとシリアスめ(作者比)です。また、第2話でヒロインの流血シーンがありますので苦手な方はご注意ください。
よろしくお願いいたします。
「いい加減にあきらめろよメル」
「シュールレ男爵令息、貴方に私の愛称を呼ぶことを許した覚えはありません。二度とそのような真似をしないで下さい」
ダスティン・シュールレのニヤニヤ笑いは実に醜悪だ。元の顔立ちはそれほどまずくないのに、表情から性格の悪さが滲み出ている。
メルローズ・ドレンテはきっぱりと彼の要求を撥ね付けた。もう何度目の事だろう。
「結婚のお申し入れはお断り致します」
「いつまでその強気を保てるかな? どうせ最後には俺に泣きつくことになるさ。『傷物』の君を引き取る相手などいないからね」
去り行くダスティンの背中に「私が『傷物だ』と周りに吹聴しているのは貴方ではないの!?」と言葉を投げかけたいメルローズだったが、ぐっと堪えた。
そんなことをすれば彼は喜んで戻ってきて「なんだかんだ言っても、結局俺を引き留めたいんだな? さあ望み通り話を続けてやるよ」と言うだろうから。
ダスティンは外面が良く口が上手い上、実家のシュールレ男爵家が商売を成功させている為、あちこちの貴族と付き合いがある。
その彼がメルローズの事を「あいつは天の邪鬼なんだよ。俺の求婚が嬉しいクセに素直になれないのは、自分が『傷物』の負い目を持っているからかな?」と言うせいで、彼女は幼馴染みと将来は結婚するのだろうと多くの人間に勘違いをされている。
幼馴染みだなんて! 昔世話になって以来、何かとシュールレ家の人間が声をかけてくるだけで、メルローズは小さい頃からダスティンもその家族も好きではなかった。でもこのままでは彼の思いどおりになってしまうかもしれない。
ダスティンの父であるシュールレ男爵は、元は平民の裕福な商家で、金で爵位を買ったというもっぱらの噂である。
一方でメルローズのドレンテ伯爵家は大して裕福でもないが、領地のごく一部が王家直轄地に隣接している事だけが自慢である。そしてボーレンヌ王家への厚い忠誠を誓い、家と領地を何代にも渡って地道に誠実に守り続けているドレンテ家は(一応!)名門の端くれを名乗ることができている。
その名門の娘と結婚できれば、シュールレ男爵家の地位は大きく上がるという思惑があるのだろう。
「どうしたらいいの……」
ダスティンが帰るまでは高い気位を示していたメルローズ。しかし自分の部屋に戻りドアを後ろ手に閉めるとへなへなと気落ちした。
いつもベッドに置いている大きめの犬のぬいぐるみをぎゅっと腕に抱き、顔を埋める。黒いふかふかの柔らかい毛を頬に感じると、心の中にほんのりと明かりが灯るような気がして。
「ノワール……助けて」
そんな事をしたってなんの意味もない、誰も助けてくれないとわかっているのについやってしまう。このノワールと名付けたぬいぐるみに甘えるのは、メルローズの過去に……『傷物』と呼ばれるようになった出来事に関係しているのだ。
☆
ドレンテ伯爵と伯爵夫人はその間に女子ひとり、男子ひとりの子をもうけた。つまりメルローズとひとつ下の弟のジェイムズだ。
ジェイムズは小さな頃から身体があまり丈夫でなく、寝たり起きたりを繰り返していた。今は深窓の令嬢であるメルローズは10歳までは正反対で、普通の女の子より活発な子だった。なかなか外に出られないジェイムズに外の世界を見せてあげたくて、しょっちゅう遊びに出ていっては色んなものを持ち帰ったのだ。
「見て。季節外れのタンポポの綿毛をみつけたの! ふうって息を吹き掛けてごらんなさい」
