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第30話 不協和音はほどほどに side三ツ星

「誠に申し訳ありませんでした。無事ですのでどうかご心配なく……」


 この三日で同じフレーズを何度書いただろう。酔った勢いで最寄駅を口にした挙句、家を特定され、『赤城クロノ』は告知済みのライブまで活動を休止、対応に追われている。バイト先も特定され情報が出回っているため、三年勤めたコンビニアルバイトも辞めることになった。


 ベッドに寝っ転がって、ノートパソコンに向かっていると、腰が痛くなってきた。メールを送りおえ、俺は伸びをした。


三ツ星(おりおん)、ちょっといいですか?」


 わざわざノックをして、家主である大輝ひろきが部屋に入ってきた。俺は一時的に大輝の家に避難している。今使わせてもらっている部屋は、海外駐在中の大輝の両親の寝室である。ベッドに寝そべっておいてなんだが、正直なところ妙な緊張感がありあまり眠れていない。


「折り畳み机があるので使うかと思って。すみませんね、書斎は僕が配信部屋にしてしまっているし、一応客間はあるんですけど物置きにしてしまっていて」


 東京の一等地とは思えない部屋数の多さ。もともと俺とは育ちが違うとは思っていたが、大輝の実家はかなりの資産家のようだ。賃貸育ちにはちょっと考えられない暮らしぶりである。


「あ〜。ありがとね、何から何まで世話になって」

「本当にね。まあ、ライブまでそう日もないですし、練習に励んでくださいよ。書斎は防音になっているので、僕が配信で使ってない時は自由に使ってください。昼間だったら書斎以外で楽器弾いても文句はこないでしょうけど」

「……うん」


 俺はベッドから起き上がり、姿勢を正した。大輝の家に避難し、快く部屋を提供してくれたことには、本当に感謝している。それにだだっ広い家で、しかも防音の書斎を使わせてもらえることで、ライブの練習に専念できる環境が整っていた。底抜けの善意には劣等感を刺激されるが、それを表に出さないだけのプライドは保っていたかった。


「大輝、本当にありがとう。ここで練習できるのは助かるよ」


 大輝は首をすくめた。


「どういたしまして。いつもその態度だったらこんなことにはならなかったのに。……いやいつも溜め込んでるからああなるのかな」

「……どういう意味だよ」

「どうもこうも、酒でこんだけやらかしてんだから、見直したらどうかと言ってるんですよ。言いたいこと全部溜め込んで飲み込んでヘラヘラしてっから、酔わないと自分が出せないんでしょ。心の底からお酒が好きならそれも悪くないのかもしれないけど、どうもそうではなさそうだし。僕は思うんですけど、貴方は酒に逃げなくても良いものを作れるし、溜め込むかぶちまけるかのどちらかじゃなくて、その真ん中に本質があるんじゃないですか」


 酒に逃げる。的を射た指摘だけに苛ついた。お前にはわからない。こんな綺麗な家に住んで、大学に通い、人には好かれ、愛されているお前には。子どもじみたひがみだとは思う。でも今の俺は、賃貸の家に住み、高校を中退し、仲間は分裂し、両親はいがみあいの末に離婚した、そういう過去の上に成り立っている。


「……うるせえな」


 飲み込んだはずの劣等感が、悪態になって口から出てきた。大輝はひょいと首をすくめる。


「そうですか。聞きたくないならご自由に。でも僕の家にいる以上はお酒は禁止です」

「はあ?!」

「当たり前でしょ。ここでは僕がルールです」


 なんでそこまでするんだ。こんなクズほっとけばいいのに。お人好しもここまでくると不気味だ。


「不満があるなら言ったらどうです?」

「うざ……ねえよ。ぶん殴るぞ」

「やったら?」


 俺の手を見ることもせず大輝が言う。大輝のこういうところには、鼻の奥が痒いような、そんな思いになることがある。大輝に悪いところは何もないけれど、心の中にしまいこんだ何かがくしゃくしゃになっていくようなそんな感覚。


 思い悩んだり、弱気になったり、信頼を示したり、そういう態度を俺は他人にとることができない。その()()()につけこまれるのを恐れている。つけこまれたことも、嫌われたことも、嗤われたこともあるからだ。四年という歳の差だけではない何か決定的な違いが、横たわっている気がしてならない。


 殴る気は毛頭ない。それなのに知らず知らず拳を握っている。


「僕は本気ですよ。別に怒鳴るなり殴るなりしてもかまいません。ただ僕は恋沼さんと違って優しくないので、怒鳴られたら怒鳴り返しますし、殴られたら暴行罪で訴えますけどね」

