世界最後の夏、夜の帳に花が咲く。
白、赤、灰色。その周りに色んな色。
そのうるさい視界の中でその人を見つけた時、俺は驚くより先に息を飲んだ。
初めて、あんなに綺麗な人を見た。
——それは多分、一目惚れだった。
七月二十九日 日曜日
【一日目】
名前に夏の字が入っているからと言って夏が得意なわけではない。俺はこの季節が来るたびそれを実感させられる。とにかく暑い。全裸になりたいくらいだ。露出狂願望をむくむく広げる俺を気にせず照りつける日差しはジリジリと俺の肌を焼いた。本当は外なんて出たくなかった。家でアイスでも食べながらテレビを見たかった。
なのに何故こんな猛暑の中を歩いているのかというと、ただの自業自得である。大学の授業で提出するレポートを提出し忘れていたのだ。期限は今日までだから問題は無いが、本当なら今日は全休。俺は休みの日にわざわざ学校に来る羽目になったわけだ。最悪だ。友人も休日で顔を合わさなかったから遊びに行く約束もしなかった。ただの家と学校の往復。こんなにつまらない日があるだろうか。
「……いや、ないね」
それで、すこしでも面白い日にしようと普段通らない道から帰ったのが間違いだった。家の近くまで来たところで、道がまさかの工事中により通行止め。また駅まで戻るハメになってしまったのだ。
駅から家までは結構な距離があるから段々喉も渇いて来たし、水筒はカラだし、しかも自販機はないし、頭はクラクラするし。
なんだか今日は厄日な気がする。いや全部俺が悪いんだけど。
「と、とりあえず水分補給……」
この際我儘は言わない。もう公園の水道水でいい。あまり衛生的にはよく無いらしいが、子供の頃は気にしないで飲んでいたし、大丈夫だろう。
ちょうど通りかかった児童公園の中に入り、水飲み場に向かう。
途中で子供達が奇異の目でこちらを見た気がしたが気にしない。こっちは命に関わるのだ。水道水の蛇口を捻り口を近づけると、口内に温い水が流れ込む。俺は喉を鳴らしながらそれを飲み、満足したところでついでに顔も洗った。
汗だらけでずっと気持ち悪かったのだ。カバンからタオル地のハンカチを取り出し一息つくと、冷めた脳が自分の周りの景色を認識する。
先ほどすれ違った子供達は水飲み場に死にそうな顔で向かう俺を気にしていたのかと思ったが、そうではなかったらしい。
「は?」
子供達が気にしていたのはおそらくこの背の高い男性だ。
ちょうど俺の足元、水飲み場の横で男がぶっ倒れていた。
水飲み場を俺の前にも使用した人間がいたのか、周辺は泥まみれになっており男の白いパーカーを茶色く汚している。が、男はどうやら意識が無いようで、それを気にすることはできないようだ。
俺は確かに医者を志してはいるが身体の方の医学には詳しくない。
人が気絶していた際の対処法なんて頭に入っていなかった俺はとりあえず男に声をかけた。
「あ、あの! 大丈夫ですか!」
返事は無い。ただのしかばねの……なんてふざけている場合ではない。こういう場合は救急車を読んだ方が早いだろう。俺は携帯を取り出すと救急の番号を。
「電池切れ……」
厄日ってレベルじゃないぞこれ。周りを見渡しても誰もいない。どうやら、子供達もその親も帰ってしまったらしい。どうしよう。何か方法はないのか、辺りを見回しても何もない。
……水道以外は。
俺は蛇口のノズルをを男の顔面の方に曲げ一気にひねった。
「…………わ、っぶ!」
三秒後、水が鼻か気管に入ったのか、男は咳き込みながら勢いよく起き上がった。動けないものだと思っていたから。驚いて肩が跳ねる。慌てて水を止めると息を整えている途中の男がこちらを驚いた顔で見た。
「なななな何するんですかいきなり!」
「よかったぁ、気がついた」
「最初から気がついてますよ! ただ頭くらくらして動けなかっただけで!」
恐らく熱中症だろう。いつからここにいたのかはわからないが、この日差しと暑さだ。水分を取っていなければぶっ倒れるに決まっている。俺は鞄から塩飴を取り出すと男の手に握らせた。夏に塩飴は必須だ。
「え、なんですか……」
「食べて」
「ありがとう、ございます……?」
怪訝な顔で飴を頬張る男に水を汲んだ水筒を手渡す。これでまぁとりあえずは大丈夫なはず。どうやら男は同年代か少し下らしいが、どこか顔に幼さが残る彼に、ついつい子供に語りかけるように話しかけてしまう。
「きみはなんでこんなところで倒れてたの?」
そう聞くと男は塩飴を頬張りながら答えた。
「人を探しているんです。二十代前半の男の人で、多分ここら辺に住んでると思うんですけど」
「名前とか顔はわからないの?」
俺の出身校はマンモス校で全校生徒も多い。教える教えないは別として、同年代の同性であれば、誰か知り合いにかすっているかもしれない。
「顔は……、実はオレここ来る時に眼鏡忘れちゃって、あんまり見えないんです。 あ、でも名前は覚えてますよ! えっと……そう! 藤島夏希って人です!」
「…………それ俺かも」
藤島夏希、確かにそれが俺の名前。だがこんなイケメンの知り合いは居ないはずだ。こんな奴見たら恐らくは覚えているだろうし。
「本当ですか!」
「同姓同名の可能性もあるけど……っお!?」
ずいっ、と男は俺の方に顔を近づけると花が開いたように破顔した。
「わ、貴方です! やっと見つけた!」
やったやったと、今にも飛び上がりそうな彼の喜びっぷりに疑問を持つ。やはりどれだけ記憶を探ってもこの男に覚えはない。
「あの、夏希さん! オレ、過去を変えに未来から来ました」
……?
「貴方の所為でオレの人生めちゃくちゃなんです! だから三十一日までオレと一緒にいて下さい!」
……??
「待って、意味がわからない。もうちょっと丁寧に教えて」
「えっと、ごめんなさい。じゃあ順を追って説明しますね。まず夏希さん、貴方は三日後の七月三十一日に死にます」
「……ノストラダムスならあれ、多分当たらないぞ」
「あれは外れます。……って言うか、オレが生きてるんだから、世界が滅亡するはずないじゃないですか。貴方の死因はただの交通事故です。しかも貴方の飛び出しによる」
……飛び出し? 子供ならまだしも大の大人が道路に飛び出したりするだろうか? 疑問がどんどん出てくるが一旦それを置いて話を続けさせる。
「オレ、それを目の前で見ちゃって、その後の人生めちゃくちゃになったんですよ。だから来ました。オレの為にオレの過去を変えに来たんです」
「だったら自分に会いに行けば? 当日事故現場に行かないように」
「それは……、意味がないので」
正直、信じられない。ただの夢見がちな青年に付き合わされてるとしか思えない。だとしたらただの時間の無駄だ。
「悪いけどSFごっこに付き合ってる暇はないよ。別の人を探して」
「あ、ちょっと!」
男は手を掴み立ち去ろうとした俺を引き止めた。
「嘘じゃないんです! ……信じてください!」
「…………無理」
掴まれた手を振り払いその場から離れる。男は追いかけこなかった。
未来からタイムスリップなんて事が本当にありえるのだろうか、あの青年と別れてからそんなことばかりを考える。
もし彼の言うことが本当だとしたら、三日後、地球滅亡より先に俺は死ぬ。
で、あの彼の人生もめちゃくちゃになるらしい。冗談なのはわかってはいるが、死を宣告されて不安を持たない人間なんていない。空が青から濃紺に変わるほどの時間が経っても胸のモヤモヤはどうも晴れなかった。
(いや、仮に本当だとしてどういう原理でこっちに来たんだよ。青いロボットに連れられて引き出しの中からとか? ……ありえない)
きっと嘘だ。何故俺の顔と名前を知っていたのかは気になるが、きっと片道の知り合いだったのだろう。だから大丈夫。絶対悪い冗談だ。でももし本当だとしたら。
(……本当だとしたら)
自分が死ぬとかどうとかもあるが、一つとても気になることがあった。
(あの人帰る家とかあるのかな)
SF物では夜は未来の自宅に帰ったり、タイムマシンが自宅代わりだったりするのがセオリーだが、公園で倒れていたくらいだ。帰る家がないということもありうる。
そもそも「事故を目撃したせいで人生がめちゃくちゃになった」と言うくらいだ。見た目からして恐らく十年前後、そんな近い未来で漫画や小説のようなシステムが存在しているわけがない。だとしたらやはり日を跨ぐのは野宿とかなんだろうか。こんな暑い日に?