窓枠越しにタンポポを弟に見せると、彼は一所懸命に頬を膨らませ、細い息を吐いた。すると綿毛がふるりと揺れ、そのうちの一本だけが茎から離れて宙を舞う。
「わあ……」
目をキラキラさせて喜ぶジェイムズの顔を見るのがメルローズの喜びでもあった。
「あとね、これは甲虫よ! 私が捕まえたの!」
「うわあ、カッコいい!」
ピカピカの鎧兜を身につけたような虫を見てはしゃぐ弟。姉は嬉しくて得意気になる。
「庭師に教えて貰ったの。甲虫が居そうな木の幹に蜜を塗っておくと、次の日の朝に集まるのよ。ジェイムズも元気になったら一緒に虫捕りに行きましょうね?」
「うん! 僕絶対に元気になる!! 苦いお薬も飲むよ!」
「まあ、ジェイムズったら」
あまりに弟が喜ぶので、メルローズはまた甲虫を捕りに行こうと考え、庭師に相談した。
「それなら屋敷の裏手の森が良いですよ。あそこは豊かな森ですから虫も沢山いるでしょう」
「でも、あの森は子供が入ったらいけないってお父様が……」
屋敷の裏手の森はとても広く、その森の向こうには王家の保養地があった。森で迷子になれば危険だし、うっかり森を抜けて保養地に入り込めば不法侵入者だと王家の兵に掴まる恐れもある。そのため子供だけでは絶対に入らないようにと言い含められていた。
「なあに、森に入ってすぐに猟師小屋がありますから、そこまでなら大丈夫ですよ。それに私も付き添いましょう」
「ああ、それなら大丈夫ね」
庭師はメルローズを連れ猟師小屋までの道案内をして、近くの木に蜜を塗った。
「また明日の朝に虫を捕りに来ましょう」
ところが、翌朝彼女が庭師に会いに行くと、彼はベッドで臥せっていたのだ。
「すいません……夕べぎっくり腰になっちまって、この通り。アイタタタタ」
「それじゃあ仕方ないわね」
一見諦めた風なメルローズだったが、そうではなかった。おてんばな彼女はひとりでこっそりと森へ向かったのだ。もう猟師小屋までの道は覚えている。
ところが。
「きゅう……ぐうん」
目的の猟師小屋に近づいていくにつれ、妙な獣の鳴き声が聞こえてくる。
「?」
メルローズが木陰からそっと覗くと、情けなさそうな顔をした、大きな黒い犬と目があった。
「……」
「きゅううん!」
その獣は、小屋の近くに仕掛けられた網の罠にかかり、宙ぶらりんになっていたのだ。
「まあ可哀想に。今助けてあげるわね」
メルローズは苦労したが、なんとか網を吊っていたロープを見つけて無事下ろしてやった。網から這い出すと、黒い犬はメルローズにじゃれつき、頬を舐める。
「うふふ、くすぐったい」
黒いモフモフの毛皮はお日様の匂いがして、手触りもしっとりと柔らかかった。メルローズはモフモフの触り心地にうっとりし、彼の丸い耳や短い鼻先や艶々の背中を撫でて楽しんだ。
しばらくすると、その犬は蜜を塗った木に登り出す。
「凄いわワンちゃん! 木登り出来るなんて器用なのね」
「う……うぁん!」
犬は変な鳴き方をした後、蜜をご機嫌でペロペロと舐めていた。メルローズは思った。
(ああ、蜜が欲しくて木に近づいたら罠にかかってしまったのね。……あら? 昨日はここに罠なんて無かった気がするけれど?)
「!」
犬はふと顔を上げ、ひくひくと鼻先を動かす。と、急に木を降りて唸り出した。
「ガルル……グアッ!」
「どうしたの?」
犬は明らかにある方向に向かって威嚇をしているようだったが、静かな森の中で彼の唸り声だけが響き、他は木々の葉擦れの音しかメルローズには聞こえない。
彼女は大して気にもせず、その後は犬と駆け回ったり、モフモフの毛並みを撫でたりして楽しんだ。