「……俺、ひかるちゃんに何か言った?」

「ああ、やっぱ覚えてないんですね。心配されたら『母ちゃんかよ』って逆ギレして怒鳴ってましたよ」

「最悪……」


 拳を解いて顔を覆った。自己嫌悪でどうにかなりそうだ。酒が飲みたい。


「反省してるなら態度で示すのが一番ですよ。僕は医療関係者でもなんでもないので、正確なことは言えないですけど、まずはお酒を控えて、バイトも辞めたのだし昼夜逆転を直して、あと三食しっかり食べて好きなギターを弾いて、心身の回復に務めるのがいいんじゃないでしょうかね」


 ここまで来ると正気を疑いたくなってくる。顔をあげればすぐに視線があった。こいつはずっと、俺のことを見ていたのだ。眼鏡の奥の真っ直ぐな瞳から、逃げたくてたまらなかった。


「……お前らはなんでそこまで親切なわけ? 気味悪いよ、意味わかんねえよ。お前もひかるちゃんも、みんな。俺が何に見えてるんだよ。もう十分わかっただろ? 俺はただのカスでクズで……大した人間じゃないんだよ。なりたかったけどなれなかったんだよ。お前のいう通り、ヘラヘラ嘘つくか全部ぶちまけるか、どっちかしかできないし、どう頑張ってもお前みたいな日のあたる側の人間にはなれないんだよ」


 そこではじめて、大輝は俺から目を離した。しばらく天井を見たり部屋に飾られた全身鏡を見たり、落ち着かない様子であたりを見回している。そういえば、大輝は口数が多いほうじゃなかった。


 何拍かおいて、俺のただの感情の発露に、大輝は答えを返してきた。


「それがわからないほどバカじゃないと思ってたけど? 貴方がいう『みんな』貴方が必要なんだよ、わからずや。何を見てるかは知らない。僕は他の『みんな』にはなれない。でも、間違えてもやらかしても、それでも必要とされるのは、貴方自身で頑張って築いた居場所が、『赤城クロノ』を通して得たものがあるからなんじゃないですか? 少なくとも僕は、クロノ抜きでライブをする気はないし、心の底から辞めたいのなら止めはしないけど、でもこれからもクロノがいるvirtualaだったらいいなと思ってる」


 俯いて、大輝は大きく息を吸った。


「それから、くらべて落ち込んで妬んで僻んで、そういう汚い感情を、自分しか持ってないと思うなら、お門違いにもほどがある。だって、だって、僕は作曲はできないし、企画もことごとく滑るし、数字はついてこないし、よくわからないことで嫌われてたし……。そういう差に、何も感じない人間だと思ってるなら、それはバカにしすぎだよ」


 今度は大輝が拳を握る番だった。


「……少年漫画なら、ここで殴り合ってすっきり解決するんでしょうけど、怪我させても困るので」


 一瞬張り詰めた空気は、その一言で、また元に戻る。俺は軽口を叩いた。


「お前が怪我させる側なわけ? 体格差考えろよ」

「身長差の間違いでしょ? 悪かったねチビで。言っとくけどゲームがド下手なだけで身体能力高い方ですよ、僕」

「まあリズム感いいしダンスもできるもんな。俺とは毛並みがちげえわ」

「お褒めいただきどうも。毛並みじゃなくて筋力の差ですけどね。体型にどうこう言うのは失礼ですけど、せっかく身長高いのに、猫背にガニ股でカカシみたいな痩せ方してるのもったいないと思いますよ。あんまりひどい猫背だと、腹筋使わないから歳とった時に腹がでますよ。肝臓が悪いのか顔色も紙みたいだし」

「ボロクソ言うじゃん……」


 そこまで言わなくても……と部屋にあった鏡を見てみれば、そこには本当に猫背でガニ股でカカシみたいな棒切れがいたから驚いた。俺ここまで痩せてたか? あと本当に顔色が悪い。そういえばアパートには古ぼけた洗面台の鏡しかなく、全身鏡を覗く機会がついぞなかった。そしてこのまま猫背だと何年後かには、顔色が悪くて出っ腹の縦に長いおっさんが完成するわけである。


「……親父が白いウンコが出るまでは酒飲んでも平気だって言ってたから」


 事実である。そんな親父だから離婚されているのだが。大輝は絵に描いたようなドン引きである。


「肝臓おしゃかになる前にお酒は辞めましょうよ」

「……そうだな」


 いつになく素直になれた瞬間であった。

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