「……心配になってきた」
財布を持って玄関を出る。彼の言う設定自体が嘘だったらそれでいい。信じたわけでもない。ただ一度関わった人間に二回も倒れられるのは嫌なだけだ。
「いない……」
例の公園内を見回してもそこには人一人いなかった。当然と言えば当然かもしれない。ここで倒れていたからと言って、ここを寝床にしているとは限らない。そもそも家なしかもわからないのに。
無駄な事をした、無意味な自分の行動にため息を付き、踵を返そうとすると少し遠くの遊具の上に人影が見えた。
「なにしてんの。こんな時間に」
つまらなそうに遊具の上で足をぶらつかせていたのはあの青年だった。泥だらけのままのパーカーに予想が当たっていた事が想像できた。恐らくずっとこの公園にいたのだろう。
「三十一日を待ってます」
「俺が死ぬのを?」
「ええ。場所はわかるので、当日に間に合えばいいです。それまでどうするのかって話ですけど」
「……家には帰らないの」
「この時代には俺の居場所はあっても、「オレ」の居場所はないですから」
確かに今の彼が本来の家に行って未来から来たので泊めてください、なんて無理だろう。不審者案件になって終了だ。
「ふーん。じゃあさ、良かったらだけどそれまで俺の家来る?」
「え、でも信じてないんじゃ……」
「信じてるのと信じてないのが半分半分。もし嘘だったとしてもその身なりと状況からして帰るとこがないのは本当でしょ? ならいいよ。倒れられても困るし」
「……いいんですか?見ず知らずの人間ですよ」
「だからって一度関わった人間が困ってるのに、放置なんて事俺には出来ないよ。正直怖いけど、なんか動かなかったらずっと気にしちゃいそうだから」
「……変な人」
「悩みごととかしたくないだけ。ほら、来るなら来てよ」
「…………はい」
遊具の下から手を差し出すと、男はおずおずと手を取り遊具から飛び降りた。困ったような表情をしていたが嫌ではなさそうだった。そういえば俺はこいつの名前すら知らない。
「キミの名前は?なんて呼べばいい」
「……翔吾です。佐倉翔吾、っていいます」
「それじゃあ翔吾、お前汚いから帰ったら速攻風呂入れるから。覚悟しとけよ」
「えぇっ!?」
「拾った犬とかも落ち着いたら風呂入れるだろ」
「オレ、犬とかじゃないです!」
風呂に入れて着替えさせて飯を食わせて。小汚い犬はやっと見れるレベルにまでなった。飯を食べている時は緊張していたようでずっとキョロキョロしていたが、今は少し慣れたらしい。寝巻き代わりのTシャツを着た翔吾は、ベッドの横でうとうとしていた。相当疲れていたのかもしれない。
「寝る? 敷布団になるけど」
「……はい」
客用の布団を出してやると翔吾はのそのそ動きながら布団の上に雪崩れ込んだ。しばらくして聞こえてきたのは規則正しい寝息の音。
「って即寝……」
見ず知らずの他人の家で即寝。俺だったら絶対出来ない。横になりながらでもいいから聞きたい事が色々あったんだけど、それは明日でもいいか。少し早いけど俺も寝てしまおう。
七月三十日 月曜日
【二日目】
日当たりがいい部屋を選んで本当に良かったと朝日を浴びるたびに実感する。
三年前に借りたワンルームは上京の時に選んだものだった。毎朝太陽が直々に起こしてくれるおかげで晴れの日は寝坊した事がない。寝ぼけ眼で洗面台に向かい、簡単に朝の支度を終わらせる。すっきりした目と頭でベッドの方を覗くと翔吾はまだぐっすりだった。自分一人ではないのだし朝飯でも作ってしまおう、長らく使っていなかったフライパンを取り出し未開封だったバターを開ける。何か食材はと冷蔵庫を開けると、未開封の賞味期限ギリギリの卵のみが入っていた。
男の一人暮らしなんてこんなものだ。特に今年に入ってからはやれレポートやら課題やらで、自炊まで手が回らない。甘い卵とバターの香りがキッチンに充満して、バターが控えめな音を立てて弾ける。金属が鈍くぶつかる音がする。実家にいた頃、ごくたまに朝ごはんに母親が作ってくれたふわふわのオムレツは上京したての頃に覚えたものだ。俺はそれが大好きだった。オムレツが好きなんじゃない。誰かが自分の為にわざわざ作ってくれた事が嬉しかった。自分ももし誰かの為に朝ごはんを作る事があったらきっとこれにしよう、そう思ってた時期もあったくらいだ。まさか最初に振る舞うのが彼女じゃなくて拾った犬だとは思わなかったけれど。
バター特有の香ばしい匂いが部屋を包む。釣られて起きてきたのだろう翔吾がフライパンの中を覗き込んだ。
「オムライス」
「残念。オムレツだよ」
「オムレツ」
「顔洗って来な」
「あい」
二分もすると翔吾が支度を終わらせて、ちゃぶ台のそばの座布団の上にお行儀よく座る。そこに出来立てのオムレツとトースト、それにイチゴジャムとインスタントを少しアレンジした冷たいスープを持って行ってやると、翔吾はぱぁっと表情を明るくした。
「すごいです、朝ごはんみたい! それっぽい!」
「朝ごはんだからな」
手抜きの飯に翔吾はすごいすごいとはしゃぐが、あまり朝は時間に余裕が無かったのだろうか? 適当な一人暮らしをしていると、こういうそれっぽいものにテンションが上がるものだが、彼もそれなのかもしれない。年齢的に社会人でもおかしくないし、きっと普段は俺の生活とたいして変わらないのだろう。
「食べていいですか?」
「もちろん。ちゃんといただきますしな」
「えっと、いただきます」
ぎこちなく手を合わせてフォークをとった翔吾は、まずオムレツの方に手をつけた。ふわふわの卵を割ると中からチーズが出てくる仕組みになっている。こちらも賞味期限がヤバかったもので、ついでに包んだのだが、彼はそれがお気に召したらしい。キラキラとした目で出てきたチーズを卵に絡めた。
「すごい、こういうの初めて見た……!」
「簡単だからすぐ作れるよ。きみは自炊しないの?」
「はい。ごはんとかは周りの人がずっとやってくれたので自炊経験はあまり」
「……もしかしてお坊ちゃま?」
俺自身は都市伝説だと思っていたが、意外に使用人に身の回り全部任せる人もいるのかもしれない。それにしては着ていたものも庶民的だったけれど。
「いえ、実家は普通の家柄です。ただ長い間他人に接したり自分から行動することは禁止されていたので経験がなくて。貴方に会いに行くときもどうやって話しかけるか、かなり悩みました」
「それなんだけどさ、きみはどういう原理でその、タイムスリップをしてきたの? 昨日からずっと気になってたんだ」
「オレにもよくわかりません。ただ死ぬ間際に過去に戻りたいって考えてたんですよ、そしたら起きた時にはもう。ミラクルですね」
「……死ぬ間際?」
「…………殺されたんですよ、オレ。直接の原因ではないですが……、多分間接的な原因は明日の事故です」
「じゃあ明日の事故さえなんとかできれば、きみは死なないってこと?」
「そうなりますね」
興味がなさそうにスープを啜る翔吾に首をかしげる。人間は自分が死ぬというのにこんな態度をとれるのだろうか。まだ実感がわかないからわからないが、少なくとも俺がその立場ならもうちょっと必死で動く。
「興味なさそうだな」
「まぁ、当時のことはよく覚えてますから。白のワンボックスカー、それが貴方を引いた車です。事故の場所はこの家から数百メートル離れた坂の下の交差点、時間は大体昼頃」
「それだけ気をつけてれば余裕って?」
「そうですね。だからあとは待つだけです」
「ふーん。あ、そっか、その日だけ回避できればいいからか」
「はい」
そしたらその日は別の遠くの場所へ行くか、もしくは家にこもっていれば良いことになる。楽勝じゃないか。
「そしたらお前は明日まで暇なのかー。俺も学校あるからどうしようか」
「学校?」
「大学。昼の一コマだけで申し訳ないけど、きみも来る? 留守番してるよりは楽しいだろ。学食もあるし」
「大学……、行ったことないです」
「じゃあ俺くらいの時は働いてたのか。偉いなー」
自分は高校生の頃、まだ遊びたいからという理由で進学してしまった。ちょうど、その頃バイトで失敗してそのまま社会に出るのが不安だったということもある。そういう背景があるからこそ、同年代の時に自立していた人間を尊敬する。それだけの能力はあるということだから。
感心する俺を見て翔吾は苦笑いをした。
「んー、それもちょっと違います。高校も最後まで行ってないので。高校入りたての頃は大学行くと思ってたんですけどね。オープンキャンパスも行かずに辞めさせられちゃいました」
先ほどの料理のときもそうだが、どうやら彼の事情は色々と複雑らしい。誰もが自分と同じではないというのはわかっていたのに迂闊だった。話を振ったことを反省していると、翔吾は「だから」と前置きをして言った。
「興味があります。よくわからないけどすごくウェイウェイしてるんですよね? それは知ってます!」
「すごい偏見だな!?」
そりゃ体育会系なら、いやこれも偏見だけど、想像通りかもしれないが。ウチは心理学部だ。一定数そういうタイプは居るが、あまり期待には添えられない。
「じゃあ食い終わって一息ついたらお前も来るか? 駅まで少し遠いから歩くけど」
「いいんですか!? 行きたいです!」
正にワクワクしてます! という表情から見るに、学校に行くのは楽しみらしい。あまり気にしてなさそうでよかった。もしかしたら、そう見せているだけなのかもしれないけれど。
「……どこからが大学ですか?」
「門から」
歩いて二十分。プラス電車で十五分、そっからまた歩いて十五分くらい。県内でも大きい方であるウチの大学を見て翔吾は目を点にさせた。俺も小中高と小さい学校に通ってきたからこのだだっ広い敷地には三年前驚いたものだ。
「でもこれ普通に道ですよ!」
「車通るからなぁ。こっからが遠いんだよ。十分は歩くぞ」
「学校ですよね?」
「学部が建物で分かれてるんだ。これでも俺の心理学部は門から遠くない方」
「なんか大変です……」
「慣れたらなんとも思わないよ」
昼時にもなると授業が終わった多くの学生がぞろぞろ校舎から出て外に広がる。いつもなら時間をずらして人の少ない時に登校するのだが今日は時間を間違えてしまったらしい。
「人多いからはぐれないようにな」
「は、はい」
翔吾は俺の服の裾を掴むと、これで大丈夫ですとでも言うように得意げな顔で俺の方を見た。小さな女の子がそれをやったらそりゃ悶絶しただろうが、大の男がそれをやるのか。確かにはぐれない方法としてはいいかもしれないけれど絵面はキツイと思う。
周りの生徒の奇異の視線を浴びる感覚を感じながら、前へ前へと進んでいくと周りの建物より比較的新しい建物が見えた。それが心理学部が所有する練だ。ウチの学部は数年前に出来たものだから校舎も新しい。その五階建ての三階部分にある講堂が次の授業で使う場所だ。
「講義中は大人しくしててな」
「子供じゃないんだからわかってますよ」
後ろから四列目の目立たない席に並んで腰を下ろす。いつもの定位置は列の左から三番目。普段鞄を置いている場所に翔吾を座らせると彼は首を傾げた。
「なんで反対側詰めないんですか?」
翔吾の反対側の空席の事を言っているのだろう。二つ分空いた席は始業五分前だと言うのに埋まる気配がしない。
「友達が来るんだよ。お前人見知りする方?」
「んー、他人、他人……。普通に話したことあります! 大丈夫です」
「なら安心だな……って来た来た」
遅刻ギリギリだと言うのに急ぐ素振りもなく登校してきた友人は、俺に軽い挨拶をして定位置に座った。
「ナツ~! お前くるの相変わらず早いなー」
「お前が遅いんだよ。あ、今日さ、俺の知り合いも一緒に受けるけどいいよね?」
「おう! どんな奴?」
「そこにいる奴だよ。昨日知り合ったばっかなんだけどさ、よろしくな」
「どこって?」
「いやだから俺の隣にいる……」
「ナツ……。お前ついに頭がおかしくなったのか?」
友人はそう言って哀れみの目で俺を見た。
「は?」
「いやわかる、心理学やってると病むよな〜〜。わかるわかる。大丈夫、俺はお前の頭がパッパラパーになっても見捨てないからさ……」
「はぁ!? ……ってお前何やってるんだよ!」
