お母様
俺の前にいるのはまだ若いとすらいえる女だ。初めて見る顔だが女は俺の前でずっと泣いていた。
ゆるく巻いた長い金髪。卵型の顔が折れそうな細い首の上に載っている。垂れ気味のだがくっきりとした目元とその大きな緑の瞳を持つ繊細な顔立ち。
とても華奢で折れそうな細い姿態。
その女は美しいのだろう。
俺は黙って泣いているその女を見ていた。
本当なら俺はその女に声をかけなければならないのだろうが、かける言葉が見つからない。
ここにいるのはお母様。俺が小さいころあの牢屋を出て行ってしまった人。
お母様は俺のいるところに連れてこられてからずっとうずくまって泣いていた。
俺はお父様からお母様の存在こそ聞いていたが細かいところは聞いたことがなかった。
「泣かないでください、お母様」そう声をかければいいのだろうけれど。
泣いている人にはそう声をかけるのだとあの男から教わった。だけど俺はどうしてもわからない。どうしてこの人は泣いているんだろう。
「泣いているのはどうして」
だから直接聞いてみた。だってなんで泣いているのか目の前の女自身が一番わかっているはずだ。
「どうしてって」
俺の直球な質問は女にとって意外だったのだろう。目を大きく見開いて俺の顔をまっすぐに見た。
「だってわからないから」
「私がなぜ泣いているかもわからないのですね」
いったん止まった涙が再び女の目じりからあふれる。
俺はだんだんイライラしてきた。どうして俺のわからないことをするんだと。
「ずっと会いたかったから」
俺に会いたかったならどうして出て行ったんだろう。
「私はお父様に命じられてあなたを産んだの」
「お父様に?」
お父様に俺は何かを命じられたことは無かった。だけどこの女には命じたのか?
「ちがうわ、私のお父様」
「ああ、お父様のお父様みたいな人のこと?」
「その人のことはあまり口に出してはいけないわ。忌まわしいから」
「忌まわしい?」
俺の知らない単語に俺は首をかしげた。
「何も知らないのね」
女は俺の頭を撫でた、初めて俺に触れた。
「すべてはあの方が教えてくれるわ」
「あの方?」
「貴方の、お父様のお母様、お婆様というのよ」
俺はお母様だという女をただ見ていた。やはり女を見ていても泣きたい気分にはなれない。一度聞いただけでほとんど忘れていたお母様だという実感など湧かない。
女は俺の名前、ルドルフというその言葉をずっと口に出さなかった。