悪役令嬢の砂糖と塩のさじ加減
一昨日は清純な芳香の鈴蘭、昨日は華やかな薔薇、今日は甘いスイートピー、春の花の香りを纏い自身も花の名前を持つマグノリアは優雅に王宮の回廊を歩く。しずしずと侍女たちが続いた。
王国の北を守る公爵家に生まれたマグノリアは、その高貴な血筋にふさわしく指の先まで麗しい。歩き方、微笑み方、ドレスの裾のさばき方、なにげなく行っている立ち居振る舞いの一つひとつの動作が優雅であり、呼吸の仕方まで艶麗でかぐわしかった。
髪の流れに沿うようなレースのヘッドドレスが銀色の髪を飾り、バックリボンが美しいシルクの青いドレスを着たマグノリアは、まるで伝説の妖精の姫君のごとく気品にあふれている。
マグノリアが足を止めた。
不快げな色を宿して眼差しが変化する。
回廊から庭園に視線を向けた先には、庭園の花の中で仲睦ましげにしている貴公子と令嬢の姿があった。
貴公子はマグノリアの婚約者であるアルバートだった。
庭園の中央にある噴水が、真珠の珠が沈むにも似た音をたてて水音がしたたり。
庭園に咲く花々が、風に花影を揺らして花色あざやかに咲きこぼれ。
陽光が祝福するように明るく、蝶が飛び、花が咲く花園で、アルバートは自分の婚約者ではない金髪の令嬢を抱きしめていた。
その姿を、庭園をぐるりと囲む回廊からマグノリアにもマグノリア以外の人々にも目撃されているにも関わらず、アルバートは堂々と浮気をしている。
人々が視線を交わし唇を歪める。苦々しい表情の南の若き公爵の姿もあった。
人々から醒めきった双眸を向けられてもアルバートは気にもとめない。
自分が王国における唯ひとりの王子である故に、誰からも咎め立てされないことを知っているからだ。
唯一アルバートを叱咤できる国王は、愛する亡き王妃の忘れ形見であるアルバートにひたすら甘い。
結果としてアルバートは、傍若無人ぶりを発揮する凡愚どころか暗愚な王子として成長した。
短慮で傲慢。
王国の未来を憂いて、アルバートを苦々しく思う貴族も多い。
そんなアルバートを支えるためにマグノリアは婚約者となったが、優秀なマグノリアをアルバートは羨望と憎悪を孕んだ嫉妬心から嫌悪した。そして、マグノリアを虐げることによって、自分の優越感を満たすという愚かすぎる言動を繰り返した。
自身の味方となってくれる者を貶めることに、アルバートは危機感を持たなかった。それどころか、小説や演劇において主人公を耀かせるために仇役が存在するように、自分を引き立たせる役としてマグノリアを悪役とする酷い噂を流した。
自分の失敗をマグノリアの責任として。
自分の失策をマグノリアの行為として。
ことごとく罪を擦り付けたのである。
国王は、そのことを容認した。
アルバートが瑕疵のない正しく美しい王子であるために、マグノリアを身代わりにしたのである。
しかし、どれほど市井の間でマグノリアが悪女と囁かれようとも、王宮に出仕する貴族たちは真実を知っている。特に高位貴族は冷ややかな怒りを、静かに積もる雪のように堆積させていった。
アルバートが自身の無能の尻拭いをさせていたのは、マグノリアだけではなかった。国王がアルバートのために選び抜いた有能な側近たち、すなわち高位貴族の子弟たちにも及んでいたのだ。
補佐的役割を求められる側近であるのだからアルバートの不始末の処理も仕事となるが、それでも限度というものがある。家まで巻き込むような汚名を被せられることも多々あったのだから。
上位貴族の側近ですらそうなのだから、下位貴族の弱い立場の侍従や侍女がアルバートによって処分される事態が起こることも日常茶飯事であった。
国王はアルバートを盲目的に溺愛しているが、臣下の心が王家から離れつつあることを理解しているのだろうか。理解しているのならば、アルバートを矯正もせず正しい教育もせず、臣下からの諫言を罰して、アルバートをひたすら盲愛している様子はアルバートを見捨てていることと同義だとマグノリアは思っていた。
「なんて浅慮な方なのでしょう。人を見極める目もなく、人からの忠言をきく耳も持たず、喋る口は考えなしに軽い。しかも、大切にすべき者を大切にしない、婚約者も、側近も、自身の手足となる仕える者も、足蹴にして良いはずもないと言うのに」
マグノリアは呟いた。歩み寄りもした。諫言もした。泥水をかぶることにも耐えた。結果としてアルバートへの愛想は尽き果てた。
「花から花へと浮気をして、女性からチヤホヤされて浮かれているのでしょうけれども、浮気相手の本質を見てすらいない。今、その手に抱いている令嬢の目的を、アルバート様はご存じないのでしょうね」
冷たくマグノリアは微笑む。
ハニートラップによってアルバートが漏らした情報で、隣国との戦線にいた兵士がどれだけ無駄に命を亡くしたことか。
外交の席に乗り込んで、自慢気に熱弁をふるい自国に不利な条約を締結したこともある。
無謀な政策により職を失った者は?