翔吾は机に身を乗り出すと、腕を伸ばして友人の目の前で手をひらひらと動かした。友人は気にもとめていないようだが、慌ててそれをやめさせると彼は怪訝な顔をして言った。
「この人、さっき瞳孔が動きませんでした。多分オレのこと見えてないんだと思います」
「マジかよ……」
「ですので、この人といる間は無視してくださって構いません。その方が今後の友人関係も円満に過ごせるかと」
「……おい、お前マジで大丈夫か? 悩みごとがあるなら相談してくれよ?」
「あー……、ごめん。今日調子悪くてさ」
すぐ治るから心配しないでと適当に誤魔化す。友人はまだ納得していないようだった、が教授が壇上すると同時に口を噤んだ。
「……どういう事だと思う?」
講義が終了して友人と別れたあと、俺たちは食堂で先程の出来事について頭を抱えていた。時間も時間だから利用者は少ないが、他人からは一人で話してると思われる事を考えると自然と声が小さくなる。
「おそらく、ですが。この世界ではオレは異物だからじゃないかと考えられます」
「異物?」
「十代の佐倉翔吾はこの時にも生きていましたが、今ここにいるオレは本来ならこの時代には存在しません。同じ人間が二人いるなんておかしいでしょう?だから本来なら存在しない方がいない事になっている。誰にも干渉出来なければいない事も同じですから」
「でも俺には触れるし見えるけど?」
「貴方は別ですよ。貴方に干渉出来なきゃ過去の変えようがない。もしくは……今の所貴方が死ぬ事が確定しているから? 死にかけ同士なら話せるみたいな」
「面白いシステムだな」
「仮ですよ、そうとは決まったわけじゃない」
それでは今の俺は幽霊に取り憑かれていると言っても過言ではない……、と言うか。朝の会話だと既に死んだ後だと言っていたから幽霊と同義の存在なのだろう。目の前のカレーはもりもり無くなっているが。どこで消化されんだこれ。
「これ他の人が見たらスプーンが宙に浮いてんのかな」
「怪奇現象ですね。どうします? ナツさんこれから超能力者とか幽霊付きとか言われたら」
「……ナツさん?」
「さっき友達さんがナツって呼んでたから真似っこです。嫌でした?」
「嫌ではないけどこう……もにょもにょする」
元々ナツ、なんて呼ぶ人間は、あの幼馴染の友人しか居ないのだ。他の友人は苗字だとか苗字をもじったあだ名ばかりで名前呼び自体にあまり慣れていない。
「いいじゃないですか〜。仲良くしましょうよ短い間だけでも〜〜」
「短い間ねぇ。そういえば、きみは七月終わったらどうなるんだ?」
「……多分消えると思いますよ、貴方が助かれば未来は変わりますから」
「お前それで良いの? 怖いとか……ないの」
俺だったら消えるのは怖い。きっと幽霊になってもまだ自分が存在している事にしがみつくだろう。
「そもそも一回死んでますから今更怖いとかないです。三十一日が過ぎれば未練とかもなくなりますし」
「ふーん……、そんなもんかね」
「はい。死ぬ時も怖がったり嫌がったりしなかったので、元々こういう性分なのかもしれません。ナツさんは未練とかあります? これがあるからまだ死ねない! みたいな」
「えー……、急には思いつかないな。好きな漫画の最終回見届けたいし、海外旅行とかもしたいし。あ、あと」
食堂に設置されているテレビの映像を見て思い出す。レポートに追われていて忘れていたが、明日は行く場所があったのだ。
「明日花火大会があるんだ。家から見えるんだけどアレ見なきゃ夏って感じしなくてさー。屋台飯も食いたいからやっぱまだ死ねないなぁ」
「花火大会……。どんな感じなんですか?」
「お前行った事ないの?」
「生前あまり友達が居なかったので……。人混みも苦手でしたし」
「じゃあさ、間に合ったら最後に俺と花火見ようか」
自室はまさに隠れた穴場で、窓から見える花火はとても綺麗なのだ。去年や一昨年は友人を呼んで馬鹿騒ぎしたのだが今年は花火大会の日程がずれた上に、去年一昨年と同じだろうと踏んで予定を立てていた俺たちは、当日はみんな彼女やらバイトやらで誰一人として予定が合わなかった。だから今年はぼっち花火だと思っていたのだが、一緒にいてくれる人(幽霊?)がいるなら気分も晴れるだろう。
「良いんですか?」
「何が?」
「いや、オレで」
「仲良くしよう、つったのお前だろ? いいんだよ。どうせ彼女居ないし。未来変わったお祝い会でもしようぜ」
「……ありがとう、ございます。オレ、綺麗なものが本当に好きで、だから、……お気持ち、本当に嬉しいです」
「じゃあ花火も気にいると思う! 何時だったっけな、すっごい綺麗なのがあるんだよ。明日は晴れだしきっとよく見えるよ!」
「そうなんですか。……楽しみにしてますね」
翔吾は嬉しいんだか、悲しいんだか、よくわからない顔でそう答えた。目元は笑っているというのに、どこか笑っていないみたいなそんな変な顔。また何か間違えてしまったんだろうか。俺には何故彼がそんな表情をするのかよくわからなかった。
電車に揺られてスーパーで食材を買って自室の玄関を開けると部屋にこもった熱気が一気に流れ込んできた。帰宅して最初にこれはやはりまいる。防犯上はあまり良くないが外出中でも少し窓を開けた方が良いのだろうか。
「暑いな、アイス買ってくればよかった」
「今から買って来ます?朝のテレビで今日は熱帯夜だって言ってましたよ」
「クーラーガンガン下げるのも良くないし買ってくるかー。チョコのアイス食べたいんだけどちょっと歩く方のコンビニ行っていい?」
「はい。ちなみにアレですか?コンビニ限定の高いやつですか?」
「そうそう。新発売のきな粉チョコ味」
「それこの夏だけですよ売られるの」
「マジで?」
玄関の鍵を閉め外へ出る。日が傾いたせいもあるだろうが、外の暑さは部屋よりはまだマシだった。
「コンビニってここですか?」
「うん」
家から徒歩十五分。地元で唯一の青いコンビニに連れて行くと翔吾は顔を真っ青にした。
「どうかした?」
「……いえ」
「入るけどお前大丈夫? なんか気持ち悪そうだけど……外で待ってる?」
「……あの、今何時ですか」
「え、ちょっと待って。……四時二十五分くらいかな」
時計に表示された文字を読み上げると、翔吾は少し考えるような素振りをした後、蚊の鳴くような声で俺を呼んだ。
「ナツさん、あの、」
「何?」
「……すみません、なんでもないです。早く買って帰りましょう」
「うん……? わかった」
入店音に歓迎されクーラーの効いた店内に入る。夕方だからか客は少なく、自分たちも含めて三人いるかいないか程度だった。自分ら二人と、中学生だろう、制服を着た男の子が一人。レジには店員がおらず、暇すぎて奥に引っ込んでしまったのだろうということがうかがえた。いいのかそれで。
とりあえず翔吾の具合も良くないみたいだし早く会計してしまおう。弁当売り場の隣に配置されているアイス売り場からお目当の物を掴む。そのままレジに向かおうと顔を上げると、先程の少年が弁当売り場にいるのが目に入った。少年は周囲を見渡した後、目の前のおにぎりを手に取りズボンのポケットの中へすべりこませ。
「こら」
「!」
気づけば俺は少年の腕を掴んでいた。
「……なに」
「そういうのはだめ」
「関係ないでしょ」
「関係あるよ、見ちゃったから」
「見て見ぬフリくらいしてよ」
「しない。俺が後で後悔するから。あ、すみません」
レジの奥に控えていた店員を呼びつけレジに二つ分のアイスを置く。それと一緒に、少年の手にあるおにぎりも追加した。
「ちょ……」
「お買い上げ三点で七百円でーす」
「はいはい」
少年が何か言う前に千円札を出し支払いを終える。お釣りを受け取ると少年の腕を引いて店外へ出た。
「はいどーぞ。もうこんなことすんなよ」
先程会計したおにぎりを少年に渡すと、少年は呆れた表情で俺を見上げた。
「なに勘違いしてるの? 別にお腹空いてるわけじゃないし、そんくらい普通に買える」
「じゃあなんであんな事?」
「あんたみたいな偽善者には関係ない。ヒーローみたいな事ができて気分がいい?」
「別に正しい事がしたくて止めたんじゃない。見逃したら俺の目覚めが悪くなるから止めただけ。俺の目の前じゃなきゃご自由に。あ、でも腹減ってなくてもこれは受け取ってくれよ? 梅干し食えないんだ」
「……」
「じゃーね、あんまり悪い事はすんなよ」
梅干しが描かれたおにぎりを無理矢理少年の腕に押し付け、その場を足早に去る。少年がどうこうより俺にとってはアイスが早く溶けるという事の方が大事だった。
「……ありがとうございます」
「何が?」
ずっと黙り込んでいた翔吾が少しだけ嬉しそうに呟いた。
「万引き、止めてくれて。口ではあんな事いってるけど、多分アレも嬉しかったと思います」
「そうかねー。めちゃくちゃ睨まれたけど」
「そうですよ、オレにはわかります。だってあれは昔のオレですから」
「…………マジ?」
「マジです」
あの目つきの悪いガキが今のこの人の良さそうな犬? 十数年で変わりすぎだろう。
「ちなみになんであんな事したか聞いても……?」
「笑わないでくださいよ? オレはあの時、親からも学校の奴らからも無視されてて本当に荒れてたんです。なんだか透明人間になったみたいで不安になって、誰かに見つけて欲しくて。それで何もかもどうでも良くなって万引きでもしたら誰かしら見てくれるかなぁと。……親は来なかったし学校にもバレて状況は悪化しましたけどね」
「悪化って、お前常習犯かよ」
「いえ、今日が初めてです。ただ、俺の時は貴方が来なかった。だから俺は普通に捕まったんですけど、あれは……」
「……俺の行動がお前が知ってるのとは違うって事?」
「そうなりますね。俺が来る時間も店員も同じだったけど、俺の時は店内には俺は一人でした。ナツさんは本来ここには来ないはずだったんですね」
「なんだろ。アレじゃね、これで未来が変わる〜みたいな。バタフライエフェクトつーんだっけ? アレ」
そもそも自称異物である彼と接触している時点で正史もクソもないのだ。何が変わってもおかしくはない。
「……変な事にならないといいですけど」
「大丈夫だって、この調子で俺も生きててお前もハッピーみたいな大団円目指そうぜ〜」
俺が生きれる事は確定しているし、昔の翔吾の万引きは阻止した。きっと正史よりもハッピーな展開になる事は確定しているだろう。そうでないと困る。
自分の手の届く範囲は幸せである事に越した事はないんだから。
「何見てんの?」
「空を見てました」
「空?」
「はい」
ごはんを食べてお風呂に入って。さて夕涼みでもするかとベランダへ向かうとそこにはすでに先客がいた。
「綺麗なものが好きなんです。だから星も好きです」
「あぁ、今日は晴れてたからよく見えるなぁ」
元々田舎で街灯が少ないから、と言う理由もあるが本当に今日は綺麗に見える。
「ナツさんは綺麗なものは好きですか?」
「そりゃ見て悪い気分にはならないだろ」
「じゃあおそろいですね!」
「おそろいだなぁ」
その理論で行くと人類の大体がおそろいだけどな。
「オレ、貴方に会いに行くのもそうですけど、明日起こる綺麗なものを見に来たんですよ。最後にどうしてもみたくって。……今は見に行くか迷ってますけど」
「なんで? どっか行くなら連れてってやるのに」
「………とても遠いですから。お気持ちだけ頂きます」
翔吾はそう言うとベランダの柵から手を離し、窓の方へ踵を返した。
「ナツさん」
「何?」
「……ありがとうございます。それだけ言いたくて」
つっかけをベランダへ残すとこれから風呂に入りに行くのだろう、彼が部屋の奥の方へ消えていくのが見えた。
七月三十一日火曜日
【当日】
空は快晴、気温は暑くも寒くもない適温。ついでに今日の運勢は一位。本当は今日死ぬだなんて思えない。この後に及んで何を、と言う話だが全部嘘なんじゃないかとまで思う。未来は変わり俺は生き残るのだから嘘か本当かなんて確かめる術は無いのだけど。
「今日は昼まで大人しくしてればいいんだよな?」
「そうですね。今日は学校は無いんですか?」
「本当はあるんだけど……、今日の授業だったら一回くらいサボっても問題無いし大事をとって休むことにするよ。出席は足りてるし」
