ジャックと紀夫
――人には未知へと向かっていく強い意思があることを、自身の体験として既に知る少年:ジャック。
――壊すのではなく描く技術によって、人間から想いの力を呼び起こす事が出来ることを証明してみせたエロ漫画家:神風 紀夫。
人の身でありながら、この超自然的存在であるトロッコのもとにまで到達し、未来を切り開く力によって地上を消し飛ばそうとした暴虐を食い止めてみせた勇敢な二人の人物。
そんな彼らの功績を誇るかのように、トロッコが二人へと語り掛ける。
『地上の人々が空を見上げなくなった、ひたむきな想いが薄れたとこれまで私は嘆いてばかりいたが、どうやら、私の方が間違っていたようだ。……地上には、まだ君達二人のような者がいるかもしれない可能性を考慮することもなく、昔より私に向けられる想いが少なくなったからと私のもとに集まる数量だけで地上の者達に価値なしと判断し、自身が空の支配者であるなどと思いあがる。――知らず知らずのうちに、私も“現代社会”という価値観に染まっていたらしい……』
「ウム、売り上げや締め切りという数字に縛られがちな僕ちんの編集担当にも見習ってほしい姿勢なんだな~!」
「せっかく空の上にまで来たんだから、思考くらいは仕事から離れても良いんじゃないですか?紀夫さん……」
トロッコの逡巡を尻目に、あまりにも俗なやり取りをしていくジャックと紀夫。
そんな彼らに苦笑しつつも、彼らのこのような在り方こそが、自身と言う脅威すらをも打ち払った強さなのではないかと雲の化身は判断する。
『私は、この“トロッコ”という名前に相応しいように、いつかは多くの人々に希望を運ぶような存在を目指すとするよ。……そのためにもまずは、君達のように人々と向き合うための手段を模索していくつもりだ……!!』
そんなトロッコにうんうん、と頷きつつも、紀夫が恐る恐る話を切り出す。
「トロッコ殿の決意表明もそれはそれでもちろん素晴らしいんだよ?……ただ、僕ちん達は空の上まで登ってくるための手段しか考えていなかったから、肝心の降りる手段がない訳で……その、ほら!僕ちんの締め切りも近いことだし、まずは手始めに僕達を地上まで運んでくれない?なんかこう、雲を乗り物みたいに使役するとかそういう感じでさ?」
そんな紀夫に対して、表情がないはずにも関わらず、明らかにキョトンとしたのが伝わる様子でトロッコが返答する。
『私は雲の化身ゆえ、地上に降りる手段など持っていないが?』
その答えを聞いて、茫然とする二人。
だが、それも無理のないことだろう。
もしも地上付近までトロッコが近寄れる手段があるのなら、トロッコは最初からこんな地上破壊計画など企てることもなく、人々に自身の主張を伝えれば良いだけなのである。
あまりにも、無情な現実を突きつけられた二人だったが――特に絶望や落胆をすることもなく、両者ともため息や苦笑といった各々のリアクションをとっていた。
「しゃーない。こうなったら、当初の予定通り自力で帰ることにしましょ?紀夫さん!」
「……やっぱこれ、年長者としての面子とか抜きで君に業務用特盛焼きそば3年分くらい買ってもらわなきゃ割りに合わんわ。……本当にしんどいし、ヤダー!!」
あまりにも気軽すぎる二人の反応を前に、超越的存在であるトロッコが本日何度目になるか分からない困惑の声を上げる。
『君達は、何を言っているんだ……?この高さから生身で地面に落下していけば、絶命するに決まっているだろう!どうすれば良いのかは私には分からないが……とにかく無謀な真似はやめろ!!』
そんなトロッコに対して、「まぁまぁ」と二人は答える。
「そんじゃあここでお別れになるけど、俺達人間が持つとっておきの力って奴を最後にアンタに見せつけてやるよ。――紀夫さんが雲に描いたエロ漫画同様に、一瞬たりとも見逃さないでくれよ?」
「今度もしも出会う機会があったら、トラ柄パンツの鬼幼女をキボンヌ!」
そんな風に陽気に別れの言葉を口にしながら、ジャックと紀夫はトロッコの眼前で勢いよくダイブしていく――!!