貴族のプロジェクトに割り込んで、失われた経済的損失は?
数えあげれば切りがない。
上位貴族たちはお互いに派閥があるが、それでもアルバートが王位を継承すれば民も国も巻き込んで破滅する可能性が高いことは、一致する考えとなりつつあった。
利がなく実害が大きいだけの、傀儡にすらなることのできないアルバートに王太子たる資格と価値の適否は、と。
「──わたくしの目的も」
美しい顔から拭ったように笑みが消え、呟きを残し、マグノリアは再び回廊を歩き出した。もう視界にアルバートを映すこともなく、まっすぐに頭を上げて。
マグノリアが去った回廊の柱から、ぴょこん、とメイドが顔を出した。
「ああ~ん、マグノリア様かっこよかった……。悪の華ってカンジ。さすが悪役令嬢様」
「シェラ、マグノリア様のこと大好きだもんね」
もうひとり、柱の陰から背の高いメイドがあらわれる。
背の高いメイドは、きょろきょろと周囲を見渡して掃除道具を手渡した。
「早く掃除をしないと。なるべくお目汚しにならないように、お貴族様のいらっしゃらないタイミングで掃除をしないとまた怒られてしまうよ? さぁ、早くやろう。おしゃべりは後で」
「レリ、だってだって前世からの大ファンだったのよ。マグノリア様を直接に見たいがために王宮のメイドになったんだもの。まさか好きだったアニメの世界のモブに転生するなんて」
きゃあ、とシェラと呼ばれた少女が頬に手をあてる。レリと呼ばれた方の、背の高い美しい少女が溜め息をついた。
「本当にまさか、だよね。シェラの言う通りの展開と人物像だもん。国王陛下は政治はまぁまぁだけど親としては臣下の諫言を退ける無能のダメ親だし、アルバート様は傲慢でグズの浮気者だし、ヒロインとかいう金髪の女はあざといし、マグノリア様は優雅で強くて賢いし。この後、マグノリア様の弾劾裁判? だっけ」
「そうよ。マグノリア様の冤罪の。でもマグノリア様が返り討ちにするのよ、マグノリア様のお父様の公爵たちと」
「東西南北の4公爵が協力して、アルバート様に証拠を突きつけて国王陛下ともども追いつめる、だったっけ?」
「そうなのよ、レリ。超絶かっこいいシーンなのよ。そして、この後は4公爵の支持を失った国王陛下は退位して、新しい国王陛下として王家の血を濃く継ぐマグノリア様が立つのよ」
きゃあきゃあとシェラの声が弾む。
シェラとレリは13歳。
ふたりの父親は王国有数の豪商で、父親たちは親友であり商売仲間であることから、レリが高速ハイハイで突撃して、シェラを舐めまわした初顔合わせの時からの幼なじみであった。
幼少時からシェラは前世の記憶があると言い、未来を予言のようにお喋りした。その記憶を利用して、シェラとレリの父親たちは莫大な財産を築いたのだ。
ただしシェラが前世の記憶を所有していることは、父親たちとレリしか知らない。心を病んでいると眉をひそめられるだけならばまだいい、誰かに利用されるか、最悪は魔女と罵られ魔女裁判にかけられる可能性すらあった。
ナイショだよ、前世のことはシェラとレリの最高機密の約束だった。プラス、シェラにでろでろに甘い父親たちとの。
父親たちはシェラを溺愛していて、シェラがマグノリア様に会いたい、と願った時も即刻で王宮のメイド職を用意したほどだった。護衛としてレリ付きで。レリとしても大事なシェラを危険にさらすなどは論外なので、目的のためには手段を選ばないレリはメイド服を着ることに否やはなかった。
レリはシェラを信用していない。シェラは迂闊なところがある。それも可愛く思うが、完璧に傷ひとつなく守りきりたいのならば守る相手自身の思考や行動も疑うべきだ、とレリは考えていた。シェラはちょっとだけではなく不注意な面があるから、と。
「ああ~ん、憧れのマグノリア様をこの目で見れるなんて幸せだわ~。背景モブに生まれてよかった」
「ねぇ、王宮もキナ臭くなってきたし、そろそろ家に帰った方が安全じゃない? それに王宮では目も耳もあるんだから、この話は二度と禁止! わかった、シェラ? わかったならば早く掃除をする!」
「そうね。メイドとしてはしっこに映る出番も終わったし、帰ろうかな」