「その方がいいですね。こんな天気に外出れないのはなんだかもったいない気がしますけど……」
「そうだなぁ、じゃあ夜は外出ようか。花火の前に屋台飯買ってこよう。多分夜も過ごしやすいだろうから」
「…………」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
「…………」
ずっと気になっていたが、こいつは今日の話になるとよく何かを考え込む。こういうのは個人の問題だから俺に口を出す権利は無いし興味もないが、自分の命に関わる可能性があると考えるとあまりいい気分はしない。何かあるなら言ってくれればいいのにとも思う。
(でもまぁ、話さないってことは違うんだろうな)
明日が過ぎればこいつは居なくなるんだから、今から首をつっこんでも仕方ないだろう。短期間じゃどうせ何も解決できない。それに自分のこと以外の厄介ごとに巻き込まれたらたまったもんじゃないし。
「……洗濯でもするか」
「あ、お手伝いします」
「おう」
悩むほどのことでもない。そう結論づけて俺は立ち上がった。気にしても仕方がない事より家事の方が大事だ。
「ところでさ、俺死ぬのって何時ぐらいなの?」
「え、なんでですか?」
「ただの世間話だよ。アレだったら答えなくてもいい」
「……そうですね、確か十一時とか十二時台だったと思いますよ。学校終わりでしたから」
「最近の中学校は早く終わるんだな〜〜。お前どこ校? あそこのコンビニにいたってことは地元だよな?」
「いえ、住まいはこっちですが、東京の方の学校です」
「じゃあ私立か。名前は?」
「あんまり自慢できるとこじゃないんですが……、A大学附属中学校っていうとこです」
「友達の妹もそこだけど……、A大附属ってかなりいいとこじゃなかったか?お前エリートだったんだ」
確かA大は関東内でも頭のいい方だった気がする。俺が小学校の時にも学年で一番頭の良かったやつがそこに進学していたはずだ。
「うーん、どうでしょう? 確かに偏差値は高いですけど高校やめちゃったのでエリートだとはあまり……」
「あぁそっか。でも地頭はいいって事だろ? それだけでも羨ましいけどなぁ」
「そうですかね……。あ、洗剤入れるとこってここであってます?」
「あってるあってる。洗濯終わるまで昼飯でも作るかー」
「手伝います!」
「お前料理できんの?」
「やってみたいです!」
「わかったわかった。じゃあ簡単なやつやろうな」
「はい!」
この調子だと多分包丁も持った事がないだろう。あまり危ない事はさせたくないし、包丁を使わないで出来るものなら何がいいだろうか。俺は冷蔵庫の中身を思い出しながら脱衣所を出た。
紆余曲折あり完成した昼飯は食えない事はないが別に美味しいわけでもないまあまあの味だった。薬味も何もないのだからそりゃ当たり前なのだが。でも初めて作ったにしては上手なのではないかなと思う。調理中は隣でハラハラしながら見ていたが、やっぱり地頭が良いというか要領が良さそうなやつは違う。
「洗濯物も干したしそろそろ外出るか」
「え、今って何時ですか?」
「三時半。祭り会場あそこの道使わないといけないから坂通るけど……、少なくとも三時間は過ぎてるしもう大丈夫だろ」
「……そうですね」
「どうかした? やっぱりまだダメだった?」
「いえ! ……大丈夫です」
「…………ならいいけど」
こういう時のこいつは思いつめたような表情をする。……正直、不快だ。
結果としてはほんっとー、に何もなかった。例の交差点では思わず身構えてしまったが特に何も起こらず普通に渡ってしまったし、この祭り会場への道中は車一つ通らなかった。この三日間、大丈夫だとわかっていても多少不安は残っていたのだが本当にただの杞憂に終わった。
「当たり前だけどさ、これで未来も変わるんだな」
「えぇ」
「……なんだよ、そんなに嬉しくない?」
「何言ってるんですか! 嬉しいですよ、これで俺は普通の生活送れるし、周りの人も幸せになります」
「だったらもうちょっと嬉しそうにしろよー。目的は達成したんだろ?」
「…………はい」
「達成感ないなーって、うわっ!?」
前を向いて歩いていなかったせいもあるだろう、足元のパイプに躓き足元から倒れこんだ。まだ明るい時間だという事もあり、人も少なかったことから幸い他人を巻き込んだりはしなかったが、もしこれがピーク時だったらと考えるとゾッとした。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あー……膝すりむいたくらいだから大丈夫……。めちゃくちゃダサいな」
酷い怪我ではないが、膝小僧に着いた擦り傷には血が滲んでいる。砂も付いていて見ていて気持ちのいいものではない、まるで子供の怪我みたいだ。カッコ悪いところ見せたなぁ、起き上がって翔吾の方を見ると、彼の瞳からはボロボロと涙が溢れていた。
「は!? え、なんでお前が泣いてんの!?」
「……ごめんなさい」
「は?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
「え、待って、えっと、とりあえずお前こっち来い!」
翔吾の腕を引き、少し歩いた所のベンチに座らせる。えづいたままの彼が早く落ち着くようにと、近くの自販機から水を買って渡した。
「大丈夫か? どうした、どっか痛い?」
まさか転んだ拍子に目に砂が入ったとか? いやどんだけ砂飛ぶんだよ。それとも血が極端に苦手とか? ……そっちはありえそうだ。確か事故の現場を見た、と最初に言っていた。事故現場、しかも交通事故なんてグロ中のグロ。トラウマになっていてもおかしくない。
「ごめん、怖かったよな。もう血とか出てないから、大丈夫だよ。怖がらせてゴメンな」
「ごめんなさい……」
「いいよ、こっちも配慮とかなかった。……今日はもう帰ろうか、お前もちょっと辛いだろ?」
「……、っ、今って、何時ですか……」
「今?えっと、四時十五分くらいかな。花火までもうちょっと時間あるけど買うもんは買ったし家で見るなら問題ないよ」
「…………そう、ですか。わかりました」
憔悴しきった今の顔では自分で立てるだけの気力はないだろう。そう思い手を差し出すと、翔吾は素直に手を取った。彼の手は冷たかった。
「大丈夫か?」
「……はい」
覚束ない足取りで歩く翔吾の手を引きながら坂を下る。男同士で手をつないで歩くなんてどうなんだとは思うが、彼の顔は真っ青で手を取っていないと今にも座り込んでしまいそうだった。
「ナツさん」
「どうした? ちょっと休むか?」
「いえ、大丈夫です。……ご迷惑をおかけしてしまってすみません」
謝ってばかりの彼を安心させるように頭を撫でる。するとまだ翔吾は泣きそうな顔をするものだから、もうどうすればいいかわからなくなる。
「……あれ、ちょっとアイツってお前?」
自分たちの目前、横断歩道の所に昨日会った目つきの悪い少年が立っていた。本でも読んでいるのだろうか、青信号だと言うのに渡らず立ち止まっている。
「ナツさん、ほっときましょう」
「そうだなぁ。知り合いってだけだし」
そうこう言っているうちに青信号が赤信号に切り替わった。ここの交差点は交通量が多い上に信号が変わるのが長い。これは下り切って丁度良くって訳にはいかないだろうなぁとうんざりしていると、数メートル先で止まっていた少年が前に一歩踏み出したのが見えた。
「……は?」
『透明人間みたいに思えて』
『見つけて欲しくて』
『全部どうでも良くなって』
まさかそんな理由で飛び出して自殺? ちょっと待てよ、そんなの。
「普通にほっとけないだろ!」
「ナツさん!?」
途切れず行き交う車に躊躇しているのか、車道ギリギリにはいるがまだ間に合う。俺が坂を下りきるのと少年が車に向かって足を踏み出したのはほぼ同時だった。
「間に合え……!」
「……なっ!」
ワイシャツを掴み一気に車道側へ引き寄せる。勢いがつき過ぎたのか少年は歩道側に尻もちを着いた。
「……いっった、邪魔すんなよ!」
なんだかんだで怖かったのだろう、震えながら少年は涙目で俺を睨む。
「はあ~、間に合った。言っただろ? 俺の目覚めが悪くなるって。あ、どっか擦りむいたりしてないか?」
「してない! おじさん何なの!? 凄い迷惑!」
「迷惑なのはお前だよ。こんなところに飛び出したら血とかドバドバ出るだろーが。そしたら見た人がトラウマになったり掃除する人とか死んだ人を片付ける人が大変なんだぞ」
「何で俺の心配してくれないの!?」
「心配して欲しいのか」
「…………ッ!」
図星。やっぱり飛び出そうとした理由はそういう事で間違いないらしい。殺されたり自殺未遂起こしたりコイツも苦労してるよな。
「だったらいくらでも構ってやるし心配してやるよ。だからこういう事はやめろ。少なくとも俺の前では」
「…………わかった」
少年は少しだけ満足そうに口角を上げた後、「ん、」と言って腕を俺に向けて上げる。立たせろということなんだろうか。
「何?」
「……腰抜けて立てない。立たせて」
「お前それ絶対嘘だろ」
「立たせて」
俺と一緒に過ごした三日間では気づかなかったけれど、本当は結構構われたがりなのかもしれない。それは昔の翔吾の話で、今の彼はどうかわからないが。そういえば三日も一緒に過ごしていたのに俺は今の翔吾のことを何も知らないことに気がついた。もう明日には分かれるのだから知る必要は無いけれど。
「はいはい」
「ナツさん」
少年へ手を伸ばしかけたところで翔吾に呼び止められた。下を向いているがまだ気分が優れないのだろうか。
「あ、ゴメンな。先突っ走って——……」
一瞬、何をされたのか理解できなかった。
少しだけ宙に浮く身体、目を見開く少年、翔吾の突き出された腕から自分が突き飛ばされた事に気付いた。ゆっくり、ゆっくり。クラクションの音さえもゆっくりと。全てがスローモーションのように見えて、聴こえて。それを覚ますように身体に衝撃が走った。
——……白いワンボックスカー。
どうして。最初に頭に浮かんだのはそれだった。この時間なら死なないんじゃなんてそんなどうでもいいことじゃない。
——……自分から突き飛ばしておいて、どうしてそんな辛そうな顔をするんだよ。
どうして、なんてわかるはずがない。だって俺は彼の事を何も知らない。いや、自分には関係ないと思って知ろうともしなかった。きっと助けてってヒントならたくさんあったのに。辛そうな顔? 何か話してくれればいいのに? 馬鹿か。自分に興味をもたない人間に話すわけない。
本当に、何やってんだ。
——……こんなんで終われるわけないだろ。
ピピ、ピピッ。なんの面白みもない音が学生向けのアパートの中に響いた。規則的な電子音、正常に動いていれば今は午前九時。ベッドから起き上がりベランダのカーテンを引く。今日は雨だった。なんだか変な夢を見た気がする。顔を洗いに行こう。
バシャバシャと顔を洗いすっきりしたところでテレビを付けた。密かに推している女性アナウンサーが今日の天気を視聴者に伝える。
『……曜日! おはようございます! 時刻は丁度九時です! 今日は夜まで雨が続きますが、今日も一日頑張りましょう!』
「うわ、やっぱり今日一日中雨か」
夏は普通に暑いからというのもあるが天気が安定しないから嫌いだ。早く終わればいいのにとも思う。
「帰りまでに止めばいいんだけどなぁ」
そろそろ冷蔵庫の中身が寂しくなっていたから今日の帰りに買いに行こうと予定を立てていたのだ。だけど帰りも雨なら他の日に振り替えなければいけない。雨の日に大荷物なんて持ちたくない。
トーストにジャムをのせて適当に食べたあと歯を磨いて適当に着替える。今日の授業は行くのが遅い分、最後までみっちり詰まっていて既にやる気が失せていた。
筆記用具の入った鞄を引っさげ、玄関を出ると柵の外から見えたのは朝見た時よりひどい大雨だった。
「さっきまでは普通だったのに……」
こんな大雨の中歩きたくない。もう今日はサボってしまおうかと考えながら階段を下る。今日は授業は詰まってはいるものの、必修は特になかったはずだ。
テスト範囲ならテストの前週の明日に発表されるし、提出物だって——、本当になかったか?