巨大な雲の表面に、卑猥な漫画作品が突如出現する――。
人々を恐怖に陥れた雷鳴からの、間を置かずに起きたこの珍事件を前に、群衆は軽く困惑していた。
だが、それよりも面白おかしい出来事として、原因が何だったのか?とかあの雲に描かれた作品を読んでどう思ったか?といった感想を思い思いに話し合っていた。
そうこうしているうちに、その中の一人の男性が思い出したように空を見上げながら他の者達に呼びかける。
「って、この大異変が起こる前にあの空中ジャンケンをしながら、雲の中へと消えていった二人組はどうなったんだ!?……まさか、この出来事に巻き込まれたりとかしてねぇよな~~~!?」
そんな男性の発言を受けて、周囲の者達がざわめき始める。
もしや、あの地表をえぐるほどの凄まじい雷撃に、あの二人は直撃してしまっているのかもしれない……。
それに、もしも雲の中で無事だったとしても、彼らには地上に帰還するための手段がないはずなのだ。
無理に降りようとして失敗すれば、たちまち地上に落下することになる……。
そんなあまりにも凄惨なイメージが次々と群衆の脳裏に浮かびかけたその時、一人の女性が大きな声を上げていた。
「みんな、アレを見て!――こっちに落ちてくるのって、紛れもなくあの二人組じゃない!?」
彼女が指さす先、そこにいたのは紛れもなくジャックと紀夫の二人だった。
そして彼らは驚くべきことに、雲の中へ移動したときと同様に、空中でグー、チョキ、パーと激しくジャンケンを繰り広げていたのだ!!
その光景を前にして、落雷の時とは異なる意味合いで観衆の一人が叫び出す。
「無茶だ!!空中に上昇していた時とは違って、今のアイツ等の眼下には、アスファルトの地面そのものが見えているんだ!――あんな状態で、闘気なんか沸き立つはずがなく、命の危険に曝されるという恐怖に直面することになるだけだッ!!」
生存本能は激しく揺さぶられるかもしれないが――言ってしまえば、それだけのことである。
彼らを天上世界にまで、浮かび上がらせるほどの“闘気”でない以上、ジャックと紀夫は重力に逆らうことなく地面に直撃する未来は避けられない。
子供でも分かり切った結末のはずだったが……長老格の群衆は、そのような意見を一蹴する。
「――いや、眼を凝らしてよく見てみるが良い。彼奴等が何を見据えているのかをな……!!」
長老格の言葉に、若者たちが困惑しながらも自身の所感を口にする。
「アイツ等が見ているもの……?そんなの、ジャンケンしているんだから、同じ落下している相手に決まって……」
「い、いや、よく見てみろ!アイツ等、互いに相手のことなどお構いなしに、ジャンケンを繰り出しまくってやがる!?……ば、婆様!これって……!?」
そんな青年の言葉に対して、長老格が「ウム」と頷きながら正解を口にする。
「彼奴等は自身が身に着けた能力やら技を、ジャンケンの形に込めることによって、“闘気”に頼ることなくジャンケンを繰り出した時の凄まじい衝撃で落下の勢いを相殺しようとしておるのじゃ。……そうじゃな、言ってしまえばあの二人は、眼前の相手ではなく、空気抵抗やら重力、衝撃といった物理法則――この世界そのものを相手に、ジャンケン勝負を挑んでおるようなものなのじゃよ……!!」
「ッ!?そ、そんな事が……!!」
長老の言葉を受けて、これまでのパニックとも異なる、真の衝撃がこの場にいる全ての者へと拡散する――!!
にわかには信じられない――けれど、紛れもなく否定する事の出来ない圧倒的な真実を前に、群衆が茫然と立ち尽くしたりへたり込む中、長老のみが冷徹に見据えながら力強く断言する。
「この勝負――勢いだけや、既存の物理法則に胡坐をかいているだけの在り方で勝利出来るものではない!……読み合いにおいて、相手を上回った方が勝つ!!」
その言葉を受けて、一同に緊張が走る――!!
「紀夫さん、ここまでは俺達も順調に落下の勢いをそぎ落とすことに成功してきた。……ラストの地表まで残り僅か。――ここで、一気に決めるとしよう!!」
「やれやれ、エロ漫画家になれば、自分の好きな絵だけを描いて生きていけるかと思っていたら、まさか空の上まで行かされるわ、地表相手のジャンケン勝負をさせられることになるわと、天と地両方で前人未到を体験させられることになるとはな……ここまでしないと生きられないとか、アダルトコンテンツ業界も考えものなんだな~」
「そう考えたら、本当にブラック以外の何物でもないッスね!――流石に転職したらどうですか、紀夫さん?」
そんなやり取りをしている間にも、物凄い速度で二人は落下していく。
その恐怖は尋常でないはずだが――紀夫はまっすぐに地表を見据えながらも、ジャックの発言に対して「馬鹿言いたまえよ」と軽く返す。
「ネクタイという鎖に繋がれながら、決まった時間に毎朝起きて満員電車に揺られる生活なんかに比べたら、エロ漫画描いている今の方がよっぽどマシだ!!僕ちんは録画とリアタイで毎晩深夜アニメをチェックしなくちゃいけないんだぞ!……だからそのためにも、コイツをチャチャっと済まして家に帰るんだな~!!」
「ハハッ!そいつぁ間違いない!――そんじゃあ紀夫さん。連撃行きますよ!!」
「やはー☆」
紀夫の脱力しかねない合図を皮切りに、ジャックと紀夫がこれまでとは比較にならない性能のジャンケンを繰り出していく――!!