「そう。でも帰る前に今のお話を詳しく、わたくしに聴かせていただけるかしら?」
立ち去ったはずのマグノリアの姿があった。
憧れのマグノリアに直接に声をかけられて、ポッと頬を染めるシェラ。
マズイ、聴かれていたなんて。注意をしていたのに何故気が付かなかった!? シェラのばか、ここは赤くなっている場合ではないのに。これだからシェラは信用ができないんだ、と顔色を青くするレリ。
「わたくし、とてもその弾劾裁判とやらに興味がありますの」
優美な花の香りのマグノリアに、とろり、と瞳を蕩けさせかけたシェラだったが、血の気のひいたレリに手を掴まれて、ハッと我にかえった。
全身の毛を逆立てるみたいに警戒心を剥き出しにするレリは、シェラを抱きしめてジリジリと後退りをする。
万が一の不測の事態に備えて、王宮での身分証は金で買った他人のものだ。シェラの前世の露見を防ぐには、用心に用心を重ねる必要があった。故に、このまま王宮を高速でトンズラしてしまえば、本当の身元にたどり着かれる可能性はほぼなかった。
「逃げるよ!」
レリはシェラの手を引いて駆け出そうと踵を返したが、レリにとって残念なことにマグノリアは一人ではなかった。マグノリアの護衛を兼ねる腕の立つ侍女たちがいた。レリも訓練を受けているが、本職の侍女たちには敵わない。
たちまちレリとシェラは侍女たちによって拘束されて、有無を言わせず近くの空部屋に連行されてしまったのだった。
シェラは夢見がちなお花畑的思考はあるが、愚かではない。
この世界に生まれて育った者として、貴族の恐ろしさを知っているし、平民の立場の無力さも熟知している。
平民が貴族に睨まれれば、もはや施す手段などなく終わりてある。マグノリアの眼差しひとつで、裏でひっそり処分されるか、いちゃもんをつけられて公明正大に処刑されるか、平民に逆らう術はない。
蒼白になりながらもシェラを守ろうとするレリに物理的に強く抱きこまれ、シェラは覚悟を決めた。無礼討ちになってもレリは、自身の身体を盾にしてシェラを守るつもりだった。
「おそれながら、発言の許可をいただきたく」
マグノリアの前で、侍女たちに押さえつけられてレリともどもに跪くシェラは、さらに深く頭を下げた。
「ええ。もちろんよ、わたくしは貴女の話を聴きたいのだもの。頭を上げて頂戴な」
マグノリアの言葉に、ゆっくりと頭を上げたシェラはゴクリと唾を喉に落として口を開いた。
「私の知っていることは全てお話し致します。そのかわり、レリの命だけはお助け下さい。お願い致します、私は自業自得だから処刑されても文句は言いません。でも、レリは、レリは私に付き合ってくれただけなんです!」
自分がマグノリアの姿を見たい、などと父親たちに軽率にねだったがためにレリまで王宮にくることになったのだ。この世界に生まれた平民としての自覚があるならば、もっと自重すべきだったのに。シェラは後悔に唇を噛んだ。
しかし、レリはシェラを庇って前に出る。
「ま、待って下さい! シェラを助けて下さい! シェラは少し迂闊だけど、とっても優しくていい子なんです。ぼ、僕の命をどうぞお取り下さい!」
「レリ! 何を言うの、悪いのは自分の言動を慎まなかった私よ!」
「駄目だよ、シェラを守るのは僕の役目なんだよ! それに大切なシェラを失ってしまったら、僕はもう生きてゆけない!」
お互いを必死に庇い合うシェラとレリの姿に、マグノリアは口元を緩めた。
「うふふ、くっつきあう冬の小鳥のように可愛いこと。心配は無用ですよ。無体なことなどしませんから、素直にお喋りをしてくれたならば、ね?」
マグノリアの貴族らしい優美な微笑みに、シェラとレリは背筋に冷たい汗を流してコクコクとお互いに抱き合いながら人形のように頷く。
「あ、あの、これからお話し致しますことは誓って嘘偽りではありませんが、その証明のためにアルバート様派筆頭である東の公爵様の秘密金庫の番号をお教えします。番号は、88518871です。東の公爵様の執務室の、えと、王都の屋敷の方のです、薔薇の絵画の後ろにあります。金庫の中身は東の公爵様が握っている各貴族家の弱みと、えと、あの、その、東の公爵様の趣味のお道具が少々。それから東の現公爵が、東の前公爵であった兄君を暗殺した証拠です。証拠は優秀だった兄君を自分が殺害したという、優越感? のために保持しています」