「あ、忘れてた」
レポート提出があった。一応期限は明日までだが、明日は日曜日。休日まで学校に行くなんて絶対ごめんだ。急いで部屋に戻りあらかじめ用意しておいたレポートをひっつかみ鞄にしまう。そろそろ家を出ないと本当に電車に間に合わない。俺は玄関の鍵を閉めると急ぎ足で駅への道を進んだ。
今日の講義も最後までつつがなく終わり、学校からの最寄り駅で友人と別れた。相変わらず雨はスコールみたいで、履いているスニーカーには水が入り始めていた。最悪だ。
「一瞬やんだんだけどなぁ……」
一時間前、教室の外から見えた空からは何も落ちてきていなかった。これは帰りは傘をささなくて済むんじゃないかと考えていたのだが、どうやら甘かったらしい。電車に乗っている間にすぐにこれだ。ちょっとは我慢していてくれ、なんて空に言っても仕方がないが。
それから地元の駅についてもそのまま。
止む気配なんてものは少しもなかった。
「今日の買い物は明日に後回しだな……」
今日は卵とか肉が安いって聞いてたから行きたかったんだけど。ああ、でも卵は使い切ってなかったな。ため息を吐きながら傘を開くと、同じように隣から誰かがため息をついた音が聞こえた。
「……はぁ」
声の主は制服を着た中学生くらいの少年だった。ツヤのある黒髪、ぱっちりとしたつり目、まだ幼さが抜けきっていない顔立ちは一般的には所謂美形の括りに入るだろう。その少年がその勝ち組一直線の顔面に似合わない暗い表情で下を向いていた。鞄以外は手ぶら。朝から雨が降っているから傘を忘れたなんて事はないだろうが、壊れでもしたんだろうか。
「傘、無いの?」
気づけば俺は少年に声をかけていた。まるでそうするのが当たり前のことみたいに。頭ではなく身体の方が自然と動いていたのだ。
「…………」
少年は俺を一瞥して眉を寄せた後、何事も無かったかのように空へ目線を戻した。そりゃそうだ、知らない人から声をかけられれば誰だって無視する。完璧に今の俺って不審者だよなあ、と一人で苦笑いする。さっさと帰ろう、そう思って傘を開こうとしても身体は動こうとはしなかった。
「……おじさん、児童に欲情するとかそういう性癖かなんか?」
「は?」
「見ず知らずの子供にいきなり声かけるのよくないよ。俺じゃなかったら通報されてるよ」
「いやそんな変態じゃないし。ずっとここにいるから傘無いのかって心配しただけ」
「それで声かけ? 犯罪者みたいな手口」
「クソガキが過ぎるぞ。……天気予報では一日雨らしいから、アレだったら親御さんに迎えに来てもらったりしろよ」
「無理だよ。俺、透明人間だから」
「透明人間?」
「誰にも見えないし、誰にも声が聞こえない。親でもね。だから無理、呼んだって来てくれるわけないよ」
複雑な家庭なのだろうか、少年は答えながら諦めたように眉を下げた。いつもならそんなものを見ても他人事だと、絶対に流してしまうのに、その表情を見たらどうしても放っておけなかった。
「じゃあ、はい」
「……何?」
「傘、あれば帰れるだろ? あげる」
「……バカじゃないの、おじさん濡れるじゃん。ほっといてよ」
「見ちゃったからほっとけない。それに傘ならコンビニで買ってくるからいいよ」
少年は差し出された傘におずおずと手を伸ばす。それでもどこかまだ迷っているらしい少年に俺は傘を押し付けた。
「……ほんとうにいいの?」
「良いってば」
「……ありがとう」
『ありがとうございます』
はにかんだ笑顔が誰かと重なったような気がした。つい最近まで一緒にいた気がした。なんか忘れてないか? すごく大事なことだった気がするんだ。
朝は一人じゃなくって横に客用布団が敷いてあった、朝ご飯を作った。オムレツだった、誰のために? 一緒に学校に行った、約束をした。何の? 綺麗なものが好きだと言った。だから? 花火を見ようと、俺は。
『ナツさん!』
「——………あ、」
男の声が聞こえた気がした。昨日聴いたような、ずっと昔に聴いたようななんだか不思議な気分にさせられる声だった。持ち主の名は——……佐倉翔吾。
「——、待ってっ!」
少年、いや翔吾は既に遠くの方に行ってしまっていて声は届いていないようだった。それでなくてもこの雨だったら簡単には聞こえないだろう。
「…………」
俺は死んだはずだ。彼に突き飛ばされて、あの子供の前で車に轢かれて死んだ。
なのになんで五体満足の身体でここにいる? 入院した記憶もない。そもそも今日は俺の記憶では
「三十一日じゃない……」
朝のテレビの記憶が、俺が痴呆や基地外の類ではないことを教えてくれている。七月二十八日。今日は翔吾を拾った日の——……一日前だ。
一九九九年七月二十八日
【0日目】
部屋に帰ってから新聞やテレビを確認しても変わらなかった。二十八日、どうやら俺が壊れているようではないらしい。
「どういうことだ……?」
まさか、と一つの仮説が頭に浮かぶ。アホらしいと普段の俺なら一蹴するだろうが、俺はそれを実際にしてきた人間に一度会っている。
タイムスリップ。
翔吾は彼にとっての「現在」で一度死んだと言っていた。殺されて、よくわからないけど気がついたら過去にいたと。
俺もそのパターンだとしたら?
……いやそれも辻褄が合わない。翔吾は俺以外の他人には姿が見えなかったが俺は普通に他人に認識される。今日普通に大学生活を送れていたのがその証拠だ。
それにこの二十八日は俺の知ってる二十八日じゃない。
俺は四日前、……死ぬ前の二十八日に中学生のアイツには会っていない。認識しなかっただけなどではない。あの日はそもそも晴れていて、傘を持つ必要がなかったからだ。
何かがおかしい。タイムスリップだと言うのなら、俺が白いワンボックスカーに轢かれたり、過去の翔吾があのコンビニで万引きをしようとしたように、少なくとも俺以外の人間のすることや世界の回り方は同じなはずじゃないのか?
それなのに今回は天気も、他人の動きも違う。
「まさか現実に似せた死後の世界とか」
そういう設定の創作物なら腐るほどあるだろうが、頬を摘めば痛いし足も浮かない。いや一回既に死んでるからそういう意味では死後の世界と言っても差し支えはないのかもしれないが、周囲の反応から身体はまだ生きているのと同義だ。
身体といえばそうだ。翔吾は身体が他人に認識されなかった。本人曰く、本来ならこの時代にいない異物だからだそうだが、その理論なら俺も異物なんじゃないだろうか?
だが、今日俺はこの部屋で朝を迎えたし、他人にも認識されている。この日にいるはずの俺はどこに行った?
「そもそもアイツのタイムスリップと俺のタイムスリップは違うのか……?」
そこまで考えて無意識に貯めていた息を吐いた。人知の及ばない現象を一生懸命考えても仕方がない。とりあえず明日にならないと何も始まらないのだ。
「明日……」
明日、本来の俺はレポートを出しに行くついでにあの公園に行く。その必要がなくなった今の俺はアイツに会うこともないのだろう。アイツに出会わなければ死なずに済む。二十八日に来てしまったのはもしかしたら神様か何かが死なないチャンスを与えてくれたのかもしれない。だけど、行かないなんて選択肢はハナから考えていない。だって俺はまだアイツのことを何も知らないんだから。
……今回は絶対間違えない。
七月二十九日
【一日目】
天気は晴れ。ついでに今日の気温は三十度を越えるそうで、熱中症になる可能性が高いらしい。既に一度なりかけてるんだけど。
水分、塩分補給を忘れずに! と呼びかけるアナウンサーが捌けたと同時に俺はテレビを消した。
予定では今日の二時頃、公園で翔吾と出会うことになっている。倒れていたアイツを俺が助けて、夜に回収。これが今日に起こるはずのイベントだ。
「……そういえばアイツ、なんであんなところに倒れてたんだろう?」
俺の時みたく自宅からスタート……は、あの言いようと、既に少年がいる事から考えられない。アイツのタイムスリップはどこからはじまったんだ?
「まさかあの泥だらけからスタートとかはないよなぁ」
いきなり泥の中に落とされるのは割と悲惨だ。念のため迎えに行く時に持っていた鞄の中にタオルも入れてやることにした。
「……もういるのかな?」
熱中症でぶっ倒れていたのなら、数時間はこの日差しの中に居たはずだ。時刻は十一時。そろそろどこかにいてもおかしくはない。最悪回収は二時に間に合えばいい。夜は確かあいつのことが気になってそんなことする時間はなかったから、先に買い物に行ってそのついでにあの辺りを覗いてこよう。俺は鞄を引っ掴み炎天下の中へ出た。
結論から言えば、翔吾はまだあの場所には居なかった。
念のためと公園を一周してもみたが、どうやら初めは別の場所にいたようだ。アテはないから今いる場所は探しようはないが、最初にあの公園に居なかったのなら何故あんな何もない公園にわざわざ来たのだろう?
(俺みたいに喉が乾きすぎて……とか?)
いやそれでもなんであんな交通が悪いとこなんだよ。あの公園は大通りから外れている住宅街の中にあり、普通の道を歩いてればたどり着くことはない。その上、夜は若い子の溜まり場になったりする為治安も悪く、ゴミが散乱していることもある為、住宅街に住む親子は近隣住民は利用する事もあるようだが、それ以外からはあまり利用されないのだ。それに少し歩けば大通りに面した大きな公園がある。
「わかんないなー……。そもそも俺ってあいつの目的すら知らないんだよな」
殺されるまでは自分の事を助けに来たのだと思っていた。俺が死なないように過去を変えに来たのだと。でも実際は俺はアイツに殺されたのだ。今思い出すとあの日はしきりに時間を気にしていた。白のワンボックスカー、時間から言って最初に教えられた時間は嘘だろう。
気になるのはどうして俺に接触する必要があったか、何故殺す必要があったのかだ。
仮に何か理由があって俺を殺さなければいけなかったとする。それなら三日目のあの時間に交差点で待ち伏せしていれば良かったのではないか? あそこにわざわざ自分から連れてくる必要は無いはずだ。あの時間は大学から家に帰ってくる時間で、きっとアイツが何もしなくてもあの場所にいただろう。
(俺に会わなきゃいけない理由でもあったのか?)