「健康管理不行届:握り口臭・解放の儀!!」
「豆の呼吸:壱ノ型ッ!!――飛雪千里!」
「健康管理不行届:断罪打ち切り鋏!!」
「豆の呼吸:弐ノ型!――暗箭傷人!」
「健康管理不行届:真っ白原稿の舞!!」
「豆の呼吸:参ノ型ァッ!!……星火燎原ッ!!!!」
『ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!』
二人の凄まじい連撃が、この星そのものへの叛逆を示すかのように、地表に向かって放たれていく――!
強烈な破砕音と衝撃が辺り一面に響き渡る。
このジャンケン勝負の凄まじさを証明するかのように、二人が落下した先には強烈な砂煙が舞い上がっていた。
群衆の一人であるうら若い女性が、恐る恐る落下地点へと近づく。
「あの二人とこの星……一体、どちらが勝ったの……?」
そんな彼女と同じ気持ちなのか、他の者達もぞろぞろと後に続くように先へと進んでいく。
そんな中、誰よりも先に気づいたのは、腕白盛りな少年だった。
彼は冴えない男性から奪った双眼鏡を使用しており、誰よりもその異変に気付く事が出来た。
少年が、甲高い声で皆へと呼びかける。
「あー!見て見て!あの煙の先をさ!」
少年が指さす方向に向けて、群衆が一斉に視線を移す。
その先にあったのはゆらゆらと動く二つの物体だった。
やがてそれは明確な人の形をした輪郭となっていき――煙が晴れていくのと同時に、二人の人影が姿を現した。
――言わずもがな、当然それは、ジャックと神風 紀夫の両名であった。
二人が生還した喜びがあまりにも大き過ぎた結果、情報が処理しきれずに声を上げることすら出来なくなっている群衆達。
だがその中でも、冷静な分析力に優れた男性が素早く発言する。
「いや、この二人は空中ジャンケンで雲の上に行っただけでなく、そこから更に勢いよく地表にまで落下してきたんだ!肉体にどれほどの負荷がかかっているか分かったものじゃない!!」
その発言を聞いて、皆がハッとした表情を浮かべる。
……男性の言う通り、確かにジャンケンで落下の衝撃を殺しきって何とか立ち上がることが出来たとしても、内側に受けたダメージが深刻ならば、次の瞬間にこの二人が倒れたまま動かなくなったとしても全くおかしくはないのである。
そんな皆の意見を代弁するかのように、冷徹な男性が恐る恐る二人へと話しかける。
「熾烈なジャンケン勝負を終えたばかりの君達にこんなことを聞くのは酷かもしれないんだが、正直に答えてほしい。……君達は最後のジャンケンによる連撃で、この星に勝利する事が出来たのか?」
そんな男性の質問に対して、ジャックと紀夫は息も切れ切れになりながらも、互いに肩を組んだ状態でやり遂げた笑顔で答える――。
「A piece of cake!(楽勝さ!)」
今度こそ、歓喜で沸き立つ群衆達。
一斉に近づいてきた者達が、二人を胴上げし、周囲の者達が盛大に拍手や歓声で彼らの偉業をいつまでも称え続ける。
何故気取ったように英語で答えたのかは分からなかったが、いずれにせよ、二人が本当にジャンケンで勝利したのだという確信を得て、冷静な男性が今度こそ安堵したかのように笑顔で息を吐く。
そんな皆の様子を満足そうに見やりながら、長老は静かに――けれど、確かな涙を流しながら、深く頷き続ける。
天の運、地の利、人の和をジャンケンに宿したかのような二人の闘士――ジャックと神風 紀夫。
二人の名は、大空の雲に描かれたエロ漫画の如く、人々の記憶に刻まれる事となる――。
そんな紀夫が雲に描いた膨大かつ巨大な渾身の力作も、一時間と経たずに雲の形が崩れていき、すぐさま消失してしまった。
こればかりは、けたたましい雷鳴を放つトロッコをしてもどうしようもないことに違いない。
だが、それでも人々はふと日常の中で立ち止まったとき、
――あの二人が描いた軌跡を思い出すかのように。
――彼らが起こした奇跡を忘れないように。
――あるいは、もう一度大空に過激な漫画が掲載されたりしないか期待するかのように。
以前よりも、空を見上げる機会が増えたそうな。
『元気な子 ~~あるいは、エッチなおじさん~~』 完