シェラは我が身とレリを守るために、東の公爵をアッサリと売った。だって嫌いだし。自領が王国一の武器の生産地ゆえに、隣国との戦争を煽ったのは東の公爵だった。
国王に勝つためには、4公爵が力を集結させる必要がある。
シェラとしては、庶民から税金を絞り上げるだけの国王よりも、アニメ通りにマグノリアが女王となって住みやすく安全な王国になってほしいのだ。ましてや、愚かで傲慢なアルバートが国王に即位するなど論外である。
アニメでは、東の公爵は女王となったマグノリアに奴隷のように使い潰されて、次代の公爵は兄君の嫡子が継承していた。きっとアニメのマグノリアも東の公爵の証拠を入手して因果応報をしたのだ、とシェラは考えていた。
「西の公爵様はご親戚なので、すでにマグノリア様のお味方ですよね。マグノリア様がアルバート様を見限ったのは2年前、アルバート様が隣国の王族を侮辱する失言が原因で開戦となってしまった戦争の時でしたから、以来各方面に水面下で接触や根回しをマグノリア様はなされていて。それで西の公爵様もお味方に」
マグノリアは、何故そんなことをシェラが知っているのか、と尋ねることはしなかった。艶然と微笑み、シェラの綴る言葉に耳を傾けているだけだった。
「南の公爵様は、将来マグノリア様の王配となられることを取り引きにお味方になります。が、ここが重要です。国を乱すことのないよう、国を守るための政略結婚という建前ですが、本当は南の公爵様はマグノリア様を深く愛しておられるのです。告白してフラれることが怖くて、政略結婚をするヘタレなのです」
拳を握って力説するシェラに、はじめてマグノリアは感情を声にのせた。瞳の瞬きが、花にとまる蝶の羽ばたきのように美しい。
「南の公爵が、わたくしを……?」
「もうメロメロなのに南の公爵はヘタレで、愛していると言えないくせに執着の塊で、マグノリア様に国のためにと言って5人も王子様を産ませるのです。ムッツリなんです」
「シェラ、言い方」
と、レリは素早くシェラの口を塞いだ。
天使が通る。
沈黙。数秒が過ぎ、さらに数秒が過ぎ、レリが冷や汗をかいてヘラリと笑うと、マグノリアも上品に微笑んだ。
「とりあえず10日の間、あなたたちの話の内容が真実かどうか確認のために、わたくしの屋敷に招待をしましょう。まずは東の公爵の秘密金庫から。王宮のメイドの退職手続きはこちらでします、万事心配はいりません」
マグノリアの言葉に、心配だらけなんですけど、との反論を喉に呑み込んだシェラとレリであった。
10日後。
4公爵をはじめ王国の上位貴族の全てが団結した結果、国王の退位が決定した。
王宮は4公爵に掌握されて、国王は権限を奪われ、シェラという異分子の乱入によりマグノリアではなく、アルバートが売国奴として裁判にかけられ戦争責任が問われた。
裁判では、アルバートは自分勝手な言い分の熱弁をふるったが、ことごとくマグノリアに論破されて、王宮の隅にある高い塔に幽閉される判決となった。なお、アルバートの恋人の隣国の諜報部員であった金髪の令嬢モドキは、王宮地下牢にて尋問中である。
新たな国王にとって、前国王の血筋を生かしておく価値はなかったが、それでも厳重な警備体制のもとアルバートは幽閉された。
しかし、それは王子に対する温情などという生易しいものではなかった。業火のごとく非情な刑罰だった。
処刑で許されないほどにアルバートには、怨みと憎しみが呪いのごとく積もっていたからであった。
そしてアルバートは、王国を統べる政権が交代することの意味を、自身の身をもって知ることとなった。
アルバートの世話人として、戦争で命を落とした兵士の遺族やアルバートに恨みを持つ者などが、日替りで塔へと兵士と医師とともに向かうことが決まる。すでにアルバートの足の指は7本無くなっているとのことだった。
順番待ちの人数が多いので、アルバートの治療は丁寧におこなわれている。ただし、痛み止めなどは与えられない。
