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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

最後の一葉

作者: 鈴木結七

 この辺りでは、不思議な客人の噂をよく耳にするが、その客人の姿を見たことのあるという者は誰もいない。

 僕の予想では、その客人は恐らく、僕たちに希望を与えてくれるんだ!本の挿絵だろうか、それとも街中のポスターだろうか、そうだったとしたら、どれだけ嬉しいことか!まぁ、「くれば」の話ではあるけれど。


 ある日、僕の友人が病気に罹った。彼は僕と同じ画家志望の学生で、僕と同じ様に次の学生向けの絵画賞に向けて頑張る盟友だ。その賞の作品応募開始まであと一週間。

「おぅい。大丈夫かい?入るよ」

「あぁ、君か。散らかってて悪いね」

「いや僕のところの方がひどいよ、あ、それってもしかして!」

 かなり年季の入った朱色っぽい壁、窓からの光を避ける様に静かにたたずむ植物、ただそれだけではあるが、確かに僕の心の中にある何かを縮こませるこの絵こそが、彼が血の滲む様な努力を続け描いた作品だ。その植物の得体は知れないが、何処かで見た様な、ありふれたものだった。なんだか不思議な感覚だ。

「やっぱり君は天才だよ!」

「そんなことないさ、これでもまだ実ってすら居ない」

「それは、この絵の植物が?」

「僕もだよ、嗚呼、こんな事言わせないでくれ」

「そうかな?この壁のシミの表現みたいな、細かいところだってよく描けてるじゃないか」

「それは、窓枠を塗る為の茶色の絵の具が跳ねた跡を誤魔化したってだけ。絵描きとしては最悪な事件だよ」

「君の代名詞は『絵と共に有る』、だっけ?」

「そう、そんな僕が変な失敗をしちゃあ…」

「でもやっぱり、僕ならこの葉っぱの質感を表現するのに一杯一杯なのに、君はここまで忠実にできてるのを見ると、羨ましい限りだよ」

「この前見に行ったけど、君のだって充分凄いじゃないか」

「僕のは、とんだ駄作だよ。あんなのでもし入賞できたら、それはもう夢か天国だ」

「自信持ちなよ、そういえば応募開始まであとどれ位だったっけ」

「あと一週間だったかな」

「そうかぁ、じゃあもう少し改善してても良さそうだなぁ。君も早く取り掛かるといい。時は待ってはくれないぞ」

 そう彼は言ったものの、僕の住んでいる部屋は伽藍がらんとしていて刺激がない。空気を換えようにも、窓の向こうはすぐ建物の壁で覆われている。隙間からの風がちょっと入ってくるだけだ。そう、窮屈なんだ、絵描きはもっと自由でないと!

 そう考えると彼はよくあんなものを描けるな、やはりこれは才能の差なのか、と意気消沈したが、僕も負けていられない。


 それにしても彼の病状が心配だ。見たところ何もおかしなところがなくて逆におかしいくらいだ。それからも僕は彼を看に行ったが、特にこれと言って辛そうな雰囲気ではなかった。強いて言うならば、若干口数が少ないくらいだが、それは賞に向けた一層の気構えゆえのものでもある様に感じた。

 だが少し、彼にではなく、別のものに違和感を覚え始めてきた。彼の絵だ。何故か来るたびに、果たして昨日はこうだっただろうか、と疑ってしまう。

「やぁ、体の具合は」

「まぁまぁかな」

「そうかい。君の絵はどうなんだい?」

「まだまだかな。あのモンステラの絵は、僕の絵描き人生を左右する希望なんだ。僕の最高傑作を賞に出すんだ。なんとしてでも終わらせなきゃ」

「あれじゃあダメなのかい?」

 彼は首を横に振った。

「ダメだ…」

「そうか…。ねぇ、あれって、昨日はああだったかな」

「どういうことだ?」

「あぁいや、僕の記憶違いならいいんだけど、どうもおかしいんだ」

「絵は変わるだろう、手直しするんだから」

「そうだよね!あれぇ、僕、なんて馬鹿なこと聞いちゃったんだろう!」

 彼は少し笑った。あと三日。


 僕はその次の日も彼を看に行った。

 彼は窓も、カーテンも閉めたまま、ベッドの中で石の様に、或いは木の様に固まっていた。彼は寝ているのだと思い、僕は静かに、彼の為にスープを作ってやった。

「やぁ、これ作ったんだけど、食べるかい?食べるなら温かい内がいいよ」

「いい」

「どうしたんだい?よく聞こえ無かったよ。こちらを向いておくれ」

 僕はひどく驚いた。彼の口からは真っ赤な血が尋常ではないほどの量出ていた。それは決して生温いものではなかった。僕はすぐにその血を拭いて、医者を呼ぼうとしたその時、何かが僕の袖を引っ張った。それは彼の手だった。やけに弱々しく震えるそれはもはや梢だった。彼は首を横に、ゆっくりと振った。