でも一体何のために? これは考察でどうにかなる問題じゃない。最初会った時に疑うふりをして、それとなく聞き出すしかない。
「……ん?」
駅のロータリーへ向かう道、その階段の影の下に二つの人影が見えた。一つは大人の男。もう一人は制服を着ていることから……学生?
(ってか、あの制服、小さい方のアイツじゃないのか?)
まさかカツアゲとか? 確かに華奢だし私立学校の制服だから金持ちなイメージはあるけどまだ子供だぞ!?
まだ確定したわけではないが、もしそうなら止めなければ。音を立てないように階段を降り、降りきる数段前に腰を下ろす。すると近づいたことで二人の声が鮮明に聞こえてきた。盗み聴きは本意ではないが内容も耳に入ってくる。
「どうだァ?久しぶりの外は。懐かしいとは思わないのか? もっと感動とかはないのか? リアクションが薄いとつまらないぞ」
「お前を楽しませるつもりはない」
「……そうだなぁ、生前は中々いい感じにおかしくて面白かったのに死んでからときたら何回やってもお前は同じことばかりで本当に飽きてしまうよ。と言うか飽きてしまった。だから寂しいがこれが最後だなぁ」
「そうか、次の僕は幸せだろう。こんなキチガイの代表みたいな奴に絡まれないんなら」
「おいおいヒドイんじゃねぇのォ? 俺は長い間遊んでくれたおもちゃのお前……お前たち? の為に今回かなり大出血サァビスしてやったワケ。感謝こそされても貶される覚えはネェんだよなぁ」
「……感謝?」
「お前の為にお前のダァイスキな奴を連れてきてやったんだよォ。今回は本物が見れるぜ? 良かったなぁ、これで未練もネェなぁ」
「僕は前までの奴らみたいにはいかない」
「どうだろうなぁ、お前は自分の欲に正直だし我慢がきかないから。オラ、これが睡眠薬だ、さっき説明したようにお前ン家の近くにある公園で飲めばいい。……ま、今回はいらないかもしれないけどな」
「わかった」
重量の重い足跡はそのまま俺とは違う方向に去っていったようだ。軽い足音は歩き出す気配はしない。様子を見るべきだろう、だが俺は顔を出す気にはなれなかった。
確かに少年だった。まずあの制服からこの地域では見ることは少ないし声も同じだった。だが、
——人間の声は二重には聞こえないはずだ。
昨日も聞いた幼い声の上に、常にそれとは真逆の気持ちの悪い声が同じタイミングで重なる。まるで口が二個あるような? または声帯だけが二つあるみたいな?
どちらにしろその声は人間に出せる声ではないことは確かだ。
(ここ数日でミラクルに出会いすぎだろ!?)
タイムスリップに未来人に人外? 俺はいつからSF小説の主人公になったんだ。いやそんなことよりこの音、こっちに近づいて、
逃げなきゃいけないと本能がアラートを鳴らす。だと言うのに俺の身体はどこも動いてはくれなかった。恐怖? たかが声を聞いただけだと言うのに?
そして足音は俺の真後ろで止まった。
「ヤッホォ、お前と会うのは初めてだなァ。盗み聴きなんて悪趣味な真似はやめたほうがいいぜェ」
気づかれていた。心臓がどくどくとうるさく音を立てる。
「そんなに怖がるなよォ、別に取って食おうなんて話じゃないんだ。まぁ出てこいよ。あ、もしかして声の方か? ガキにも最初は驚かれたしなァ。あー、あー、ほらこれでいいか?」
気味の悪い声から少し歪だが人間の声へ。姿に似合わず成人男性の低い声に近かったが、ほんの少しだけさっきよりも安心できた。恐る恐る階段から顔を覗かせるとそこには纏う雰囲気は違うものの少年が立っていた。最も、コレを少年と言っていいのかはわからないが。
「……誰?」
「…………あ? あ〜〜そっか! お前、俺の事知らないのか! 俺が一方的に知ってるだけだから、初めましてか! オーケーオーケー、自己紹介から始めよう」
そう言うとソレは芝居掛かった礼をした。
「初めまして、藤島夏希クン。俺の名前は——って言っても名前とか無いんだ。ただ、人間はオレの事を都合のいい時は神、都合の悪い時は悪魔とか呼ぶ。日本に来てからは悪霊とかも増えたな。まぁ便宜上俺の事は……ロムとでも呼ぶといい。今回は例外だが、俺は人間の監視もCちゃんも基本ROM専だからな」
「人外でもCちゃんとかやるんだ……」
「たまに知り合いのヤツの話が出るからオカルト系とかは毎日見てるなぁ。あと人間の欲に勝てないエピソードとかも好きだから修羅場系とかもよく見る」
趣味は悪いと思うが、少しだけ人間みを感じて親近感を持つ。
「人間は道徳心を重視する生き物だから理解できないらしいけどな。翔吾にも人の不幸を見て何が楽しいんだと言われた事がある。あいつには言われたく無いがなぁ」
「やっぱりさっき一緒にいたのはアイツか」
声でわかった。このロムという男と一緒に話していた人間は間違いなく翔吾だと。
「そりゃ翔吾以外にはいないだろぉ。アイツ……とお前もだな、こっちに連れてきたの俺だぜ?」
「何回もやってるらしいアイツはわかる。だけどなんで俺もなんだよ。アンタの話を聞くと今回は例外らしいけど目的は何?」
「そりゃ長い間遊んでくれたおもちゃへのご褒美に決まってんだろ? お前を連れてきた理由なんてそれくらいしかねぇよ。でもそうだなぁ、お前が面白いもん見せてくれるつぅならオレは大歓迎♪ 例えば、殺される前に翔吾を殺すとか?」
「そんなことをしに生き返ったわけじゃない」
「どうだろうなぁ、人間は生き汚いし自分の欲に抗えない。だって死ぬのは怖いだろ? 死にたくないだろ?」
「そりゃ勿論二回も死ぬのはゴメンだよ。だけど何もわからないままアイツを見送るのももっとゴメンだ。俺はアイツを殺さないし殺されるつもりもない」
「って言って失敗したやつをめちゃくちゃ見てきたけどなぁ。ま、ちょぉっとだけ期待はしてるぜぃ?」
ロムはそう言うと俺の前から消えた。最初からそこにいなかったみたいに、チリ一つ残さず。
わかってはいたが本当に規格外のものに関わってしまったらしい。いや、最初からか。俺と翔吾、二人のタイムスリップの原因はどうやらロムらしかった。どうしてそんなことをなんて詳しい理由まではわからない。ただ俺は本気で巻き込まれただけに近いらしい。
一つだけ幸いだとするならば殺された数ある俺の中で「俺」を選んでくれたことだろう。きっとあのまま死んでいたら未練タラタラで絶対成仏できなかった。
「……そろそろ迎えに行くか」
腕時計を確認するともうすぐ十二時。随分長居してしまった。……きっと、アイツが俺を待っているはずだ。
「……アイツどこ寄り道してんだ?」
まだアイツの姿は例の公園では見当たらず、どこかで見た子供達だけが元気よく走り回っている。他の人間で確認できるのは俺と子供達の親だけだ。
「まだ早いってことはないだろうけど……」
日陰で数時間待って、二時まであと十分。もし前回と同じ行動パターンならそろそろ来てもおかしくはないはずだ。ただ今回は天気の事といい、俺の存在以外にも違うイベントが起きているから一概には言えないが、それでもロムとの会話からここを目指していることは確かだ。
「ちょっと探してみるか……」
ないだろうが何かに巻き込まれたり、違うところでぶっ倒れてたりしたら?
寒気がする。他人に見えないからどっかで踏まれてたりするんじゃないか?
見わたす限りは公園にはどうやらいない。だったらその近くは?公園ではなくその周りを探してみると、案外早く見つかった。道路にしゃがんでいる人影は服装や髪から見ておそらく先程ロムと一緒にいた男と同じだろう。さて、見つかったは良いがどう話しかけよう、そう考えていると少し先から配送トラックがこちらに向かってくるのが見えた。普段あまり車が通らないから失念していたがこの道は一応車道だ。あんな道の真ん中にいるのはあぶないし迷惑だとか考えないんだろうか。
そんなことを考えてる間にもトラックはこちらに向かって進む。進行方向、何メートルか先にはしゃがんだ人間がいると言うのにトラックはスピードを緩めることもクラクションを鳴らすこともしなかった。
「……あ、」
当たり前だ。あいつの姿は他人には見えないんだから。
「翔吾ッ!」
気づいた時には走り出していた。俺も危ないだとか、間に合わなかったらとかは考えなかった。ただなんとかしなければと、それしか考えられなかった。
名前を呼ばれた彼が地面からこちらへ目線を移す。俺は彼の腕を掴み、一気に歩道側へ引き寄せた。
それと同時にトラックが自分たちの目の前を通り過ぎる。他の車も人間もいなかったからかトラックは普段より早いスピードで俺達の視界から消えた。
「ほんとここ数日運悪いな……」
いくらなんでも車関係で死にかけすぎじゃないだろうか。俺に至っては一回死んでるし。
「大丈夫か?」
勢いをつけ過ぎて胸の中へ収まった翔吾に声をかけると、彼は何も答えなかった。どこか惚けている表情から見るにまだ頭の中が整理できていないのかもしれない。
「……なつき、さん?」
「ん?」
「夏希さん、ですよね?」
「……ああ、藤島夏希で合ってる」
「良かったあ、僕の名前は佐倉翔吾です。貴方のせいで人生めちゃくちゃになったので、未来から」
俺は翔吾の言葉を遮って答えた。
「過去を変えにきたんだろ?」
「えっ……」
一瞬、その場が固まった。
「どうしてそれを……」
「ロム……、お前とさっきいた奴に聞いて確信した。お前、本当は俺を殺す為に未来から来たんだろ」
「そんなつもりは」
「俺は前回お前に殺された『藤島夏希』だ。今までのやり方が通用すると思うな」
「……っ、……怒って、ますよね。殺されて、痛かっただろうし、苦しかったでしょうし、僕の事を憎んでますよね……」
辛いのは殺されたこっちだと言うのに翔吾は辛そうな声で言う。ばっと俺を見上げると「でも!」と声を上げた。
「……でも、僕は佐倉翔吾であって佐倉翔吾じゃないんです! 信じてください!」
「……どういうことだ?」
「僕は貴方に『おにぎりを貰った』佐倉翔吾です。貴方を殺した佐倉翔吾ではありません」
「……あの時の」
コンビニで万引きをしようとした子供の姿が脳裏に浮かぶ。そう言われれば「この佐倉翔吾」は俺の知ってる男よりもどこかおっとりしている感じがする。あれから本来辿るべき未来が変わったんだろうか?