「おまえのせいで家族が戦火にッ!」
「返せ! 息子を返せッ!」
「わたしの娘を生きかえらせろッ!」
侍女だった医師の娘はアルバートによって命を亡くしていた。医師はアルバートを長く長く苦痛のままに長く生かすことに執念を燃やし、アルバートは医師の望み通りに数ヶ月も、徐々に身体の一部分を失いながら地獄の底で生き続けなければならないのであった。
一方、北の公爵の屋敷では。
4人の男女が和やかにお茶を飲んでいた。
髪に小花を編みこんで花の刺繍を重ねた薄くふんわりとしたドレスを着たシェラを、少年の服を着たレリが膝に乗せている。レリは王宮ではシェラの傍らにいるためにメイド姿であったが、性別は男なのである。
マグノリアは、シェラの有効性を認め保護下に置くことにした。しかしシェラの迂闊さも認めたために、レリと手を組んだ。
ゆえに、マグノリアの庇護によってレリは、ナチュラルにシェラと軟禁生活を満喫中であった。もともとシェラはアウトドアな性格ではなかったし、レリはシェラの安全第一である。ふたりは、とても楽しい毎日をおくっていた。
父親たちは、レリとシェラが幸せそうなので文句は言わなかった。
シェラとレリの正面には、艶めく光沢の青いドレス姿のマグノリアを膝に乗せた南の公爵。
マグノリアの「貴方を愛していますの」と言う告白に一撃でイチコロだった南の公爵は満面の笑顔で。
檻のように拘束する南の公爵の腕の囲いに、マグノリアはやや渋い表情をしていた。
季節の花でコーディネートされたテーブルの上には、シェラとマグノリアの好物の菓子が並べられ、グラスの水には薔薇の花弁が浮かび、食器のまわりには花々がティアラのようにグルリと繋がれて飾られている。
窓からは、木の芽が吹いて花が咲いた木々の間を渡った風が芳しい花の香りを運び、カーテンを揺らしていた。
「えー? では新しい国王様は西の公爵様なのですか?」
と意外げに言うがシェラには不満はない。
西の公爵は、アニメでは名宰相として辣腕を振るっていた有能な政治家だった。きっと名君となって王国を発展させてくれるだろう、とシェラは思った。
ただ、
「マグノリア様は女王様にならなくて、よかったのですか?」
マグノリアはそのために計画して努力してきたのではないか、ともシェラは思ったのだ。
「わたくしは女王になりたかったわけではないのよ。王国がアルバートとともに共倒れになることを防ぎたかっただけなの」
「マグノリア様……」
マグノリアラブのシェラは尊敬の眼差しを向けて、うっとりとする。
あ~あ、マグノリア様の手のひらでコロコロされちゃって、とレリは思うが口はつぐむ。
控えめに言って、シェラは趣味である薬草と花の庭仕事の、レリは勉強三昧な毎日が最高なのだ。
「そうそう、今年の冬はザリム風邪が流行するとか?」
「はい。王宮薬師の方にザリガ草を渡していただけましたか? 流行する予定ですけど、流行しなくてもザリム風邪の特効薬はなかったので作っても損にはならないです」
「ええ、薬師たちが興奮していたわ。大発見だと」
シェラの横で喋る内容に目を光らせているレリの姿を、子猫を守る母猫のようね、とほほえましく眺めてマグノリアは茶器を優美な仕草で手に取った。
マグノリアは、薄い陶器の茶器の温かさを指先で味わい、静かに唇の先をカップに沈める。
「甘いわ……」
砂糖の量を間違えてしまったようだ。
戦うからには必ず勝たねばならない。そして、勝利した。シェラは幸運の天使だった。あの日、シェラと出会えた強運をマグノリアは密かに喜んでいた。
望んだ通りの結果にはならなかったが、自分の腹部に頑丈な枷のように回された南の公爵の腕を見て、マグノリアは紅茶を口に含んだ。
南の公爵が青い双眸を愛おしげに細めて、長い指でマグノリアの頬を羽のように優しく、優しく撫でる。
マグノリアは、くすぐったそうに微笑んだ。
でも、一番に欲しかったものは手に入れたわ、とコクリと甘すぎる紅茶を喉に滑らしたマグノリアであった。
「カルテット、4/10000」というファンタジーを連載中です。
もしよかったら、よろしくお願いいたします。
読んで下さりありがとうございました。