「ダメだ…」

 声は掠れていた。

「そうは言ったって、そんなんじゃあ絵も描けないだろう?!」

「僕は大丈夫だ、ちょっと血が出るくらいどうってことはない」

「何馬鹿なこと言ってるんだ?君は絵に於いては天才だがそれ以外ではそんなにも馬鹿なのか?!」

屹度頭に血が行かず正常な判断ができなくなってしまっているんだろう。僕は彼の手を振り解き医者を呼びに行った。

 暫く経った。彼の調子はどうだろう。医者がまだ部屋から出る気配がないので、この時、今のうちに絵を進めよう、などという考えは頭に一切なく、胸のざわめきが抑えられないだけだった。と、漸く扉が開いた。

「先生」

「流行病だ。彼は病院へ連れてゆく、かなり悪い状態だ。これほどまで悪化すると言うのは中々無いことだから、早急に措置を取らねばならないな」

「じゃあ僕も着いてゆきます」

「いや、いい。彼のことを見ていてしまっては、君がどれだけ苦しくなるだろう。ここは私たち医者に任せて、君は彼の部屋を綺麗にでもしていてくれ。屹度治すから。」

「はい…」

 従うことしか出来ずに、僕は彼の部屋へと入っていった。シーツには血がついてしまっている。壁にも少しばかり跳ねていたので布巾で拭こうとしたが、怖くて出来なかった。

 彼の絵に飾られた植物の葉は、あと一枚になっていた。見たところパレットや筆は綺麗に片付けられていた。どういう事か。カレンダー代わりに自分の血で塗り潰していたんだ。壁の朱色と血が同化して殆ど見えていなかったが、これこそが最近の違和感の原因だった訳だ。これが彼なりの、『絵と共に有る』ということだったのだろうか。彼の生きた証を、絵の中に、こんなにも残酷な形で示したかったのだろうか。もし明日になっていたら、この植物はどうなってしまっていただろうか。考えただけでも背筋が凍る。その夜、僕は彼の部屋で一枚の絵を描いた。


 そうして、応募が始まった。

 沢山の未来有る若者たちが挙ってこの賞を勝ち取ろうと勇んでいた。

「君、賞に応募する絵は一枚にしてくれ」

「これは友人のなんです」

「というと?」

「彼は今日の為に必死で絵を描きました。ところが恵まれないことに、病に罹ってしまいました。彼の代わりに彼の絵を出させて下さい!」

 暫く考えた挙句、

「君はどちらの絵を出したい?君の描いた絵か、その友人の絵か。本人の物と確認が取れなくては、その絵は出せないんだ。悪いね」

「お願いです、どうか!僕たちは同じ夢に向かって頑張ってきたんです。盟友の夢は僕の夢、裏切りたくありません。かといって僕が僕自身の絵を出さなくては、彼は悲しむだろう、怒るだろう。そんな彼を見たくは無いのです。お願いです、どうか…どうか、この絵を…」

 地に額をつけ懇願した。これでもかというほど声を上げた所為で、途中から喉が痛かった。

「分かった、君の名前と、その友人の名前を教えてくれるか?」

「僕は__」

「少々待っていてくれ」

 熊の様に体の大きな、厳かなその人は建物の中へ入ってゆき、話をしてくれたのだろう。特別に許可が出て、僕は僕自身の絵と、彼の絵を応募に出すことが出来た。

 僕は彼の居る病院へ向かった。彼には会えなかったが、彼の容態は安静に向かって居ると言う医者の言葉に、僕は胸を撫で下ろした。だが彼には応募に出したことは言えていない。


 そして遂に結果の発表の日になった。僕は朝早く起きて、僕の部屋で新聞を待っていた。が、新聞が来る時間より先に扉を叩く音がした。誰だろうか。恐る恐る扉を開けると、不思議な客人が目の前に立っていた。

「君が例の子か。私から君に報告がある、賞についてなんだが」

 思わず息を呑んだ。

「この紙に書いて有ることの通りだ。君の友人にも宜しく伝えておいてくれ」

 そうして渡された封筒の中身を見てみると、彼の名前が見えた。胸が高鳴る。ゆっくりと中身を引き出す。


___僕は彼の入院している部屋へと向かった。

「やぁ、体の具合は」

「まぁまぁかな」

「そうかい、今日は受賞者発表の日だよ」

「あぁ、僕も作品を出せたら良かったのに。あのモンステラの絵は、僕の絵描き人生を左右する希望の筈だったのに。応募も出来ないんじゃあ絵描きとしては最悪だよ。ははっ、傑作だ」

「あぁあ、僕は君が羨ましいよ」

「絵の才能だけは、だろう」

「なんて言ったって…君は入賞できたんだから!」

 僕は今朝貰った紙を広げ、満面の笑みで彼に言った。

「なんで…」

「僕が今までで一番醜い格好でお願いをしたんだ」

「君はなんて馬鹿なんだ」

「君も馬鹿だよ、評価によれば『葉が少なく、厳かさや美しさは不十分に感じられた。だが残った最後の一葉の、生きることに対するしぶとさは素晴らしい。』だってさ」

「なんだい、結局ダメなことには変わりなかったじゃないか。君はどうだったんだい?」

「僕は……」


「君が入賞出来ただけで天国だよ」

「なるほど…ありがとう」


                      了


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