「はい、貴方の佐倉翔吾です。万引きを止めてくれて、命まで救っていただいてありがとうございます」
「恩を感じてるんなら質問に答えてくれ。お前は何をしに来た?」
そう低い声で言うと、言いにくそうに翔吾は答えた。
「——……僕は貴方を殺しに、来ました」
「……やっぱりか」
「でもでも! 殺したくて殺すんじゃないんです。仕方がなく殺したんです。目的と手段が入れ違ってしまったんです。僕は本当は貴方を殺したくない。でも殺さなきゃいけないんです」
「何のために?」
「綺麗な……景色を見るために」
「景色?」
疑問符を浮かべると翔吾はうっとりとした顔で語り始めた。
「それは綺麗な赤でした。どうしようもなく綺麗な赤でした。貴方の隠された一部が露出されているのにドキドキして、胸がぎゅう、となって、僕は初めて、多分、恋したんだと思います。貴方の死体に」
「……」
あまりのことに言葉を失う。同性間の恋愛に嫌悪はない方だがネクロフィリアは専門外だ。
「……つまり、俺が殺されたのはお前の性癖に付き合わされてたからってこと?」
「まあ、今までのパターンならそうですね」
幽霊的な存在であるコイツが俺を殺して、その現場を見た子供が、もう一度その景色を見る為にタイムスリップする。その悪趣味に俺は何回付き合わされたんだ。
「僕は貴方の死に様を見て、その後同じ景色を見るために連続殺人犯になって死刑になります。僕の死刑は執行されて、死際に出会ったのがあの悪魔です。曰く、もう一度貴方に会わせてやると」
「じゃあまた俺はお前に殺されるのか」
「それはありません。むしろ僕は、それを止めるために来ました。アイツとの契約で僕はあの場所に行かなければいけません。あの日、小さい俺も確実に会の時間帯に存在するので、条件が揃えば、僕は貴方を殺すでしょう。でもようは、あの時間帯に貴方が行かなければいいんです」
それは俺が出会った最初の翔吾も言っていた。だが、あの時間帯、あの場所に行かなければ死ぬのは幼少期のコイツだ。俺は医学専攻者としてそれを放っておけない。
「回避方法はひとつ、あのクソガキを更生させてください。アイツのかまってちゃんさえ治れば事故は防げて、あの場所に貴方が必要もなくなります」
「でも、どうすれば? 俺はあの子と何の接点もない」
「作ればいいんですよ。今のアイツなら話しかけただけでついていきます」
【二日目】
「……本当にこれでいいのか?」
「大丈夫です。なんてったって僕はこの時拗らせ過ぎて頭の中にしか友達がいなかったレベルなので。確実に惚れます」
前回通り講義を終わらせ、件のコンビニに向かう。既にタイムスリップ初日に佐倉翔吾には出会ってしまっているので、バタフライエフェクトの効果で確実に出会えるとは限らない。それでも大きい方の佐倉翔吾——、コイツのことは紛らわしいので、仮に佐倉としよう。小さい方の翔吾には出会えないかもしれないと話すと、佐倉は大丈夫だと太鼓判を押した。
「この日は両親が仕事につきっきりでご飯がなかったんです。いつもはお金だけ置いてあるんだけど、この日はそれすらなくって……、ああだから万引きしたんじゃなくて理由は親に呼び出し食らわせてやろうと思ってたからですよ? とにかく絶対来ます」
「ほーん、ならいいけど」
佐倉の言う通り、翔吾は暗い顔をしてコンビニに訪れた。
「よう、少年」
そう声をかけると翔吾の肩が跳ねた。反射的に俺の方を見上げる。そこにいたのが知っている人間だったからか、彼はホッとした顔をした。よくあの一瞬で顔を覚えたなと思ったが、制服を見て理解した。コイツ頭が良かったんだった。
「傘のおじさん」
「お兄さんだ」
「すみません……クソガキで……」
申し訳なさそうに佐倉は言う。まあ許そう。問題はコイツをどうやって懐かせるかだ。
「……なんか用? 傘返せとか?」
「いいや、お兄さんは未来が見えるからな。忠告をしに来た。これから万引きをしようと思ってるらしいが、それはやめたほうがいい」
「なっ……!」
今からすることを当てられて翔吾は驚いた表情を浮かべる。
「当たったか? 別にお金にも困ってないのに万引きなんてかまってちゃん過ぎて親も呆れるぜ?」
「別におじさんには関係ないでしょ。それに、……どうせバレないよ。俺透明人間だから」
いじけた様に言う翔吾には声すらまだ幼さが抜けていない。こんな子供に自分の事を透明人間なんて呼ばせるなんて、と心理学者見習いの部分が顔を出す。俺は将来学校勤務のカウンセラーになりたいと思っていることもあり、翔吾を無視するなんてことは例え自分に害があろうとも出来なかった。
「腹が減ったならなんでも買ってやる。かまって欲しいなら遊んでやるし、だから非行に走るのはやめろ」
「……じゃあご飯奢って」
「いいよ。何がいい?」
そうして連れてこられたのは、馴染みのファミリーレストランだった。その大手チェーンのファミリーレストランはこの地域に一つしかなく、俺を筆頭とした限界学生の普段の溜まり場になっている。ドリンクバーというものは偉大だ。
「俺はハンバーグランチ。キミは?」
「チョコレートパフェ」
「と、じゃなくて?」
「そんなに食べれない」
自分がこの子くらいの時はどうだっただろうか。確か成長期だったからかわからないけど食べ放題でも足りなかったくらいなのに今の子は省エネだ。
「……なんで僕にかまってくれるの」
従業員さんに注文を頼んで二人、いや、隣の佐倉の三人で向き合う。
「俺、学校勤務のカウンセラー目指してるんだ。だから悩んでる少年少女は放っておけない」
「保健の先生も無視するのに」
「治安悪い学校だな!?」
進学校なんだからもっとちゃんとしてると思っていたのだが、どうやら違うらしい。
「違います。コイツやることがやることなんで先生方も困ってるんです」
佐倉が補足する。
「コイツが透明人間って言われてるのは親から無視されてるのもそうですが、動物虐待してるのが見つかっても平気な顔してたり、途中で授業抜け出したり、やること自体に問題があるからウチの学校では関わっちゃいけない子リスト一位なんですよ」
「かまってちゃんも大概だなあ……」
「かまってちゃんじゃない」
むくれる翔吾に苦笑いしながら俺はリュックからノートを取り出し、自宅の電話番号を書いた部分を破り彼に手渡す。
「……何?」
「困ったことが出来たり、寂しくなったらここに電話しな。夜なら大体家に居るから」
「おじさんは」
「おにいさんな」
俺はまだ二十一だ。おじさんという歳では断じてない。
「こどものこと好きなの? だから俺に優しくしてくれるの?」
「うーん、ちょっと違う。俺は俺の事が好きなの」
「自分の事が好きだと他人に優しくできる?」
「そうだよ」
心理の勉強をしているのも自分の為だ。
昔のいじめられっ子だった自分を救ってやりたかった。あの頃の大人は何の役にも立たなくて、俺はいつでも一人だった。上京して、良い感じに歳を取って、諦め方を覚えてからは上手く社会に溶け込まれているけれど、過去は消えることはない。
だから、同じ年ごろで一人で悩んでいる子を救ってやりたかった。自己満足。手の届く範囲だけを救うなんて偽善者にもほどがある、本当に子供を救ってやりたいならボランティアでもやればいいのに、俺は何もしていない。日々を無駄に消費するだけの偽善者のふりをした人間でしかなかった。だから、翔吾には理由が無かったとしても優しくしてやりたい。目の前に現れた「見本の様な子供」を見てみぬふりするほど、俺は割り切れない。
「自分の周りの子どもが困ってたら助けてやらないと、次の日の夢見が悪いだろ?」
「そうなんだ」
「少なくとも俺はそう」
やがて注文していた料理が運ばれてくる。熱い鉄板から跳ねる油に攻撃されながら俺はハンバーグランチに向き合った。翔吾にはパフェが運ばれてくる。いただきますをしてナイフを入れると肉汁があふれ出てくる。ファミレスの醍醐味は家で作るのが面倒なものが手軽に食べれることだ。翔吾もそうなのだろう、パフェ用の長いスプーンで生クリームを掬って口に入れた。その瞬間、表情がぱあ、と明るくなった。
「おじさん、やっぱ変な人だと思うけど、俺は好きだよ。パフェ食べさせてくれたから」
「お前の好きな人判定浅いな」
それから、翔吾の話を聞いてやって、家まで送ってやった。
「わかったことは、お前んちの家庭環境が最悪なこと、変に頭がいいから問題行動起こしまくってるくせに大きい問題になってない事と、かなりメンタルに問題があることくらいか」
「申し訳ないです……」
「現段階では病名はつけられないけど、結果的にはあれが大量殺人鬼になるんだよな?」
「はい。夏希さんの死体で性癖歪んだので……」
「人の生き死にを性癖の範疇に収めるな」
翔吾を家まで送ったその帰り道。佐倉と今までの事を振り返る。
「というか、当日俺が家から出なければいい話だよな?」
「それができたら貴方は死んでません。僕はあの悪魔から少し話を聞いているのと、『他の』自分とは貴方に構ってもらえた分変わったので少し違うんですけど、基本的に佐倉翔吾は快楽連続殺人鬼です。理性が本能に必ず負けるように出来てます。今までの僕は多分死体が見たいって本能に負けて、貴方を騙したりして殺したんでしょうね」
「なるほど」
という事は、前回の翔吾は俺に本来死ぬのとは違う時間を教えていたのか。確かに彼はかなり悩んでいたようだった。血を見れば青ざめていたのはきっと殺すか殺さないか葛藤していたのか。
「きみはどうなの?」
「できれば殺したくないです。というか、今回で終わらせるためにアイツに啖呵切ってきましたから。でも、僕も他の僕と同じ連続殺人鬼の『佐倉翔吾』なんです。だから正直自信はありません」
「そっか……。でもまあ仕掛けは教えてくれたもんな! これで俺は家で大人しくしてればいいわけだし! 何の心配もいらんだろ!」
「だといいんですけど……」
佐倉は不安そうに眉を下げる。それがまるで子犬の様に見えてきて、俺はわしゃわしゃと彼の頭を撫でまわした。
「わわっ」
「だいじょーぶだよ! きみは俺の佐倉くんなんだろ? 信じてるよ!」
「俺の、佐倉くん……」
「? 最初に言ってただろ?『貴方の佐倉翔吾』って」
「……はい!」
何が嬉しかったのか、表情をぱあっと明るくする佐倉に首を傾げる。そんなに面白いことを言っただろうか?
「絶対、僕は貴方を守りますから!」
両手をグーにして胸の前に握る。これが殺人鬼でなければ可愛いポーズだったのに。
そんな事を想いながら、並んで二人、帰路についた。
【当日】
「今日は家でのんびりしてればいいんだから楽だよな~」
そうめんを茹でながらキッチンでそう言うと佐倉はうーん……と悩むように言った。
「大人しく今日が終わってくれればいいんですけどね……」
「ああ、そういえばお前は今日自殺しようとするんだっけ」
それを助けたのが全ての元凶だ。そういえば、俺が助けなかった場合の翔吾はどうなるんだろう? そう佐倉に質問すると、彼は眉間に皺を寄せて答えた。
「そのパターンが存在しなかった結果がこれなので……僕にもわからないんです。ただ、あの日は学校でうさぎを殺したのがバレて命の尊さをテーマに説教されて……それで、呼び出された親にも先帰るって愛想尽かされて、心配してほしくて、かまってほしくての自殺未遂なのでまあ、死んでもいいんじゃないですか?」
「いや駄目だろ」
「僕が死んだほうが救われる命多いですよ? 高校の時で二十二人、殺しましたし」
本当にわからないように佐倉は首を傾げる。確かに佐倉、いや翔吾が死んだほうが未来のためになるのかもしれない。多分、それが良い選択なんだと思う。それでも、知り合いが放っておいたら死ぬなんて知ってしまったらたとえ自分が危なくなるとしても、選ぶ選択肢は一つだろう。
「……俺は子供を守ることを仕事にしようとしているただの一般人だが、だからこそ手の届く範囲は放っておけないよ」
「この時点で僕は小動物を何匹も殺してます。生きてる意味はありません。無視されるのも当然の結果だと思います。むしろ死ぬならそれは神様からの罰では?」
「この世界の神様は悪趣味らしいからな」
ロムを脳裏に浮かべた俺は、コンロの火を止める。
「俺はあの子を死なせない。それにお前を信じてるからな。俺も死なない」
「……意味が解りません。僕が自制して、貴方が死ななかったとしても、あいつはきっかけさえあれば殺人鬼になりえます。芽は早く摘むべきです」
俺は後ろで作業を見守っていた佐倉の方を振り向く。彼は険しい顔をしていた。
「お前は後悔してるのか? 殺人鬼になったこと」
「後悔は殺した人たちに失礼ですから、僕は後悔はしません。ただ、最初の被害者である貴方に対しては、死ぬ直前思いました『僕を助けてくれた夏希さんにもう一度会いたい』と。それを拾ってくれたのがあのクソ悪魔ですね」
佐倉はため息をついて言う。
「夏希さんに出会っても、出会わなくても、『素質』はあったので、未来はそんなに変わらなかったと思いますけど。あんな風に自分の命を捨ててまで自分のことを守ってくれる人にちゃんと出会えていたならば、何か変わっていたのかもしれない。とかは思いました」
「じゃあさ」
ざるを取り出して湯がいたそうめんを水にさらす。
「やっぱ守んなきゃだよ」
水気を切って二人分の皿に分ける。
「俺がお前を殺人鬼にさせない。そしたら全部ハッピーエンドだ」
「……出来るとでも?」
「やるんだよ」
冷蔵庫から薬味とつゆを取り出す。
「典型的な愛情不足。それなら注いでやればいい。底が無くて、いつまでも満足しなかったとしても、ずっと注いでいれば止められるかもしれない」
適当に切ってローテーブルに二人分のそれらを置くと俺はテーブルの前に腰を下ろす。
「これ食ったら行くか」
「……どこに」
「ちびのとこ。今日いじけてんだろ」
「部屋で大人しくしてください!」
「俺はお前を信じる」
胡坐をかいた俺は佐倉を見上げてそう言った。
「今までのお前がダメだったとしても、前回関りのあった俺たちなら未来は変えられるかもしれない。俺はお前を信じるよ」
たかが、万引きを一回止めて、命を救っただけの間柄だけれど。その蝶の羽ばたきの結果を俺は信じてみたい。
「だからさ、お前も自分を信じろ」
「……快楽殺人鬼にそれは保証できないですよ」
「お前は俺を殺さない、絶対に」
部屋につけた風鈴がちりん、と音を立てた。
「だってお前は愛されたかっただけなんだろ? だったらその愛情、全部俺がやる」
外は快晴で、人が死ぬ日だなんて信じられなかった。
いや、死なせない。俺は死なないし、殺されもしない。
「俺の人生、あの子にやるよ。殺人鬼にはさせない。約束する」
「……前回、そう言ってくれれば良かったのに」
「悪いが初回クリアは出来ないらしいからな」
本当は、目の前の『佐倉翔吾』も救ってやりたかった。でも、彼はもう死んだ人間で、人を殺している前科者だ。やり直せればよかったけれど、残念ながら前回と地続きになっている今ではもう救われることはない。
佐倉は肩を落とすと、諦めたように言った。
「嫌ですけど、ついて行きますよ。仕方ない人ですね」
「もっと感謝しろ」
「僕が救われるわけじゃないですもん」
そう佐倉は笑うと、俺の向かい側に座ってそうめんに箸をつけた。
ちりん、と風鈴が揺れるのどかな時間だった。
「うっわ、進学校えぐっ」
「そうですか?普通だと思いますけど」
目の前にそびえたつのは東京で見られるような高層ビル。十階以上はあるだろう。こんなところに通っているなんて相当いい成績なのだろう。
「あっ出てきましたよ」
時間通りに校門から出てきたのは気分が悪そうな翔吾だった。顔が青ざめている。相当絞られたか、両親と何かあったのだろう。
「やあ少年、また会ったな」
不審者さながらのスタイルで声をかけると翔吾は顔色を変えた。
「おじさん!」
「おにいさんな」
とてとてと寄ってくる翔吾は年相応に幼く俺を視認した瞬間頬を赤らませる。先程まで絞られていたとは思えない。というか反省してないなコイツ。
「なんでここにいるの? ストーカー?」
「嬉しそうに言うな。俺は未来が分かるっていっただろ? だからきみの所に来た」
「みらい?」
「きみ、自殺しようとするだろ。これから」
そう言うと、彼は気まずそうな顔をする。
「……だって、パパとママがそんな子は要らないって」
下を向いて小さくそういう翔吾に俺は言う。
「これからやらなければ大丈夫だよ」
よしよしと頭を撫でるとバッと翔吾は俺から離れる。
「未成年に優しくすると捕まるよ!?」
「これやさしさに入るの……?」
重そうな鞄を持ってやって二人で歩く。話を聞くに、次何かやらかしたら退学らしい。それで済むならまだ甘いのではと思うが、どうなんだろう。生憎刑法には詳しくないが、出るとこ出られれば色々とついてしまうのではないだろうか。そうしない分甘いのでは? と言ったがそうではないらしい。
「俺が居ないと学年の平均点ダダ下がりするから」
どうやら翔吾は通知表オール5の超優等生らしく居ないと学校が困るらしかった。
親はというと「やるならもっとうまくやりなさい」と。親にしてこの子ありという感じだ。
「親はね、帰った。仕事あるからって」
「……」
「問題起こしたら誰かしらはこっち見てくれるかなと思ったけど。ダメみたいだ。俺はずっと透明人間のままだ」
「……俺は見てるよ。ちゃんときみの傍にいてあげる」
「本当?」
「嘘はつかない主義なんだ」
燦々と降り注ぐ太陽の下、俺たちは歩く。
過去の自分を見る佐倉はむっとしていて、なんだか内心笑えてしまった。そうだよな、と思う。一番つらい過去をやり直せて、一番欲しいモノを目の前に用意されたら誰だって嫉妬する。
「大丈夫だぞ」
佐倉にも届く声で俺は言う。
「俺はどっちとも一緒にいてやるから」
「どっちとも?」
「こっちの話」
あの交差点まで、あと数メートル。
——俺は、佐倉を信じる。
赤信号。目の前には車が行き交う。
佐倉は、その間俺の後ろにいたけれど、俺の事を押したりはしなかった。
「——え?」
目の前に飛び出したのは翔吾の方。
佐倉が押し出したのは約束通り「俺」では無かった。彼が押したのは過去の自分。
「翔吾!」
咄嗟に手を掴みなんとか引き上げる。抱き寄せて腕に収めると彼の心臓がバクバクなっているのが伝わってきた。
「佐倉! お前何やって……!」
「だって、ずるいじゃないですか」
佐倉は叫んだ。
「なんでこいつばっかり良い思いするんですか!? 僕は夏希さんに会えなかったのに!」
「なんでって……、それは俺が死んだから……」
「ええ、だから『夏希さんは』殺しませんでした。でもこいつは別です」
しゃがみ込む俺の腕の中の翔吾を佐倉は指さす。一度『干渉』してしまったからなのか、翔吾はいきなり現れた青年に驚いていた。
「だ、だれ……」
「……未来のきみ」
「は!?」
そりゃその反応になるだろう。
「どうも。連続殺人犯になる未来のお前です。他人からかまってもらえて気分はどう? いいね。味方が居て」
「……こんなことするなんて聞いてない」
「言ってませんもん。どうせ消えるなら、このくらいはさせてください」
佐倉はしゃがんで翔吾に目を合わせる。
「……そこのクソガキ。僕みたいならない可能性があってよかったな。でも小動物殺してる時点で同じ道辿る可能性はあるの忘れんなよ」
未来が変わったからなのか、どんどん佐倉は薄くなっていく。
「夏希さん。俺の事信じてくれて、ありがとうございます。悩みましたけど、ちゃんと自制できました」
「できてねえよ」
「あはは……。そいつの事、よろしくお願いします」
ぎゅっと俺の服の裾を掴みながら翔吾はキッと佐倉を睨む。殺されかけたのだから当たり前かもしれない。
「運命変わりましたから、僕は満足です」
足元から薄く空気と飽和していく。
「アイツの足元も抄えましたかね」
してやったり、と言うように笑った彼は一瞬、眩しい太陽に目がくらんだ瞬間にはすでに消えていた。
「……なんだったの」
「……きみが幸せになれるのが確定されたって事だよ」
そう笑う俺に翔吾は首を傾げた。
そういえば、と最初の彼と約束した花火大会を思い出す。一緒に行くか? と提案すると、翔吾は「いく!」と二つ返事で了承した。現地に行くと、前回通りだが、夕暮れ時だと言うのに屋台が既に設営されていて、仕事の速さを思い知らされる。まあ子供から集金するには明るいうちから店があった方が稼げるのだろう。知らないけど。
「お祭り……!」
「来たことないって言ってたもんな」
「それは未来の俺が言ってたの?」
「言ってたんだよ」
二つ前の翔吾の事を思い出す。彼はどうなったんだろう。最後に見たかった景色が見られて満足したのだろうか?
「何か食べたいものある?」
「なんでも!」
目をキラキラさせながら言う翔吾に親のような気持ちになる。実の親には無視をされているようだが、俺が居る時くらいは子供らしくさせてやりたい。俺は焼きそばにタコ焼きにチョコバナナにと好きなものを買ってやる。
「これほしい!」
「いいよ」
全部食べれないくらい持たされて、この子が欲しかったのはものじゃなくて許しなのだと気が付いた。甘えられる対象が欲しい、この子はそれだけなのだろう。
「おじさん! こっちこっち!」
「はいはい」
彼が満足する頃には日は暮れて、花火がよく映えるくらいの帳が空に掛かっていた。
「おじさんはさ」
ベンチに座って、二人並んだ間に戦利品を並べる。二人で食べきれるか、不安な量はそのまま翔吾の欲しがっていた愛情の量だ。
「あの、未来の俺が居なくなっても、俺の事かまってくれる?」
不安そうに見上げる瞳。俺はそれに答える。
「要らないって言われるまでは、傍にいるよ」
そう言った瞬間だった。大きな音と共に夜空に大輪の花が上がる。
「ハッピーエンド、よかったじゃねえか」
上がった花火の音に不安定な声が混ざる。
ハッピーエンドかどうかは分からない。翔吾は確かに救済出来た。だけど、佐倉は満足のいく答えになったとは思っていない。でも、目の前の子どもを救う事が出来るなら、それで妥協しようと思うのだ。
この子は俺が殺人犯にさせない。
それだけは誓おう。俺の人生がこの子に奪われるはずのものだったのなら、この子に使ってやってもいいはずだ。これも何かの縁のはずだから。
不思議な夏の日の話。これは俺たちは世界が終わる前に出会った俺たちの話だ。